議会は、その職責からしても、国王の憲法を受け入れてもよいとする、あらゆる理由をあげうる限りにあげて展開せしめ、それらを最も明るい光のうちにおかしめるとともに、自分たちが実際に有する意見も同様に腹蔵なく報告し、そして自分たちの動機をめぐっても綿密に討論をつみ重ね、しかるのちに議決を
— review (@myenzyklo) 2017年10月8日 - 20:43
行うべきであったであろう。しかし、このような協議は、議決の前にも後にも行われることがなかった。しかし、議会は、ただ単に協議することなくして行動を起こさないようにするためばかりではなく、国民と世界とを前にして、国家の利益について協議するために存在するのである。(s.73)
— review (@myenzyklo) 2017年10月8日 - 20:46
少しでも議会の何たるかについて考え、また議会が登場した経緯について知っている者であるならば、反対党が存在しないような議会が、外に対してもまた内においても、生命を欠いたものであり、まさにこのような対立が議会の内に存在することこそが議会の本質であり、議会を権能をづけるものであること、
— review (@myenzyklo) 2017年10月8日 - 20:59
また、反対党が議会のうちに現れてこそ、初めて議会が議会たるものになることぐらい、気づかないはずがないであろう。反対党の存在しない議会とは単なる集会に、もしくは単なる集団の形態を持つにすぎない。・・・議会の中に人々の対立がまれ、人々が面と向かって、口頭で精神を生き生きと
— review (@myenzyklo) 2017年10月8日 - 21:09
みなぎらせながら、主張し証明し、反駁し、人々を動かすという光景が醸し出す活気は、まさに単なる文章の朗読による主張によってはまったく消失するほかなかったのである。さまざまな論文を立て続けに朗読することもって、それを人は議論と名づけることはできない。イギリスの議会では、規則によって、
— review (@myenzyklo) 2017年10月8日 - 21:22
文書による提案の朗読が許されていないのは正しいことである。なぜならば、このような論文は、一方ではきわめて容易に他人の手によって作成されうるものであるし、他方では、とりわけこれらの文書の朗読によっては、議会の本性が全く変えられてしまうからである。確かに、
— review (@myenzyklo) 2017年10月8日 - 21:22
生き生きとした意思によって記録された上で、同じように朗読された演説も少しはあるにはあるが、それらを除けば現在の議事録の内容は、議会の長ったらしい議決や相続規定といった法律の引用などの寄せ集めばかりなのである。(s.77)
— review (@myenzyklo) 2017年10月8日 - 21:23
第二節 国民皆兵制に対する提案
— review (@myenzyklo) 2017年10月8日 - 21:41
政府が逼迫した政治情勢のうちで苦慮しているとき、国家の窮乏を救済するために、政府と協同してことに当たるどころか、むしろ、この機会を利用して、政府に迫って政府より自分たちの利益を奪い取り、これによって、対外問題と同時に国内問題を作り出し、
その結果として、政府の力を対外的にも強化するどころか、弱体化させ、本質からしても行為からしても、敵に協力するということは、これまで議会がしばしば弄してきたあまりにも危険で非国民的で、またそればかりかよりすぐれた意味において、ときには犯罪的ですらある奸策である。
— review (@myenzyklo) 2017年10月8日 - 21:42
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