>> <<引き続き、尾高からのノート。
— review (@myenzyklo) 2017年12月2日 - 20:45
第七章 国際法の窮極に在るもの
カントがここに、共和的(republikanisch) といっているのは、普通の用語法とは違い、国民が社会の構成員としては自由であり、臣民としては共通の立法に服従し、国家公民としては平等であるという
三つの原理によって構成された国家組織を意味する。特に、執行権と立法権との分離ということが、republikanisch な国家組織の重点であり、その点でそれは、despotisch(独裁的な)な国家組織と明瞭に区別されている。したがって、カントのいわゆる
— review (@myenzyklo) 2017年12月2日 - 20:46
republikanisch とは、君主国家ではないという意味での「共和的」ということではなくて、「民主的」または「立憲的」という意味であるといわなければならない。したがってまた、カントにとっては、君主国家も貴族国家も共和国家も、ともに republikanisch であり得るし
— review (@myenzyklo) 2017年12月2日 - 20:47
また、ともに、despotisch でもあり得る。それどころか、カントは、国家の組織が despotisch となる危険が最も大きく、かつ、その弊害が最も著しく現われるのは、共和国(カントの用語では Demokratie)であり、 despotisch となった場合にも
— review (@myenzyklo) 2017年12月2日 - 20:51
比較的にその弊害が少ないのは、むしろ君主国(一人が統治する国家形態)であるとさえいっている。
— review (@myenzyklo) 2017年12月2日 - 20:53
(s.258)カント『永遠の平和のために』への尾高の脚注。
※
実際の世界史における諸国家の歴史からも、カントや尾高の
これらの判断は的確ではなかっただろうか。奥平康弘氏らの憲法学者たちは、果たしてこの尾高やカントの記述を読んでいただろうか。
— review (@myenzyklo) 2017年12月2日 - 20:53