第四章 討議の経過
— review (@myenzyklo) 2017年10月7日 - 12:01
理性法と公法が問題である際に、実定法の形式主義と私法の立場を固持するという、この地方議会の我意より、地方民会の一年半にわたる討議の歴史にとって、次のことが結果している。すなわち、討議は思想において極めて空虚なものとなり、討議に課せられた「今日のドイツ国家の
自由な憲法」という大きな問題に対して、教えるところをほとんどもたず、あるいは全くもたないものになってしまっている。そのために、何らの成果をうるところもなく、単に外面的な出来事が展開されたにすぎない。その主な経過について、ここに述べてゆくことにする。(ヘーゲル政治論文集下s.66)
— review (@myenzyklo) 2017年10月7日 - 12:07
第一節 票決と提案
— review (@myenzyklo) 2017年10月7日 - 12:42
一八一五年三月十五日、国王が厳かに民会を開会され、憲法原案を手渡され、これを民会の討議に委託されたとき、これに引き続いて、旧ビュルテンブルグの人でもなく、また単独投票議員でもない、単なる代理人にすぎないヴァルデック伯が登壇して、前に引用した国王に対する頌辞
すなわち「稀有の強さを示され、ビュルテンブルグを大幅に拡張し、そして今や自らの尊祖⎯⎯稀有の性格を具えられた生粋の君公たちによって、永遠にわたって基礎づけられた憲法を復興されようとなされている優れた君主」に対する頌辞をもって始まる演説行ったことは、すでに言及したところである。
— review (@myenzyklo) 2017年10月7日 - 12:44
⎯⎯まことに民会の側からの最初の発言が、自らの国土に憲法を与えるという国王の行為を承認するものではないにしても、それでも全般的に礼儀にかなった頌辞を含むものであるものであったことも、致し方のないことであった。ところで、この頌辞は、その演説の全体と同じように、非常にひねくれた、
— review (@myenzyklo) 2017年10月7日 - 12:52
そして二次的なもので、その言葉の一語一語には、老獪という刻印が押し出されていた。これがために、民会は自分たちの演説者の器用な才能について、外部に対しては、自分たちがそれ相応の敬意を払うものであることを示しながら、仲間内では、すべてのものを留保しえたことを喜ぶことができた。
— review (@myenzyklo) 2017年10月7日 - 12:56
⎯⎯これに反して国王および内閣は、この婉曲的で陰険な表現を嘲弄と受け取った。というのも、数百年にわたって喜ばしいものとして承認されてきた、支配者と国家の全身分との間の紐帯であるところの、すなわち、あらゆる方面の期待を満たしてきた憲法、尊祖によって永遠にわたって基礎づけられた憲法、
— review (@myenzyklo) 2017年10月7日 - 13:30
それが復活され実行されてから九年になるその憲法の廃棄を、再び廃棄するということが、はっきりと国王の決意するところとされているだけに、なおさらであった。・・・国王に対する頌辞に引き続くこの演説の経緯は、ビュルテンブルグがその憲法のもとに辿った様々な運命の歴史的総括である。
— review (@myenzyklo) 2017年10月7日 - 13:36
その一般的な帰結は、「この憲法をもった間、この国土の状態が常に貧困で不景気で不幸であった」ということであるように見える。しかし、この演説からはこうした前提とは対照的な次のような結論が下されている。「古来のヴュルテンベルクの憲法は、数百年にわたって、この国土に幸福をもたらしてきた。
— review (@myenzyklo) 2017年10月7日 - 13:50
この憲法は、他の諸国家のいかなる憲法に対しても決定的な長所を持つものであり、はるか昔より、ドイツ国家の最善の憲法である。ドイツにおいても敬嘆の的であるのみでなく、さらに再三にわたって、イギリスの注目の的となったものである。」そして、こうした理由をもって、また、この憲法においては、
— review (@myenzyklo) 2017年10月7日 - 13:59
一切が契約によってはっきりと規定され、何一つあいまいなものを残していない理由をもって、さらに、この憲法が保証されたものであり、あらゆる支配者によって誓約されたものであり、国民もこの憲法をかっていちども放棄したことがない、などの理由をもって、この憲法のみが根本原則であり、
— review (@myenzyklo) 2017年10月7日 - 14:00
根本契約であると認められなければならない、と説いている。先に述べられたような事情の変化に伴って必要となった若干の修正も、この憲法に基づいてのみ行われなければならない、というのである。
— review (@myenzyklo) 2017年10月7日 - 14:01
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