夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

ソルジェニーツィン氏とサイクリング

2008年08月04日 | 日記・紀行

 

ソルジェニーツィン氏が亡くなられたそうである。若い人の中にも、この小説家の名前もすでに知らない人が多いだろう。スターリン時代にスターリンを批判したという理由で収容所に送られ、そこで流刑生活を過ごした。そのときの体験を小説にして、後にノーベル文学賞を受賞することになる。

スターリンを批判したフルシチョフがその後を継いでも、毛沢東中国との軋轢はさらにいっそう激しさを増したし、その結果、アメリカ、中国、ソ連と世界が三国志まがいの様相を呈し始めていた頃である。そうした東西冷戦のはざまにあった私たちの青年の時代に、やがてソビエト連邦の国内外から、体制批判の声が、海外に、この日本までも漏れ伝えられた。ソルジェニーツィン氏らの作品が、地下で人々に回し読みせられていることも報じられていた。

有名無名の多くの体制批判家が輩出する中で、物理学者のサハロフ氏やこの文学者のソルジェニーツィン氏らが代表格ではなかっただろうか。共産主義政治体制という、ソルジェニーツィン氏に言わせれば、「収容所群島」とまで化した政治体制をうち破るには想像を絶する苦難があり、流血もあった。彼らの血と汗なくして今日のロシアもないにちがいない。そして、北朝鮮や中国、アフリカのスーダンなど、私たちに知らされているか否かを問わず、世界の至る所で抑圧政治が現在もなお存続しているといわれている。

東西冷戦のさなかで、ソルジェニーツィン氏のノーベル賞など、政治的な思惑が働いていなかったわけではない。そうした影響の中で『収容所群島』など文庫本で氏の作品も読もうとした記憶はあるが、結局まともに読んだのは、『私のソルジェニーツィン』とか題された、元恋人か元夫人かの女性の手になる作品だった。ソルジェニーツィンとともに過ごした青春の日々や、友人たちとの交流を回想し綴った半ば伝記のような作品だった。彼女が深くソルジェニーツィンを愛していることだけは伝わってきた。

その本の細部はほとんど記憶から失われている。けれども、ただ印象に残っているのは、彼らロシア人たちが祖国の広大な草原で、短い夏の日々の余暇を悠々と楽しんで過ごしているらしいことだった。その女性やソルジェーニツェンら友人たちが、時には哲学的な議論も交わしながらサイクリング旅行を楽しんだ若い日々のことも懐かしく描写していたことを記憶している。

ロシアの夏については、いずれも文学作品からも深い記憶を刻まれている。アンナ・カレーニナなどはアイススケート場の冬の場面もさることながら、草いきれの激しい広大な農地を、農奴たちとともに草刈りに汗を流す光景の描写などを通じて、まだ見ぬロシアの大自然にも親しんだ記憶がある。

そうしたロシア文学の影響を受けた芥川龍之介などには、ロシアの小説家ツルゲーネフやトルストイたちの夏のある日の交友をモデルに描いた『山鴫』という印象深い作品を残している。これも教科書で読んだことがあり、ロシアの夏のイメージに影響している。(『山鴫』)

やがて生活の中にサイクリングをはっきりと位置づけて、自分の頭の片隅に意識的に少しでもそれを刻むきっかっけになったのも、たぶんその頃に彼女とソルジェニーツィンの伝記を読んでから以降のことだったように思う。もちろん、自転車そのものは二十歳代の頃から使い慣れていたし、吉田川端のアパートから出雲路橋のたもとまで通って行くときも、青年時代以降も自転車から離れたことはない。車を持ってからも自転車は手放したことはない。その中でもやはり懐かしく思い出すのはのは当時に私が乗っていた自転車で、後輪の脇に籠が取り付けられてあった。最近はこういうタイプの自転車は見なくなったけれども、若い頃の記憶とともによみがえってくる。いつ処分したのかすらももはや思い出せないけれど。

               

たまたま昨日、自転車を新しく手に入れて、嵯峨野の広沢の池から嵐山をめぐって走ってきたばかりである。最近は変速機もずいぶん進歩しているらしく、スピードもよく出る。自転車は今もなお、お気に入りの乗り物である。ただ、道楽家でもないから、自転車に凝るつもりはなく、少しはスポーツタイプにはなったけれど、これまで私の乗ってきた普通のありきたりの自転車でしかない。それで十分である。

それにしてもロシア人やヨーロッパ人の夏の休暇の過ごし方などを伝え聞くと、人間にとって本当に豊かな暮らしとはどういうものだろうという思いもする。その一方で、日本車の販売台数がアメリカでGMなどのビッグ3の総計を超えたなどというニュースを聞くと、複雑な思いになる。

久しくマスコミのニュースから消えていたソルジェニーツィン氏の動向について、記事を眼にしたのはほんのつい一週間ほども前だった。氏が過去の自分の作品の推敲や集大成に専念しているというニュースで、ソルジェニーツィン氏の健脚ぶりを想像していたばかりである。だからニュースをとくに記録しておくという気にもならなかった。それなのに、今日ふたたびソルジェニーツィン氏の名前をネット上に読んだとき、それはもう帰らぬ人の名前としてであった。そして、その名はいつもサイクリングとつながっている。きのう嵯峨野を走っているころ、氏はこの世を後にしていたのかも知れない。享年八九歳だという。

 

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