こんばんは。
先程、廊下での診療というお話をいただきました(年齢によるTriageが必要な日本社会参照)。
ベッド数などを問題にするときに、医療従事者以外の方々はそれを廊下で診ればいいじゃないかと思われるかもしれません。 ただ、やはり廊下での診療というのは特殊な状況と言わざるを得ないです。
例えば災害医療の時などですね。
災害医療であれば現場からある程度離れた場所に、前線の指揮所などをつくり、それこそ医療の需要と供給が乖離しているために、ベッド数などが足りなくなり廊下での診療を行うなどします。
例えば廊下に点滴台をいくつか持ってきて、それにロープ(ビニールテープだと垂れ下がります)を張って、S字フックをかけて点滴台の数を増やしたりして・・・
ただ、こういった処置は医療の供給が足りない前提での診療です。そしてそれゆえに提供する医療は限られたものになります。
災害現場で提供する医療は「生命をつなぎとめる」ものであり、最後まで行うものではありません。ある程度の処置が行われ、しばらく時間が持つのであれば後送します。
災害現場やその近場の病院などで提供するのは「次の場所に移動できる時間を稼ぐ医療」です。多くの人を助けるために「医療を限定」します。その処置の順番などを決めたりします。そういうのをTriageと言います。
Triageというのは1800年ころのフランス軍がエジプト遠征の際に「兵士を前線にうまく供給」するために、助かる人から治療をしたというところに始まります。そういう意味では今の医療でのTriageとは少し異なりますね。
いずれにせよTriageは「選別」することを示します。
災害の時や戦争の時など「異常時」に、人間の命を「人間」が選別する。そういう異常なことを「医療の供給」が足りないために行うというものです。
異常時に行うべきものが「平時」に行われるようになってしまっていることを「おかしな社会」と僕は言っております。
難しい話になっているかもしれませんが、平時であれば「廊下で診療しろ」などという人はいないと思います。平時ではないという認識があるから「廊下で診療すればよい」という話が出てくるのだと思います。
すごい理解力だと思います。
そういうことを言わなくてはならない異常な状況。それを誰よりも認識している人でなくては言えないコメントだと思います。
そういった話を「医療従事者」でない人が言うようになってしまったことがいいことか悪いことか、本当に難しいです。
平時の医療であれば、医療従事者もベッド数もしっかりと確保されていて・・・というのが当たり前です。重症患者、研修医軍団から「プチICU」が全患者と言われてしまう血液病棟で廊下で診療をすることはありません。
例えば・・・廊下で酸素ボンベを使用します。まかり間違って毎分10lの酸素を流したらボンベの大きさにもよりますが、普通のボンベであれば20分持ちません。
そういう患者さん・・・救急の3次救急レベルの患者さんも廊下でみろと言われたらそれまでです。患者さんは酸素投与がまともにできず、死んでしまうでしょう。
死ぬことが分かっているのであれば自分のところで診ないのが「Best」もしくは「Better」な選択肢になります。
http://blog.with2.net/link.php?602868
人気ブログランキングへ←応援よろしくお願いします
それゆえに「たらいまわし」と言われている「受け入れ不能」状態が作られます。
埼玉県内は医療過疎ですから「受け入れ不能」になりやすいです。
そういったことを多くの方々が知ってほしいと思います。もしかすると救急隊の人ですら理解していないのかもしれませんね・・・。 困ったものです。
では、明日もありますので失礼いたします。