玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*医療と介護と

2025年02月17日 | 捨て猫の独り言

 仏教では人生を苦と捉え、人間として避けられない四つの苦しみに生老病死があると説く。生まれることがハッピーでなく苦なのか。これは苦しみとは思い通りにならないことと考えれば、なるほど人の誕生も苦なのだ。「人生は重荷を背負うて遠き道を行くが如し」の家康は人の誕生をどう捉えていたのだろう。

 老と病はまさに人それぞれである。生まれたときから介護なしでは生きてゆけない人もいるし、ピンピンコロリの人もいて千差万別だ。ここでは、私がよく知る女性(80歳)について話そう。彼女はちょうど50歳の時に致死率7割と言われるくも膜下出血から生還する。手術の際には執刀医に当時医学生であった長男を自分の手術に立ち会わせたいと懇願し、それは認められた。

 60歳の定年の直後にはピースボート船旅で世界一周したり、その後もパートの仕事を続けるなど元気だった。そして72歳の夏に、最初のてんかん発作に見舞われる。けいれんは年に一度ぐらいの割合で2~3年おきに起きたものの体育館にも通ったりしていた。そして75歳のとき、たまたま脳動脈瘤が見つかり予防的に2度目の開頭手術を断行する。その後も平穏無事にくらせていたが、昨年あたりから体重は激減し、咳が頑固に続く肺MAC症にも悩まされるようになった。そして軽いけいれんではあるがその頻度が増していく。

  

 薬を服用していてもけいれんはなんの前触れもなく起きる。単独で出歩くことに恐怖心はないのか尋ねたことがある。返事は「そんなことを考えていたらなにもできはしない」だった。そして、つい最近の今年の1月末に、けいれんをおこし一週間の入院という事態を招く。拘束帯で自由に動けなくなるなどストレスの多い入院でますます体力は奪われていった。退院後、今まで出来ていたことができなくなっている。焦り苦しんでいるはずだ。あるがままを受け入れて、今こそ彼女を支える時だろう。でも私一人の力では乗り越えることは不可能だ。これまでは医療だけだつたがこれからは医療と介護という二つの制度に頼ることになる。ひとは一人で生きられない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする