「ヤマトタケル」というのは、この中の三つ目、
「古代王国の役職の名前であった」
ということなのですね。ええ。
正確には「古代大和朝廷の役職」ということでしょうか。
続く!
ということで。
ええ。( ̄ー+ ̄)
「ヤマトタケル=日本武尊」にまつわる伝承や記録を見れば、
その役割はいわゆる「武将」的であったことはすぐに想像がつきます。
現代で言えば防衛大臣。
昭和期で言えば陸軍大臣や海軍大臣。
その前は、いわゆる「将軍」とも称される
徳川家康や豊臣秀吉などでおなじみの
「征夷大将軍=せいいたいしょうぐん」
更にその前の時代となると
「近衛大将=このえたいしょう」
とか、その前の前の時代だと......と、
そーーーーんな古(いにしえ)の時代の国軍トップの役職名というのが、
実は「日本武尊=やまとたける」というコトになります。
となると、
当然「ヤマトタケル」は一人ということであるハズは無く。
仮に一つの政権が100年以上も続いたりすれば、
それはもう沢山の人がこの役職を引き継いでいったとも思われます。
特に現日本国に繋がる国家の黎明期においては
国土のあちこちにチカラのある豪族や民が沢山いたはずで。
それは言ってみれば、
未だ教科書に載っていない「戦国時代」のようなもの。
時の政権はそんな敵対する勢力を時に力ずくで、
時に懐柔策で従えていったのでしょう。
そんな国家統合の最前線で動いていた
幾多の軍のトップがヤマトタケルだとすれば、
その逸話や痕跡が日本中のあちこちに残っているということも
僕には至極当然のことのように思えるのです。
そして、もう少し突っ込んでみれば、
ヤマトタケルとは時に
「大和軍全体」を指す言葉として存在していたこともあったハズで。
日本各地に伝わるタケルの物語の全てが同じ神、
同じ時代であったとも思えないのです。
そんな「ヤマトタケル」が各地を制圧した後、
そこで真っ先にすることというのは、
その地を治めていた長の痕跡を消すことです。
もしくは、その地の民が従っていた前政権の足跡を消すことです。
民が崇拝していた神々を変えさせることです。
いつの時代でも、どこの国でも、
為政者は同じようなことをするものなのです。
そして古代大和王朝の正規軍「ヤマトタケル」が消して回った
ソレ以前の時代の神々や統治者といえば、
それはすなわち「青き炎」という一連の記事でも記してきた、
スサノオが打ち立てニギハヤヒが完成させた古代王朝のハズです。
ヤマトタケルは日本各地にあった前王朝の神々を祀る神社を消したり、
自らの勢力内にいる有力者......新しい神々......の名を被せたり、
その行為に少々無理がアルような場合には並列に記してみたり......と、
出来うる限りそんなことをして回ったのでしょう。
僕さんがヤマトタケル・カラスに襲われた神社というのは、きっと、
そんなヤマトタケルが、
その地を制圧した時に覆い隠した古代神が祀られていた神社か、
もしくは、
争い倒したその地の敵将が住んでいた社(やしろ)であったのかもしれません。
そんな敵を倒した後、
元々その地で崇められていた古代神の威をも利用すべく、
その祭壇中央に自らの名を配し、並べ、立て、勝利を宣言。
これからは我らが神であるぞ......と。
そしてマダマダ呪術的な信仰も色濃く残る時代。
きっと大きな怒りや不満を持って亡くなっていったであろう
争い倒した敵将や古代神達を、
念には念を入れて霊的にも封印!
とするような「呪=しゅ」をも仕掛け、
その土地=神社に覆い囲ったというわけです。
そんな場所にプラリと現れたポンチキ野郎がナニかと!?
古代神との縁が強い男で。
ソレはヤマトタケルからしたら、
マサに制圧に動いた「敵そのもの」との縁であり、
そこへきて封印した神々に響くような禁断の
「古神道の祝詞」をあげ出したり、
チャラチャラと余計な動きをしちゃうモノだから、
古(いにしえ)に仕掛けた「封印の呪」が解けそうになって。
そんな輩(やから)用に封印時にセットしておいた
「呪を護る為の呪」とも言える「自動撃退装置」が発動してしまった......
カラスさんで発動してしまった......
なんていう様相になってしまっていた......というワケです。
おとぎ話!です(・Д・)ノ
ええ。
ぼぉ~やぁーー良い子だネンネしなぁーーーー。。♪( ´▽`)
です。
ええ。
ちなみに以前、
「卑弥呼」という呼称に関しても、
この記事あたりで今回同様「役職」として考えてみる......
などと記していたと思いますが、
そんなイメージが湧く神々というのは他にも幾つかあって、
「玉依姫=たまよりひめ」さんなども、
祭祀の女王「卑弥呼」さんに次ぐ能力や
位の高い巫女さん職の名称とも思われます。
「魂=タマ」が「依る=ヨル」姫さんですから。
もっと言うと、
今に至る新しい時代における卑弥呼というのが、
他でもない国神の「天照大御神=アマテラスオオミカミ」であり、
古代王朝においての巫女職のトップを表す名前だった......
とも考えられます。
当時の祭祀は占術的でもあり、
占術というのは、今もそうですが、
実は天文や地理風水的知識を合わせた科学的側面も強く。
そんなコトを司る人は今で言う「文部科学省大臣」と
「宮内庁長官」「神社庁長官」などを合わせたような人であって。
王様が何かの決断や判断に迷った時にバッサリと
「天地神明にかけてこの判断を下す!
未来はキットこーなるぞよ!( ̄^ ̄)ゞ」
なんて、
日食のタイミングなどでそんな人に言われちゃえば、
王様としたらとても頼りにもなって。
安心もさせられてしまう敬うべき人でもあったろうし。
国民にしても同じくそーだったろうし。
そんな最先端の天文と占術と戦略とに股がる意味合いの強かった
「祭祀の女王」の力は常に政治や軍部などとは切り離され、
「別格」となっていたであろうことも容易に想像できちゃいます。
一世代一人では無かったであろうことも想像できちゃいます。
他にも
「300年以上生きて、歴代の多くの伝説的天皇に仕えていた......」
などと書かれる「竹内宿禰=たけのうちすくね」さんなどもそーだと思います。
天皇側近の政治アドバイザーでNo.2ですから、
現代で言えば「内閣官房長官」。
そりゃ力あります。
だいたいが主祭神=王様の側に祀られるような形とはなりますですね。ええ。
歴代に何人もいて、
「300年に渡り活躍が描かれている!」
「300年生きた!」
なんて神話に書かれていてもでんでん不思議わない!
というワケなのです。
嘘でもないし。ええ。( ̄+ー ̄)フジワラヤルヨネ...
琵琶湖の隣、
ヤマトタケルが命を落とした場所と伝わる関西一の霊峰
「伊吹山=いぶきやま」。
その山頂にはタケルさんの石像があります(^_^)
琵琶湖も全て見渡せます。
美しいです。
不思議ですが、
この地では僕は居心地がいいのです。ええ。
鳳凰さんのおかげでカラスにも襲われません。
ココで感じる神の空気というものは、
カラス神社さんなどとは全く違う、
「ヤマトタケル」の名の元となったスサノオ王朝一の武将
「五十猛命=イソタケル=イタケル」
さんの空気だからでしょうか......
大王スサノオが国の統合を推し進める中で最も信頼していた息子であり、
同じく武勇に秀でていた「オオトシ=ニギハヤヒ」の兄でもあり。
古代大和王朝以前の時代、
この国のあちこちに崇敬の念を持って祀られていた武の神。
そして「タケル」名のルーツでもある故に、
「ヤマトタケル」の名を一番被されていった神。
伊吹山も古来、
五十の国「五十葺山=イソブキヤマ」と呼ばれていたといいます......
この
「気は優しくて力持ち」
「兄弟姉妹の皆から好かれた」
「この国の森林資源を創造した」
という偉大なる神の話は、思い浮かべるだけで何故か?
涙が溢れてきてしまいますが、また、いつか、
然るべき時にしたいと思いまする(^_^)
「古代王国の役職の名前であった」
ということなのですね。ええ。
正確には「古代大和朝廷の役職」ということでしょうか。
続く!
ということで。
ええ。( ̄ー+ ̄)
「ヤマトタケル=日本武尊」にまつわる伝承や記録を見れば、
その役割はいわゆる「武将」的であったことはすぐに想像がつきます。
現代で言えば防衛大臣。
昭和期で言えば陸軍大臣や海軍大臣。
その前は、いわゆる「将軍」とも称される
徳川家康や豊臣秀吉などでおなじみの
「征夷大将軍=せいいたいしょうぐん」
更にその前の時代となると
「近衛大将=このえたいしょう」
とか、その前の前の時代だと......と、
そーーーーんな古(いにしえ)の時代の国軍トップの役職名というのが、
実は「日本武尊=やまとたける」というコトになります。
となると、
当然「ヤマトタケル」は一人ということであるハズは無く。
仮に一つの政権が100年以上も続いたりすれば、
それはもう沢山の人がこの役職を引き継いでいったとも思われます。
特に現日本国に繋がる国家の黎明期においては
国土のあちこちにチカラのある豪族や民が沢山いたはずで。
それは言ってみれば、
未だ教科書に載っていない「戦国時代」のようなもの。
時の政権はそんな敵対する勢力を時に力ずくで、
時に懐柔策で従えていったのでしょう。
そんな国家統合の最前線で動いていた
幾多の軍のトップがヤマトタケルだとすれば、
その逸話や痕跡が日本中のあちこちに残っているということも
僕には至極当然のことのように思えるのです。
そして、もう少し突っ込んでみれば、
ヤマトタケルとは時に
「大和軍全体」を指す言葉として存在していたこともあったハズで。
日本各地に伝わるタケルの物語の全てが同じ神、
同じ時代であったとも思えないのです。
そんな「ヤマトタケル」が各地を制圧した後、
そこで真っ先にすることというのは、
その地を治めていた長の痕跡を消すことです。
もしくは、その地の民が従っていた前政権の足跡を消すことです。
民が崇拝していた神々を変えさせることです。
いつの時代でも、どこの国でも、
為政者は同じようなことをするものなのです。
そして古代大和王朝の正規軍「ヤマトタケル」が消して回った
ソレ以前の時代の神々や統治者といえば、
それはすなわち「青き炎」という一連の記事でも記してきた、
スサノオが打ち立てニギハヤヒが完成させた古代王朝のハズです。
ヤマトタケルは日本各地にあった前王朝の神々を祀る神社を消したり、
自らの勢力内にいる有力者......新しい神々......の名を被せたり、
その行為に少々無理がアルような場合には並列に記してみたり......と、
出来うる限りそんなことをして回ったのでしょう。
僕さんがヤマトタケル・カラスに襲われた神社というのは、きっと、
そんなヤマトタケルが、
その地を制圧した時に覆い隠した古代神が祀られていた神社か、
もしくは、
争い倒したその地の敵将が住んでいた社(やしろ)であったのかもしれません。
そんな敵を倒した後、
元々その地で崇められていた古代神の威をも利用すべく、
その祭壇中央に自らの名を配し、並べ、立て、勝利を宣言。
これからは我らが神であるぞ......と。
そしてマダマダ呪術的な信仰も色濃く残る時代。
きっと大きな怒りや不満を持って亡くなっていったであろう
争い倒した敵将や古代神達を、
念には念を入れて霊的にも封印!
とするような「呪=しゅ」をも仕掛け、
その土地=神社に覆い囲ったというわけです。
そんな場所にプラリと現れたポンチキ野郎がナニかと!?
古代神との縁が強い男で。
ソレはヤマトタケルからしたら、
マサに制圧に動いた「敵そのもの」との縁であり、
そこへきて封印した神々に響くような禁断の
「古神道の祝詞」をあげ出したり、
チャラチャラと余計な動きをしちゃうモノだから、
古(いにしえ)に仕掛けた「封印の呪」が解けそうになって。
そんな輩(やから)用に封印時にセットしておいた
「呪を護る為の呪」とも言える「自動撃退装置」が発動してしまった......
カラスさんで発動してしまった......
なんていう様相になってしまっていた......というワケです。
おとぎ話!です(・Д・)ノ
ええ。
ぼぉ~やぁーー良い子だネンネしなぁーーーー。。♪( ´▽`)
です。
ええ。
ちなみに以前、
「卑弥呼」という呼称に関しても、
この記事あたりで今回同様「役職」として考えてみる......
などと記していたと思いますが、
そんなイメージが湧く神々というのは他にも幾つかあって、
「玉依姫=たまよりひめ」さんなども、
祭祀の女王「卑弥呼」さんに次ぐ能力や
位の高い巫女さん職の名称とも思われます。
「魂=タマ」が「依る=ヨル」姫さんですから。
もっと言うと、
今に至る新しい時代における卑弥呼というのが、
他でもない国神の「天照大御神=アマテラスオオミカミ」であり、
古代王朝においての巫女職のトップを表す名前だった......
とも考えられます。
当時の祭祀は占術的でもあり、
占術というのは、今もそうですが、
実は天文や地理風水的知識を合わせた科学的側面も強く。
そんなコトを司る人は今で言う「文部科学省大臣」と
「宮内庁長官」「神社庁長官」などを合わせたような人であって。
王様が何かの決断や判断に迷った時にバッサリと
「天地神明にかけてこの判断を下す!
未来はキットこーなるぞよ!( ̄^ ̄)ゞ」
なんて、
日食のタイミングなどでそんな人に言われちゃえば、
王様としたらとても頼りにもなって。
安心もさせられてしまう敬うべき人でもあったろうし。
国民にしても同じくそーだったろうし。
そんな最先端の天文と占術と戦略とに股がる意味合いの強かった
「祭祀の女王」の力は常に政治や軍部などとは切り離され、
「別格」となっていたであろうことも容易に想像できちゃいます。
一世代一人では無かったであろうことも想像できちゃいます。
他にも
「300年以上生きて、歴代の多くの伝説的天皇に仕えていた......」
などと書かれる「竹内宿禰=たけのうちすくね」さんなどもそーだと思います。
天皇側近の政治アドバイザーでNo.2ですから、
現代で言えば「内閣官房長官」。
そりゃ力あります。
だいたいが主祭神=王様の側に祀られるような形とはなりますですね。ええ。
歴代に何人もいて、
「300年に渡り活躍が描かれている!」
「300年生きた!」
なんて神話に書かれていてもでんでん不思議わない!
というワケなのです。
嘘でもないし。ええ。( ̄+ー ̄)フジワラヤルヨネ...
琵琶湖の隣、
ヤマトタケルが命を落とした場所と伝わる関西一の霊峰
「伊吹山=いぶきやま」。
その山頂にはタケルさんの石像があります(^_^)
琵琶湖も全て見渡せます。
美しいです。
不思議ですが、
この地では僕は居心地がいいのです。ええ。
鳳凰さんのおかげでカラスにも襲われません。
ココで感じる神の空気というものは、
カラス神社さんなどとは全く違う、
「ヤマトタケル」の名の元となったスサノオ王朝一の武将
「五十猛命=イソタケル=イタケル」
さんの空気だからでしょうか......
大王スサノオが国の統合を推し進める中で最も信頼していた息子であり、
同じく武勇に秀でていた「オオトシ=ニギハヤヒ」の兄でもあり。
古代大和王朝以前の時代、
この国のあちこちに崇敬の念を持って祀られていた武の神。
そして「タケル」名のルーツでもある故に、
「ヤマトタケル」の名を一番被されていった神。
伊吹山も古来、
五十の国「五十葺山=イソブキヤマ」と呼ばれていたといいます......
この
「気は優しくて力持ち」
「兄弟姉妹の皆から好かれた」
「この国の森林資源を創造した」
という偉大なる神の話は、思い浮かべるだけで何故か?
涙が溢れてきてしまいますが、また、いつか、
然るべき時にしたいと思いまする(^_^)
とても気持ちのよい所ですね(^^)
あらかじめこちらの記事を読んでいたので、感慨深くまわることができました。
ありがとうございます。
一報ありがとうございます!よかったっす!
その辺のことがもう少しハッキリしてきたら一度書いてみたいなぁ、、、と思っています。
今々で把握していることとしては、最後にイソタケルさんが住まわれ、直接統治していた国、場所というのがかなり衝撃的な場所であって......
もう少し神様からの話の実地検証と整合性を測ってみたいなぁ、、と思っています。
いつもありがとうございます(^^)
五十猛命は此処で発信してもらえることをご存知だろうし、然るべき順番を粛々と待っているように思います。uzmetさん、頑張って下さい!