夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般    第十六節[知覚から悟性へ]

2023年06月20日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般    第十六節[知覚から悟性へ]

§16

In dieser Veränderung ist es nicht nur Etwas, das sich aufhebt (※1) und zu einem Andern wird, sondern auch das Andere vergeht. Aber das Andre des Andern oder die Veränderung des Veränderlichen ist Werden des Bleibenden,(※2) an und für sich (※3 )Bestehenden und Inneren.

第十六節[知覚から悟性へ] 
  
この変化においては、物は、ただに自分を止揚して、かつ他者になるような或る物にすぎないだけではなく、その他物もまた消えゆくものである。しかし、その他者の他者、あるいは、変化するものの変化は、恒久的なものの生成であり、必然的(本来的に)に存在するものの生成であり、かつ内的なものの生成である。

※1
aufheben (keep preserve)保存しておくこと。
哲学では「揚棄する」とか「止揚する」と訳される。
弁証法の認識で「対立物の統一」という意味で使われるようになって一般化した。

※2
Bleibenden 恒久的なもの、永続するもの
Bestehenden 存続するもの
Inneren  内的なもの

「変化するものの変化」とは、「外的なものから内的なものへ」の変化のことである。
ここで意識の対象が外的なものから内的なものへと、「悟性」の領域へと移行し、意識の対象が「私」「自我」そのものへと代わる。「私」のうちに見出されたものは、「Bleibenden 恒久的なもの」であり「Bestehenden 存続するもの」「Inneren  内的なもの」である。

※3
an und für sich  自ずから、本来的に、必然的に、絶対的に、独立的に、などと訳せる。
岩波文庫版の訳者である武市健人氏は「即自向自に」と訳しているが、これでは、「恒久的に存続する内的なものの生成」が必然的で絶対的であることがよくわからない。

an und für sich」をどう訳すべきか - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/tPnAPg

 

 


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