ふと養老先生をおさらいしておくのも無駄ではなかろうと考えた。脳の中で理解の邪魔をするものが「バカの壁」である。その壁の構造を考えると脳の中での「情報量の重み」がゼロのときは人は情報を得ても「バカの壁」が邪魔して何か新しいことを考えようとはしない。この状態は「無関心」と呼ばれる。
「重み」が無限大に近いときのことを「原理主義」という。「自分は絶対正しい」と思う人はちょっと危ないと思ったほうがいい。そういう人は他人の話を聞こうとしない。近年このような人を世界中によく見かけるようになった。また「バカの壁」は「思い込み」あるいは「勘違い」の別名と考えることもできる。
現代人は「情報」は常に変化し、「わたし」は変化しないと勘違いしている。文明が進んでいくうちに「からだ」を使わなくてもいいようになっていき、多くの人が自分の「からだ」のことがわからなくなった。たとえば8時間眠る人ならば人生の三分の一は「無意識」のうちに過ごしている。自分が100%正しいと思ってもそこに寝ている間の自分の意見は入っていない。
「周りのひととのつきあい」が密接だった田舎がどんどんなくなって都市化していきました。この「周りの人とのつきあい」も「からだ」や「無意識」と同様に現代人が考えなくなってきたことのひとつです。「自分は絶対正しい」と思っている人は自分が変わらないと思っている人です。変わらない自分はとても素晴らしいと思っているのでしょうが、そういう時点で新しくものを考えなくなっているのです。