ここ二三日やっと春らしい陽気になり木々の芽吹きが心を和ませてくれる。いま私の関心事の一つは小倉百人一首だ。返本のために立ち寄った図書館でたまたま「田辺聖子の小倉百人一首(角川書店)」に手が伸びた。自宅に持ち帰って拾い読みしたところ興味深いことが多く、しかも気軽に読める。しばらくこの本で楽しめそうだ。読売新聞に連載された記事が一冊にまとめられ平成元年に出版されたものだ。その田辺聖子氏は現在82歳という。
田辺氏は織田正吉氏の 《百人一首は一首ずつ解釈してもしょうがない。これは百首でもって作りあげた歌のクロスワード、文学的アラベスクである。定家はそれらの歌をたくみに配置し、互いに連繋し、照応し、ひびきあう巨大な情念の世界を構築した》 という驚くべき説をこの本の冒頭で紹介している。そして「中にはずいぶんアホラシイような愚作や駄歌がいっぱいある。しかしパズルの一ピースとすればわかるのである」と田辺氏はこの説に乗り気である。こんな本だから「定家の後鳥羽院びいき」などという箇所を読んだりすると、私はさっそく日本史年表をめくることになる。
17番「ちはやぶる神代もきかず竜田川 からくれないに水くくるとは」では、田辺氏は落語の「千早ふる」にふれることを忘れない。「竜田川というのは相撲とりで、千早という遊女をくどくが千早は竜田川をきらって振ってしまう。それで千早ふる。竜田川はこんどは千早の妹ぶんの神代に通いつめたが神代もいうことを聞かない。神代もきかず竜田川というのはこのこと。竜田川、がっくりきてしまい、とうとう相撲とりをやめて豆腐屋になった。・・・・最後の とは というのはなんのことですと聞かれて隠居が苦しまぎれに言うには、千早は源氏名で とわ が本名だ」
86番「なげけとて月やはものを思はせる かこち顔なるわが涙かな」については、「この歌は若い時の歌らしいが、どこがいいのか現代人にはわからない。老いた定家の心にひびく何かがあったのかもしれないが、百人一首に折々ある なんでこんな歌が の一つである。西行の歌としておよそ魅力のない歌で、古来からいぶかしがられている。西行の歌は、当時の歌風とやや、趣を異にし、現実感、具体的な描写があって、新しいセンスがある。この時代の歌人のように、机上で思いを凝らして作った歌とちがい、西行はあちこちと旅したからであろう。彼の歌集 山家集 は現代人がページを繰っても違和感なく、その世界に入っていける」