永年住むことになるであろう住居の間取りは全て他人任せであった。起きて半畳寝て一畳ではないかとばかり無関心だった。生活者意識が薄いとしか言いようがない。日当たりは良い方がというぐらいの希望だけはあった。外回りの塀や庭木などについても同じだった。住居に関することは私が関与するまでもなくつぎつぎに事は運んだ。だいぶ過去の話だがこんなことはそれほど珍しいことではない。
庭木についてはもちろん造園業者が入った。近くに住んでいるKさんだった。大地主で男衆を二人ほど抱えて経営していた。俳優の高橋英樹に似ていて、地下足袋に半てん姿が粋だった。結婚していたが子供はなかった。郷里の義兄にも似ていて、私の子供たちとも馴染みになった。私より少しだけ年上だったが二年ほど前に病死した。石の配置や庭木の選択はKさんの考えである。
庭木の手入れが、全くというほどなされていない家を見かけることがある。南側の二本の大木が繁りすぎて通りからは屋根も見えない。部屋は以前より薄暗いはずだ。道路に面した車庫の重そうなシヤッターを持ち上げて老人が出てきた。車庫に車はない。老夫婦は事情があって庭木を暴れるにまかしている。そのうち街中でこの一画だけが木々に覆われてついには薄暗い森となり人も建物も全てが土に帰る。それはそれで自然なことだという思いにかられた。
人生とは暇つぶしと言えなくもないという意味で、庭木の手入れは結構な暇つぶしになる。落葉樹といえども枝おろしは必要だ。まだたくさんの葉の繁っている時にばっさりと切る。これが正しい剪定なのか私にはわからない。常緑樹なども丸裸にする。そんな時の私の任務は上空から打ち捨てられる枝葉をかき集め、束ねたり袋詰めしたりすることだ。これは家の中の食器洗いと同じで決して生産的な作業ではない。しかし誰かがやらねばならないことである。自分達だけで庭木の手入れが続けていけるならば、これは幸せなことだ。