§44
— review (@myenzyklo) 2017年5月6日 - 05:31
職業(Beruf)は一種の運命(Schicksal)と見られるが、一定の職業については、一般にそれに付随した外的な必然性の(偶然の、内的な必然性のない)形式は捨て去られなければならない。職業は自由に選び、自由に続け、また果たさなければならない。
説明
— review (@myenzyklo) 2017年5月6日 - 05:32
人間は、運命がもつさまざまの外的な事情や、一般に人間が直接的にもっている全ての外的な事情に関して、それを自分のものとし、そこにある外的な(偶然的な)形式をそれらから取り除くようにしなければならない。人間が自己の使命に忠実であるならば、すなわち、人間が自分の職業を
全面的に果たすなら、自分が運命によってどんな外的な(偶然的な)状況に置かれているかは重大なことではない。ある地位にある職業(ある地位に召されていること、Beruf zu einem Stande )は多面的な一個の実体である。職業はいわば素材であり、材料であって、不純な点や
— review (@myenzyklo) 2017年5月6日 - 05:33
欠けやすい面や地につかない部分が少しもないように、あらゆる面を隅々まで磨き上げなければならない。私がそれを完全に自分のものとする限り、私はそのなかにあって自由である。人間は自分の職業を果たさないときは何より充たされない。ところが、人間は真実に自分のものとは思えないような環境に
— review (@myenzyklo) 2017年5月6日 - 05:34
置かれることがある。しかもそれは同時にその人間の身分である。人間はその身分から自分を解放することはできない。そこで人間は自分自身の意に反した環境の中に生活し、行為することになる。※ヘーゲルの「自由観」がここに明確に出ている。リベラリストたちの無責任な自由とは明らかに異なっている。
— review (@myenzyklo) 2017年5月6日 - 05:36