実際、歴史はしばしば道徳的教訓のために編纂された。しかし善人が心情を高め、また児童の道徳的教育にあたり立派なこ とを児童の頭に染み込ませておくために、善人の例を用いるべきだとは言いうるとしても、民族や国家の運命、それらの利害、それらの状態や葛藤などは道徳と は領分がちがうのである。
人々は君主、政治家、民衆に向って、歴史の教訓から汲むべきだと説く。けれども経験と歴史の教えるところこそまさに、 人民や政府がかって歴史から何ものをも学ばなかったということであり、また歴史から引っ張り出されるような教訓にしたがって行動したこともなかったという そのことなのである。
各時代はそれぞれ特有の境遇を有し、それぞれ極めて個性的な状態にあるものであるから、各状態の中で各状態そのものに よって決定されなければならないものであり、またそうしてのみ決定され得るものである。
世界のいろいろな出来事の雑踏の下では、一般原則もいろいろな類似 の関係への回想も何の役にも立たない。なぜなら色褪せた回想などといったものは、現在の生命と自由に対しては何の力も持たないからである。
(歴史哲学上s28)