ムムムム......と。
以下の図は「集束」でしょうか?「発散」でしょうか?
光線の動きがわからない静止画像という状態ではどちらなのか?
わからないと思います。
瞬間や点で捉えると、
集束(収束、収斂)と発散とは少々見分けにくいようで。
仮にポンチキな世界を覗き込んだ時に、
それが瞬間や部分であった場合、
事象の正しい判断はほぼ出来ない、難しい、
と言い換えることも出来ると思います。
もし、
集束している状況を発散として伝えられたり、
理解させられたり、
信じたりなんかしていたら......
かなり、
恐ろしいことです。
集束か発散かは「時間」という軸、
次元を合わせると動きが出てくるのでわかってくるとは思いますが、
その時間というものがまた、突き詰めて考えて行くと、
あるようでなく......一定でもなく......
物理学的にも(アインシュタイン、相対性理論)正にそんなモノであるので、
集束と発散というのは、実のところは表裏一体的というか、
異句同意的であるとでもいうのか、
少々解の出しにくい世界にある様に思える時があります。
そして、個人的にとても興味深く感じているのが、
実はこの「集束」を表現しているのが「不動明王」さんなのではないか?
と思えたりすることなのです。
「発散」は愛染明王さん。
この二尊の明王さんに関しては、
真言宗や天台宗を始めとする様々な宗教などによって海外から持ち込まれ、
広まり、進化もしていった様なのですが、
それぞれの明王さんには付随する「真言」というものがあって、
その真言を真摯に、自らの内と、
その先にある広大な宇宙世界に貫き通る様に頑張って唱えてみると、ふと、
その集束と発散のエネルギーを体感出来る時があるのです......って、
なんつって!
気のせいか!?(・_・)
しかししかし、不動さんの真言というのは一心不乱に唱えていると、
初動では浮ついてバラバラと動いていたエナジーが、シュッ!と、
一旦足元の方に下がって行って、それがまた上がり出し、
身体においては丹田の辺りに落ち着いて来て。
しばらくすると、今度はそこから段々と上にあがっていって、
腰を通り背中を通り、胸を通り、喉を通り......
チャクラだとは思いますが......
最後は眉間の上辺りに強く、
点の様に集束して置かれる様な感覚が生まれて来るのです。
正に仏像などにある白毫(びゃくごう)と言われるオデキみたいなアレ!
のある所です。
少しリアルにその感覚を表現すれば、
両目を寄り目にしていくような感じで。
最後は二つの目が、目と目の間の鼻の上の方で一つになって、
その一つに合わさった目が最後に少しだけ上にスライドしていく様な感覚。
不動明王さんの目が片目を細めていたり閉じていたりする事については、
古今東西様々な言説があるという事は理解していますが、
僕個人としては、実は、この二つの目が一つになっていく様な
「エネルギーの集束」
を表現しているのではないのか?
なんていうポンチキな捉え方をしていたり「も」します。
また、エネルギーが集束するということは、
即ち「物質化」とも言えて。
不動さんが持っている剣にしても、
そんなエネルギーの凝固を表している様に感じる時もあって。
不動さんは物質に満ちた現実界に働く力が強いのだ!
なんて言われていることも、
この辺りのコトで表現出来るような気もしていたりします。
大日如来が地上に降りた姿だ......と言われる所以も、
なんとなく、このネルギーの集束と降下、
凝固と物質化の話で説明できるような......感じもします。
それでまたさらに興味深いのが、
不動さんと同じ様に恐いお顔をした愛染明王さんの真言でして。
愛染さんの方は同じ様に集中して唱えていると、
こちらは、どーも、
エネルギーや意識が拡散に向かう感じなのです。
不動さんの真言とたて続けに唱えてみたりすると、
双方が相対的な感覚で、
この事がとても明瞭に感じられたりもします。
不動さんによって一点に集められたエネルギーの点が、
愛染さんの真言で、今度は逆転するかのように
自分の心身や空間の中に拡散して行っちゃったりするのです。
ちょうど光が集束していく様な映像が小さな一点にまで収縮した直後に、
今度は逆再生が始まって、
また最初の映像に戻って行くかのような、そんな感じ。
バカでしょ!?(=゚ω゚)ノ
知ってるよ!(=゚ω゚)ノ
ごめんなちゃい!(T 。T)ぶぇ。
でも、こう考えると、
空海さんの「真言密教」における曼荼羅の意味合いも、
常識とはまたちょっと違った理解の仕方も出来る様になったりもして。
何故?胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅があるのか。
何故?胎蔵界は不動明王さんが象徴し、
金剛界は愛染明王さんが象徴するのか。
胎蔵界とは、金剛界とは何か?
その言葉の意味はなんなのか。
そして、祭壇で祀られる際、
その「間」に空海さんが置かれるということにも、
宗祖であるという他にも意味があるのではないのか?と。
そういうこととか。
集束と発散。
その間にある空間。
それは時間とも言えて。
それこそが存在そのものと言えたりもして。
カノ偉大なる作家、夏目漱石さんの言葉でもって言えば、
「時間とは、
内容のある人の意識の連続をもって始めてその存在を認められる......」
とも言えるわけで。
真摯に真言を唱える中では、
そんな漱石さんの表現も凄く実感を持って理解できたりもして。
でも、こんなフザケタことを言っていたら
お坊さん方にこっぴどく怒られちゃったりもしちゃいそうで。
犬の遠吠えぐらいのニコニコ流し案件!
ってなことでほかし置いて頂ければとも思うわけで。
そこわ何卒。ワンワン。と。
それで、こんなショーも無いことをツラツラと書いているというのも、
僕の今年の始まりが少々「妙」な出来事から動き出したということに
起因していたりするのですが。
それは、元旦にアップした【雲完辞典「目次リンク」】
という記事の中で記した通りでして。
恒例の、一年お世話になったお札の御礼とお返し!
ということで伺った東京、深川不動尊さんの本堂で、
突然の空海さんの登場!?なんてことがあったり、
同時に本尊の不動明王さんからも不思議な御言葉をいただいたり......とか。
改めてその部分だけその時の記事から抜き出して転載すると......
==================================
「空海だ。深川の地の浄化をしているよ。
富岡の姉弟の血がわずかに残っているからだ。
わずかだから、来年には消えるよ」
さらに、不動さんからは、
「uzmetの札は、川崎大師がいい。家に近いところだからな」
とも言われ。
僕の場合、深川不動さんのお札は、来年は御守りでよいみたいなのです。
==================================
勿論、ポンチキーズのプリリンねーさんや
みゆきちゃんにも審神者(さにわ)をしてもらった言葉でもあるのですが、
やはりその感覚に相違は認められず......なので、
今年は深川不動さんのお札は「お守り」という形になって、
空海さんとの約束は、その通り果たすべく、
イソイソと川崎大師さんに初詣に出かけ。
人生史上初めての空海さんのお札を正式に頂いたりもして。
そしたら、
その時から何かと感じられることというのがこんな奇妙なことでありまして。
なので、不動さんのお守りと空海さんのお札が揃った直後には、
今度は、どーも、愛染明王さんが気になりまくりになってしまって。
で、結局.......
いらっしゃいまちたのです......(* ´З`*))) well come.......
そんなこんなで今、我が家の階段脇の小さな棚には、
この円い木彫の愛染さんと、草場一壽さんの不動明王さんが、
空海さんの御札の両脇をガチッ!と固めているという状況なのです。
側にある宮大工のミコパパさんから頂いた貴重な銅板の法輪とも合わさって、
間違って見ちゃうと、
なんだか密教系寺院の階段?祭壇?の様な様相ともなって来て。
上手くアレンジしないといけませんのですな。ええ。ええ。
フツーの無宗教人ですから。ええ。
しかししかし、改めて、空海さんからは上記した様なこととか、
色々なことを毎日教わっていたりもするのです。
いやはや、空海さんというお方は本当にすげーなぁ......と。ほんと。
偉大な大学そのものみたいな感じです。
ま、ここまで記しちゃったので、
次回は深遠なる不動明王さんに関する秘密!?奥義!?
みたいな話を記しておこうかと思い立ったりなんかして。
またお坊さんに説教されちゃったりして。
ワンワンと。
今年はナカナカ書けないでいる邪馬台国の話とか、五島列島の話とかも含めて、
このポンチキブログをずっと見てくれている親愛なる方々に、
何かと新たなお話をオープンにしていける年である様な感じもしちゃうのです。
ええ。ええ。
なんとなく。どもども(^^)
こんなポンチ記事を、
今日は仏教国のベトナムさんなんぞで記しているっつーわけでして。
ちとマニアック......
サイゴン・ビール(BIA SAIGON)はすこぶるおいちいのれす......(( ̄¬ ̄*))))
やっぱりフォーがこの国っポイのですな。
フォー!! (* ̄o ̄)ゝおおおお!
今、この記事を打っているのが
ハノイのデウー・ホテル(Daewoo Hotel)という所なのですが、
ナカナカ気持ちの良いホテルさんで。ええ。ええ。
でも、お仕事的には社会主義国的な様々な方々と
結構なアポイント地獄なのでやんす。
なんとか契約成立へ!
がんばるどー!( ̄⊿ ̄)o” にょー!
以下の図は「集束」でしょうか?「発散」でしょうか?
光線の動きがわからない静止画像という状態ではどちらなのか?
わからないと思います。
瞬間や点で捉えると、
集束(収束、収斂)と発散とは少々見分けにくいようで。
仮にポンチキな世界を覗き込んだ時に、
それが瞬間や部分であった場合、
事象の正しい判断はほぼ出来ない、難しい、
と言い換えることも出来ると思います。
もし、
集束している状況を発散として伝えられたり、
理解させられたり、
信じたりなんかしていたら......
かなり、
恐ろしいことです。
集束か発散かは「時間」という軸、
次元を合わせると動きが出てくるのでわかってくるとは思いますが、
その時間というものがまた、突き詰めて考えて行くと、
あるようでなく......一定でもなく......
物理学的にも(アインシュタイン、相対性理論)正にそんなモノであるので、
集束と発散というのは、実のところは表裏一体的というか、
異句同意的であるとでもいうのか、
少々解の出しにくい世界にある様に思える時があります。
そして、個人的にとても興味深く感じているのが、
実はこの「集束」を表現しているのが「不動明王」さんなのではないか?
と思えたりすることなのです。
「発散」は愛染明王さん。
この二尊の明王さんに関しては、
真言宗や天台宗を始めとする様々な宗教などによって海外から持ち込まれ、
広まり、進化もしていった様なのですが、
それぞれの明王さんには付随する「真言」というものがあって、
その真言を真摯に、自らの内と、
その先にある広大な宇宙世界に貫き通る様に頑張って唱えてみると、ふと、
その集束と発散のエネルギーを体感出来る時があるのです......って、
なんつって!
気のせいか!?(・_・)
しかししかし、不動さんの真言というのは一心不乱に唱えていると、
初動では浮ついてバラバラと動いていたエナジーが、シュッ!と、
一旦足元の方に下がって行って、それがまた上がり出し、
身体においては丹田の辺りに落ち着いて来て。
しばらくすると、今度はそこから段々と上にあがっていって、
腰を通り背中を通り、胸を通り、喉を通り......
チャクラだとは思いますが......
最後は眉間の上辺りに強く、
点の様に集束して置かれる様な感覚が生まれて来るのです。
正に仏像などにある白毫(びゃくごう)と言われるオデキみたいなアレ!
のある所です。
少しリアルにその感覚を表現すれば、
両目を寄り目にしていくような感じで。
最後は二つの目が、目と目の間の鼻の上の方で一つになって、
その一つに合わさった目が最後に少しだけ上にスライドしていく様な感覚。
不動明王さんの目が片目を細めていたり閉じていたりする事については、
古今東西様々な言説があるという事は理解していますが、
僕個人としては、実は、この二つの目が一つになっていく様な
「エネルギーの集束」
を表現しているのではないのか?
なんていうポンチキな捉え方をしていたり「も」します。
また、エネルギーが集束するということは、
即ち「物質化」とも言えて。
不動さんが持っている剣にしても、
そんなエネルギーの凝固を表している様に感じる時もあって。
不動さんは物質に満ちた現実界に働く力が強いのだ!
なんて言われていることも、
この辺りのコトで表現出来るような気もしていたりします。
大日如来が地上に降りた姿だ......と言われる所以も、
なんとなく、このネルギーの集束と降下、
凝固と物質化の話で説明できるような......感じもします。
それでまたさらに興味深いのが、
不動さんと同じ様に恐いお顔をした愛染明王さんの真言でして。
愛染さんの方は同じ様に集中して唱えていると、
こちらは、どーも、
エネルギーや意識が拡散に向かう感じなのです。
不動さんの真言とたて続けに唱えてみたりすると、
双方が相対的な感覚で、
この事がとても明瞭に感じられたりもします。
不動さんによって一点に集められたエネルギーの点が、
愛染さんの真言で、今度は逆転するかのように
自分の心身や空間の中に拡散して行っちゃったりするのです。
ちょうど光が集束していく様な映像が小さな一点にまで収縮した直後に、
今度は逆再生が始まって、
また最初の映像に戻って行くかのような、そんな感じ。
バカでしょ!?(=゚ω゚)ノ
知ってるよ!(=゚ω゚)ノ
ごめんなちゃい!(T 。T)ぶぇ。
でも、こう考えると、
空海さんの「真言密教」における曼荼羅の意味合いも、
常識とはまたちょっと違った理解の仕方も出来る様になったりもして。
何故?胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅があるのか。
何故?胎蔵界は不動明王さんが象徴し、
金剛界は愛染明王さんが象徴するのか。
胎蔵界とは、金剛界とは何か?
その言葉の意味はなんなのか。
そして、祭壇で祀られる際、
その「間」に空海さんが置かれるということにも、
宗祖であるという他にも意味があるのではないのか?と。
そういうこととか。
集束と発散。
その間にある空間。
それは時間とも言えて。
それこそが存在そのものと言えたりもして。
カノ偉大なる作家、夏目漱石さんの言葉でもって言えば、
「時間とは、
内容のある人の意識の連続をもって始めてその存在を認められる......」
とも言えるわけで。
真摯に真言を唱える中では、
そんな漱石さんの表現も凄く実感を持って理解できたりもして。
でも、こんなフザケタことを言っていたら
お坊さん方にこっぴどく怒られちゃったりもしちゃいそうで。
犬の遠吠えぐらいのニコニコ流し案件!
ってなことでほかし置いて頂ければとも思うわけで。
そこわ何卒。ワンワン。と。
それで、こんなショーも無いことをツラツラと書いているというのも、
僕の今年の始まりが少々「妙」な出来事から動き出したということに
起因していたりするのですが。
それは、元旦にアップした【雲完辞典「目次リンク」】
という記事の中で記した通りでして。
恒例の、一年お世話になったお札の御礼とお返し!
ということで伺った東京、深川不動尊さんの本堂で、
突然の空海さんの登場!?なんてことがあったり、
同時に本尊の不動明王さんからも不思議な御言葉をいただいたり......とか。
改めてその部分だけその時の記事から抜き出して転載すると......
==================================
「空海だ。深川の地の浄化をしているよ。
富岡の姉弟の血がわずかに残っているからだ。
わずかだから、来年には消えるよ」
さらに、不動さんからは、
「uzmetの札は、川崎大師がいい。家に近いところだからな」
とも言われ。
僕の場合、深川不動さんのお札は、来年は御守りでよいみたいなのです。
==================================
勿論、ポンチキーズのプリリンねーさんや
みゆきちゃんにも審神者(さにわ)をしてもらった言葉でもあるのですが、
やはりその感覚に相違は認められず......なので、
今年は深川不動さんのお札は「お守り」という形になって、
空海さんとの約束は、その通り果たすべく、
イソイソと川崎大師さんに初詣に出かけ。
人生史上初めての空海さんのお札を正式に頂いたりもして。
そしたら、
その時から何かと感じられることというのがこんな奇妙なことでありまして。
なので、不動さんのお守りと空海さんのお札が揃った直後には、
今度は、どーも、愛染明王さんが気になりまくりになってしまって。
で、結局.......
いらっしゃいまちたのです......(* ´З`*))) well come.......
そんなこんなで今、我が家の階段脇の小さな棚には、
この円い木彫の愛染さんと、草場一壽さんの不動明王さんが、
空海さんの御札の両脇をガチッ!と固めているという状況なのです。
側にある宮大工のミコパパさんから頂いた貴重な銅板の法輪とも合わさって、
間違って見ちゃうと、
なんだか密教系寺院の階段?祭壇?の様な様相ともなって来て。
上手くアレンジしないといけませんのですな。ええ。ええ。
フツーの無宗教人ですから。ええ。
しかししかし、改めて、空海さんからは上記した様なこととか、
色々なことを毎日教わっていたりもするのです。
いやはや、空海さんというお方は本当にすげーなぁ......と。ほんと。
偉大な大学そのものみたいな感じです。
ま、ここまで記しちゃったので、
次回は深遠なる不動明王さんに関する秘密!?奥義!?
みたいな話を記しておこうかと思い立ったりなんかして。
またお坊さんに説教されちゃったりして。
ワンワンと。
今年はナカナカ書けないでいる邪馬台国の話とか、五島列島の話とかも含めて、
このポンチキブログをずっと見てくれている親愛なる方々に、
何かと新たなお話をオープンにしていける年である様な感じもしちゃうのです。
ええ。ええ。
なんとなく。どもども(^^)
こんなポンチ記事を、
今日は仏教国のベトナムさんなんぞで記しているっつーわけでして。
ちとマニアック......
サイゴン・ビール(BIA SAIGON)はすこぶるおいちいのれす......(( ̄¬ ̄*))))
やっぱりフォーがこの国っポイのですな。
フォー!! (* ̄o ̄)ゝおおおお!
今、この記事を打っているのが
ハノイのデウー・ホテル(Daewoo Hotel)という所なのですが、
ナカナカ気持ちの良いホテルさんで。ええ。ええ。
でも、お仕事的には社会主義国的な様々な方々と
結構なアポイント地獄なのでやんす。
なんとか契約成立へ!
がんばるどー!( ̄⊿ ̄)o” にょー!
入って収束して、広がって出ていくみたいな感じで。あっているかな?
何だか不思議な感じで、考えずコメントしました。
いつもありがとうございます。
電子だけでなく、物質の最小単位全てに対する話ともなるかと思います(^^)
(笑)
収束と発散ですか…
憤怒↔愛
力を貰い中心へ↔愛を貰い中心へ
どちらも大元への帰還のベクトルに感じます…
曼荼羅も大きく分けて、金剛界、胎臓界ですが、軸も階層も表裏も沢山あり、もーわからん(笑)
『時間』の概念の難しい話も今度したいですね
(^^ゞ
過去➡現在➡未来、一コマ、一コマ繋ぐ神様いるからでしょう。
想像、創造、する⚪⚪は
流れは、逆なのかもしれないですね。
ビックバンに始まり、発散し…
はたして元に収束するのか???
スモール⚪⚪とかあったら面白いですね…
いつも、ポンチキ話有難うございます(^^ゞ
サッカー代表の試合でベトナムの市街地がとんでもないことになっています。へろへろ。。
時間や空間は掴めないないのでクラクラします。。。
なんとなく今、ドーパミンって言葉が出てきて
uzmetさんのこの記事を思い出していました。
光、電気、伝達、、、動く、、、
まとまりないコメントで失礼しました。
次回記事も楽しみにしていまーす
お疲れ様です(ヾ(´・ω・`)
クラさんのお話ですね( ̄ー+ ̄)