家には掛け軸と色紙の二つの書がある。親交のある書家の筆によるものだ。掛け軸には「若拙」、色紙には「和敬」のそれぞれ二文字が書かれている。「和敬」は禅語に「和敬静寂」というのがあり、相手の個性をそのまま認めて一緒に過ごすのが和という意味のようだ。「若拙」は老子(紀元前6世紀)の「大功は拙なるが若(ごと)し」に由来する。能ある鷹は爪を隠すと同義という。(日展会場にて)
菜根譚では「真廉は廉名なし、名をたつる者はまさに貧となすゆえんなり。大功は功術なし、術を用うる者はすなわち拙となすゆえんなり」とある。貧はむさぼるで、後句は老子の先ほどの名言からきている。菜根譚のキーワードは「拙」かもしれない。「文は拙をもって進み、道は拙をもって成る。一の拙の字に無限の意味あり」とあり技巧を捨てよという。
その例として「桃源に犬吠え、桑間に鶏鳴く」など素朴で味がある文章だが「寒潭(かんたん)の月、古木の鴉(からす)」などは技巧が目立ち過ぎてかえって生気が失われていると続けている。ついでにこの条の解説によると拙は功の反対で、まずくとも修めていけば上達することは「拙修」、つたなきを守って己の分に安んずることは「守拙」、下手でも誠実なことは「拙誠」という熟語が紹介されている。
悠々自適の意味を考えざるを得ない条もあった。「魚釣りは楽しい遊びだが生殺の心があり、囲碁などは上品な遊びだが勝負を競う心がある。そこで心を安らかにするのは事を少なくして悠々としたほうがよく、無能無才で一事に専心して自分の本来の姿を全うしたほうがよい」という。「碁仇は憎さも憎し、なつかしし」で勝負の結果に心乱れることが多い。素人碁なのに勝負を超越して楽しむという境地になかなか至らない。