玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

造語の力

2005年05月17日 | 捨て猫の独り言
プロ野球の実況中継のなかで、「勝利の方程式」というのを耳にすることがある。リードしているチームが押さえの投手(クローザー)を起用する場面で使う。この勝利の方程式というフレーズに微妙な違和を感じている。

方程式を解くことは代数学の重要な任務の一つである。方程式といえば小学校の、なかなか難しいツルカメ算も未知数Xと書くことによって苦もなく解けたという経験をした人は多いだろう。方程式は解かれることを待っている。未知数の追求のために方程式は存在する。恒等式が平叙文としたら、方程式は疑問文だ。

勝利と方程式の二つの言葉が衝突している。勝利を確実にする投手起用なのに勝利の疑問文と私には聞こえる。

ところで、勝利の方程式を初めて造語した人物は、方程式は特定の値がすでに決定したものという感受が濃厚であったと想像される。すでに解かれてしまった方程式だ。これは静的な発想だ。解のない方程式だってあるかもしれない。勝利の方程式とは「必勝パターン」のことだ。

放送で、勝利の方程式を発言するとき、その人の声が、少し低くなったと感じるのは私の偏見なのか。しかし、今では広く伝播してしまっている。私の記憶によれば勝利の方程式の造語者は、あのミスターこと長島茂雄氏である。私のささやかな抵抗はまさにごまめの歯ぎしりだ。国民はミスターをこそ受け入れる。長いリハビリを経て、近々元気な姿を見せてくれるということだ。新しい日本語の誕生を期待してもよいかもしれない。

コメント
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