玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*ふるさと元旦号

2017年01月16日 | 捨て猫の独り言

 家の前の私道で舗装工事が始まった。たかの街道に接道するこの地域の私道の出入口あたりは水たまりができるほど傷んでいた。たかの街道と玉川上水に挟まれたロの字型の私道の半分を舗装する。25年ぐらい前には全部を舗装したが、今回は半分しか舗装しない。理由は地元負担金の私たちの積立金の不足だ。工期は1月10日から3月上旬まで。集水ますを新たに5個設置するという。市役所との交渉などに動いてくれた二人の方がいる。感謝の念を伝えると「二年かかりましたよ」と教えてくれた。昨年度私は持ち回りの当番で、隣組に工事段取りの連絡をしただけだった。思い起こせば前回舗装時は家人が市役所との交渉にあたる主要なメンバーの一人として奮闘していた。(モクレンの芽吹き)

  

 たまたま立ち寄った図書館の「ふるさとの新聞元旦号展」で、奄美と沖縄の新聞を見た。奄美市にある南海日々新聞の一面コラムは「1970年、島尾敏雄は日本の歴史の曲がり角では琉球弧の方騒がしくなる」と書いたという文句で始っている。佐藤・ニクソン会談で沖縄の施政権の72年返還が発表されたのが1969年だった。そこで今回の「騒ぎ」とは辺野古新基地のことかと考えたのは私の早合点だった。この春は「奄美群島国立公園」が誕生し、来年の「奄美・琉球の世界自然遺産」登録に向けて大きく動き出すというのがコラムの眼目だった。他には『奄美の子どもたちが県本土のスポーツ大会に参加するとき、今年は「試合割」のような形で財政的に支援する』という三反園知事へのインタビュー記事もあった。

 琉球新報ではまず社説を記録しておきたい。見出しは〈「復帰の誓い」今こそー米軍優先に終止符を打とうー〉だ。【復帰前年1971年の沖縄国会で「沖縄米軍基地縮小に関する決議」が採択され、佐藤首相はその直後に発言を求め「この問題に真剣に取り組む方針である」と述べた。これは政治の責任として歴代政権が引き継ぐことは当然である。だが安倍政権は「米軍基地機能強化」を「沖縄の負担軽減」と言い換えるなど不誠実な対応に終始している。復帰前は米軍基地と米政府が県民の前に立ちはだかった。安倍政権になってからは、日本政府が県民の弾圧に加わったと言わざるを得ない状況がある】 また翁長知事はインタビューで「オスプレイの墜落事故も発生し県民の不安が現実的なものとなった。県民は一つ一つを見ながら、また心を一つに、新基地建設に反対、オスプレイ配備撤回へと力強く頑張っていくと思っている。私もそういう県民の思いと一緒に、広く県内、国内、ワシントンDCにも行って、実情と私の決意を伝えていきたい」と述べている。

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