こんにちは
14時くらいに帰ってきました。
今日は少しゆっくりできるかな~と思ったりすると、体調を崩すんですな・・・。鼻汁、咽頭痛など風邪症状が出てきました。
こんな時は葛根湯
葛根湯は症状は改善しないけれども、抵抗力を上げることで「有病期間」を短縮する。だから、風邪の初期に使用しましょう。まぁ、正確には患者さんの証に合わせてと言いたいところですが、葛根湯はほとんど万能じゃないかしら?
使っていてそんな気がする。むしろタイミングが重要な気が・・・。
ということで、葛根湯を…と思ったら・・・・
葛根湯がない!
しまった。常備薬がほとんど切れている。
あると言えば、五苓散とかくらいか・・・・。
むぅ・・・・。明日、受診手続きをしておこう。とりあえず・・・・安静を・・・。明日までに復活しておかないと・・・前線勤務の血液内科医がいなくなる(笑
さて、たまたまジャミックジャーナルを開いて読んでいました。毎月届きますので・・・。
で、最初のページの方で「梅村さとし」民主党参議院議員の記事がありました。賛成部分もありますが、反対部分もあります。
「医療がサービス産業のように言われてしばらくたち、医師のメンタリティが折れてしまう要因はいたるところに存在します。患者の要求する水準はどんどん高くなり、病院は計益指標を良くすることに必死で、医師の負担が増しています・・・(記事より抜粋)」
これに関しては全くの同感。
◇愛媛大大学院医学研究科医療情報学・石原謙教授
医師不足やドラッグラグ(新薬の承認が欧米より遅れて国内で使えないこと)など、近年の日本の医療を危ぶむ声は多い。だが、愛媛大大学院医学研究科医療情報学の石原謙教授(57)は「日本の医療はレベルが高い」ときっぱり。「日本の医療レベル、医療制度の本当の姿をきちんと見てもらうために、正しい情報を伝えたい」と、医療費や治療成績などのデータを基に調査、発表している。
石原教授によると、経済協力開発機構(OECD)のデータなどでは、日本のがんや糖尿病など多くの疾患の医療レベルは高く、健康達成度は世界トップクラス。一方で、医療に対する満足度は最低ランクだという。「医療や健康は恵まれているのに、不安感、不信感は強く持っている」と指摘する。
その結果、日本人は医療関連などの民間保険に、他国に比べて圧倒的に多く加入しているという。公的な医療保険や、自己負担が上限を超えると医療費の払い戻しを受けられる「高額療養費制度」でまかなえる場合が多いといい、「日本人は民間保険の負担が大きすぎて、消費活動が抑制されている。医療は、経済や財政の面からも考えないとよくならない」と話す。
本来は循環器内科医師。10年程前、日本医師会のシンクタンクの研究部長になり、医療の現状調査を始めた。
「日本医療のレベルの高さを理解してもらいたい。まずは医療関係者から」と、月に数回、全国の病院などで調査結果を講演。今後は市民にも伝えていきたいという。【柳楽未来】
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世界最高水準の医療を提供している国だと思いますし、以前どこかで記事にしましたが地域格差もそれほど大きいわけではない。
ただ、だんだん要求が高くなってきたため「専門医」以外が手を出しにくいというのはあるのではないかと思う。
もちろん専門医以外が手を出さないほうがよい領域はあると思います。
血液内科、特に白血病の領域に普通の医師が…たとえ腫瘍内科医であっても、血液内科を専門にする医師以外が手を出すことは難しいかと思います。「臨床腫瘍学会」からも「白血病の領域だけは血液内科医以外が手を出すな」というような話が昔ありましたしね。
逆に僕らが心臓カテーテル検査をやることはないと思いますし、吐血した患者さんの緊急対応(Vitalの安定化ではなくて、止血のための内視鏡治療)などは専門家がやるべきだと思っています。
ただ、最近は本当に「専門家以外が何かをして、間違っていたら○○・・」というのが多いような印象があります。
僕は自分が「~~」と診断しても、念のため患者さんには「僕は○○という診断で良いと考えます。理由は~で、まず間違いないと思いますが、専門家は××科ですので、一度受診されますか?」と尋ねたりします。
次に書かれているのは「診療・研究・教育」のバランスを見直すという記事でしたが、少し反論させていただきたい。
記事には
「もともと、一人の医師が診療・教育・研究の全てを経験することで日本の医療の質は高まってきました。~中略~臨床と研究や留学を両立しようとすると生活が成り立たなくなる問題があります。一部の大学では研究に専念する医師に手当を支給していますが、そうした仕組みを作りたい(記事より抜粋)」
という記載があります。
確かに生活の問題はあると思います。研究している大学院生は・・・あくまで「学生」ですからね。
ここで書かかれているのは「研究」だけでやっていくことが難しい…ということが書かれているような気がします。一般の大学ではその通りだと思うし、大学院生が大学院生として研究だけができる体制ではないというのはその通りだと思います。
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反論する場所は、僕はこの前提はともかくとして…今診療科によっては「臨床と研究を両立させる時間がない」という話でしかないです。
先日も書きましたが、この国を代表するT大ですら、研究が徐々に困難になってきているといいます。
そのT大の(基礎系の)教授の先生が
「昔の医師は臨床も研究も両立させていたものだ」
というようなことをおっしゃっていたと伺いましたが、それは…状況が異なってきているからだと声を大にして言いたい。
今、患者さんに説明するのに必要な時間は昔に比べると非常に長時間必要です。
「パターナリズム」ではないので、「患者さんに選択してもらう。…少なくとも理解してもらう」ためにはかなりの時間が必要になります。
自分たちの血液内科を題材にすると、仮にウェスタンブロットをやっていたとします。電気泳動に45分~60分くらいかけたとして…その間に患者さんの説明をして…といっても、患者さんによってはそれ以上の時間がかかる。
昔聞いていた「患者さんの対応の合間に実験を進める」というのはかなり難しいと思います。
受け持っている患者さんの数が少ない…状態であればどうにかなりますが、もし重症度の高い・救急性の高い診療科で…医療の最前線と研究を両立させるためには、それなりの医療スタッフが必要になります。
それゆえに「研究と臨床を両立させるために必要な医師数が増えてきている」ことをあげさせてもらいたい。
医療事故問題に関して、現場の実態と乖離した事故調の設立に反対といのは同感です。
「国が医療事故を一元管理し、責任の所在を追求する医療事故調は確実に現場の医師を委縮させます。標準的医療以外を認めない事故調の発想は『吐血の患者が搬送されても、消化器科以外は診るな』といっているようなものです。~(記事より抜粋)」
まぁ、標準的医療・・・というか、吐血している患者に対して輸液もせずに…というのはいかがなものかと思いますが、時に「それを言われたら、結果が悪かったらすべてダメなのか?」というようなものがあります。
患者さんのためにどうすればこの患者さんを救命、延命できるか…を考え、全力を尽くしても結果として悪い目が出た時に・・・その責任を追及されてしまう。それが気になるところです。
患者教育に関しても同感で、記事には
「必要以上の専門医志向や、救急病院の利用が医療資源の無駄遣いであることは、今も周知が足りません(記事より抜粋)」
とありますが、その通りでしょう。
本当に夜中の2時に「風邪」「じんましん」で初診という人も過去にはいましたからね。
医療ではないですけど、本日の記事には
昨年1~11月に全国の警察が受理した110番は、前年同期より23万6958件多い849万1285件で、2年連続で増加したことが9日、警察庁のまとめで分かった。緊急性のない苦情や道案内の問い合わせなどが全体の4分の1超を占めた。同庁は、緊急でない場合は相談専用電話「#9110」の利用を呼び掛けている。
通報内容では、運転免許証の更新窓口や道案内の問い合わせなどの「各種照会」が12.9%、「妻から家を追い出された」「ハチに刺された」などの「要望苦情相談」が11.6%、いたずら電話などの「虚報・誤報」が2.0%あった。
最多は交通事故の通報などの「交通関係」で、30.0%を占めた。
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と書かれています。そういう意味で国民教育の徹底は必要かもしれません。
その一方でこの記載に関して気持ちはわかるが、全面的に賛成できないと思うものがあります。
「私は医師は職人であり、人生の半分を患者のためにささげる修行僧のようなものだと思っています。日々、患者のために奔走する中から医療の楽しさややりがいを覚え、社会からも尊敬される。しかし、医療崩壊が社会問題化して医師のQOLが重視されるようになった結果、医師が公的な存在であるという認識が希薄になりました(記事より抜粋)」
確かにQOL重視の考え方の医師も出てきました。それは否定できません。
それはそもそもなぜ医師になったのか…というところから話始めなければならない問題だと思います。
僕は幼稚園、小学校のときには「生物学者」を希望し、小学校一年生の時は顕微鏡片手に様々なものを見て回り・・・という生物大好き人間でした。医師になろうと思ったのは、高校2年生になってからで、僕が思うような生物学者への道を追求するのではなく、同様に生命にかかわり自分の好奇心を満たしてくれるだろう医学の道を志すようになりました。
実は生物学の中で「人体」に特化した「医学」を学ぼうと思ったに過ぎないのかもしれません。
ただ、一方で「偏差値が高かったから」という方も結構います。
偏差値が高かったから医学部に来た人に「自分の人生を他人に捧げろ」といっても無理かもしれないですよね。
しかも、医師って他に資格として何かができるわけでもないから、医療にかかわるでしょう。そうするとQOLを考える人も出てくるのではないかと思います。
ただ、患者さんに接する以上「(最低でも自分の分野で)標準以上の力を持って、患者さんに有益なことができる」が最低条件だと思っています。
それゆえ、後輩には
「どんな医師になりたい?それを思い描いて、自分が思い描いた医師になれるように研修期間で様々なものを学ぶこと」
と言います。僕はそれを聞いたら、彼や彼女がそういう医師になれるように全力を注ぎます。
今の僕と同じレベルになれるわけはないが、昔の僕を超えるレベルには短期間(研修期間)で到達してほしい
そう思っています(それが無理な話だと言われそうですが)。
まぁ、いろいろ思うところがあるわけですが…この問題山積みの医療をどうやって改善させていくかが問題と思っています。
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