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「竹のドラゴンボール」 上野正夫

2016-01-20 14:09:25 | 上野正夫
1997年3月20日発行のART&CRAFT FORUM 7号に掲載した記事を改めて下記します。

竹のドラゴンボール(埼玉県秩父郡吉田町での試み)
 1992年の10月に千葉県安房郡三芳村で「素材・感じる自然展」という野外彫刻展が開催された。私と英国のValerie Pragnellの二人の作家が村から作品の制作を依頼された。作家が自分で作品の設置する場所を選定する事や、その場所から受ける印象を作品の主要なテーマにする事などで当時話題になった。この時に制作された作品を見に来て感動した吉田町の人たちから、私たちの町でも同様の制作ができないかという相談があった。
 そのころ若手建築家の日詰明男が、自ら考えた星篭を竹を使って大きなスケールで作って見たいと考えていたので吉田町の人達に紹介することにした。彼は高次元幾何学の専門家で準結晶建築を実現するための具体的な架構技術をすでにいくつか発見していた。星篭もその一部であった。吉田町の人たちは星篭の制作にあたって、ボランティア・グループを結成した。30代から40代の人達が中心のこのグループは日詰明男の星篭をもじって「星ボックリの会」と名づけられた。文化活動がボランティア・グループによって始められ、その後、NonProfitable Organization(非営利機構)やFoundation(財団)やSocity(ソサエテイー)に発展していく事は、欧米ではめずらしくない。けれども日本では、造形美術に関する活動に対して人員や資金の支援をするために自発的にグループが組織された例はまれだ。今後予想される政府による関連法案の整備に合わせて星ボックリの会の組織もはっきりしたかたちになってくるのかもしれない。欧米での文化活動の現状をかんがえると、日本にはめずらしい将来性のあるグループだと言える。

 日詰明男の計画にしたがって星ボックリの会は長さ6mの真竹を300本伐採し制作を手伝った。竹は水はけのよい急な斜面にはえている場合が多いので、伐採の作業は急斜面の藪の中を6mの竹をかついで上り下りする事になり、慣れている人でもかなりきつい仕事だ。藪蚊との闘いも大変だったようだ。1994年の11月には300本の竹の伐採を終えて制作を開始した。その冬には日詰明男と星ボックリの会による直径8mほどの星篭が西秩父を見下ろす丘の上に完成した。日本で最初の準結晶建築の実現でもあった。この作品は筑波大学で開催された形の科学会で発表され大変好評だった。彼はこの後、町の保険環境課からの依頼で「黄金比の階段」を作った。小さな谷の勾配をたくみに利用して自然素材で作った階段は風景の中に溶け込んで、違和感を感じさせない。階段の歩幅が黄金比になっていて歩きながら黄金比のリズムを感じさせるように設計されていた。風景に調和して、さりげなく道路の脇から山頂に向かって延びているこの階段は、コンクリートの土留で覆われた山道の単調さに比べれば数倍楽しい。このような完成度の高い作品を受容する地域には、それを判断するためのある種の共通な感覚に基づく基準がまだ残っている様に思える。秩父地方は関東でもかなり古くから開けた地域で、かっての文化的な蓄積が今も息づいているのにちがいない。

 1995年の2月には山形県山辺町の「まんだらの里雪の芸術祭」で招待されて来日したイギリスのTrudi Entwistleが山形からの帰りに一週間ほど山逢いの里に滞在した。彼女は私の友人のIan Hunterという彫刻家の大学での教え子で、植えた柳を編み込んで大地に根付いて成長する彫刻を作り出すまだ20代の作家だ。関東で柳が芽吹く2月の下旬が柳を植える時期だといわれる。星ボックリの会の人達は町中の柳を探したが、造形に適した行李柳は見つからず、河原に自生していたネコヤナギ等を植えて作品が制作された。柳は水辺を好み、枝をさしただけで簡単に根づく生命力のある植物だ。今では、龍勢会館の水辺に作られた作品の一部は完全に根づいて、今後の展開が期待される。生きた柳を毎年編む事によって形を作っていく彫刻は植えた瞬間には完成しない。その年に伸びた枝をそのつど編み込むことで少しずつ形を形成していく。むしろそこに住んで毎年作品を管理する側の人達が作品を完成させると言ってもいい。その意味では、Trudi Entwistleの仕事はそのきっかけを作っただけかもしれない。その後、彼女はいくつかの計画案を星ボックリの会へ送った。

 私は1996年の4月から1997年3月まで東京テキスタイル研究所で「竹の教室」という講座を担当した。竹を単なる素材としてではなく、それをとりまく環境やその地域の文化も含めて竹そのものを総合的にとらえることを目的とした講座だ。97年の1月と2月は、吉田町の山逢の里で合宿し、野外作品を生徒達が中心になって共同制作した。「山逢の里」は吉田町下吉田に出来たキャンプ場で、コテージや宿泊棟や大きな浴室棟もあり野外活動のためにはかなり充実した施設だ。参加した生徒は実際に工芸作家として活動している人や教えている作家がほとんどで、かなりレベルの高い人達だ。11月に現地調査をして12月の授業で各自が原案を出して話合った結果、直径2m程の球体を3個、山逢の里に設置することに決まった。竹を使って球体の篭を三つ作ると言うことだ。使われる長さ6mの真竹30本は12月から1月にかけて星ボックリの会の人達が伐採してくれた。構造体は私が設計した。アジアやアフリカで古くから竹や藤を使って作られている鞠の形を骨組みとして利用した。実際のデーターはフラー(Buckminster Fuller)の作った物を参考にして、数理計算ソフトのMathematicaを使って作成した。この骨組みの方法は篭製作者の間で広く知れ渡っているが、大きな物を作る場合どうしても構造上の設計が必要とされる。

 1月11日と12日の吉田町は快晴だった。11日の1時頃に現地に着いて2時から竹の加工と骨組みの制作を始めた。竹割りと最初の骨組みの制作は私が担当した。先週積もった雪がまだ地面に残っていたが、日光の当たっている間はなかなかここちのよい温度だった。4時頃に秩父の山なみに日が沈むと、野外の気温は急激に下降し制作は困難になった。野外での制作は気象条件がかなり影響する。最初の骨組みの制作はすんなりとは行かなかったが、次からは順調に進み、12日の夕方には予定どうり骨組みが3つ完成した。直径40cmくらいの小さな球体が大きな球体といっしょにあると面白いという意見が生徒から出て、生徒達は家でそれぞれ1個ずつのちいさな球体を作ってくることになった。

2月1日と2日も晴天で作業はかなり急ピッチで進んだ。前回の制作で皆が竹のあつかいや現地の気象条件に慣れたのと、鞠の構造を体でおぼえた事が幸いした。人数も前回よりも多かった。3人の生徒と三宅校長親子とバスケタリーニュースの取材に来た篭作家の本間一恵氏と星ボックリの会の人達で十数人の集団になった。午後には目黒区美術館の榎本寿紀氏もかけつけた。骨組みの間にランダムに竹を編み込んでいく作業を続けた結果、生徒達が家で作ってきた3個の小さなボールと合わせて合計7個のボールができて、ボールの一部は龍勢会館の庭にも設置する事になった。龍が手に持っている宝珠(ドラゴンボール)の原形は意外にこんな形だったのかもしれないと思った。

 吉田町は龍勢で有名だ。毎年10月10日の祭りには全国から見物客が吉田町に集まり、静かな山里の様子は龍勢の豪快な発射音と共に一変する。龍勢は長さ十数mもある真竹の先に火薬をくくり付けロケットの様に天空に向かって飛ばし、その年の豊作を占う壮大な祭りだ。竹のロケットそのものも龍勢とよばれている。中国の雲南省やインドシナに広く見られる古くからの水神にちなんだ行事だ。龍勢は泰族の水かけ祭りの際に行われる龍舟のレースの時にも打ち上げられ、中国では高昇と呼ばれている。「龍勢会館」はアジア各地の龍勢を展示したり、吉田の龍勢をビデオで見せたりする、世界で最初の龍勢にかんする博物館だ。龍勢に関する研究センターでもある。町では、中国の雲南省シーサンパンナ泰族自治区まで現地調査に行っている。この時のビデオを見せてもらったが、雨期を直前にした景洪の町を流れるメコン河の河原で、竹で作ったいくつかの発射台から次々に打ち上げられる竹のロケットはすざましいものだった。泰族の水かけ祭りでの光景で、これも水神に関する祭りだ。私は竹に興味があって、かって一カ月ほど景洪の町に滞在した経験がある。近郊の村々では、寺院の仏像の背景には必ず水神のナーガが祭られていた。村外れの共同の井戸はとても大切にされ、村ごとに特徴のあるカラフルで装飾的な屋根がかけられていた。

 水神はインドシナではナーガで、中国に渡って龍になったといわれる。フラーの著書、TETRASCROLLやCritical Pathを読み返して見ると水神のナーガに関する記述がよくでてくる。フラーは竹などの六つ目編みによる篭の製作技術は竜(ナーガ)を信仰する海洋民族によって、南太平洋やアジアやアフリカのマダガスカルや南米の一部に伝えられたと考えていたようだ。六つ目編みによる竹篭を竜を信仰する海の民が伝えたとする解釈だ。中国語では、龍も籠もロンと読み同じ発音だ。ウーロンチャ(鳥籠茶)のロンだ。おそらくナーガ(龍神)の信仰と縄や篭の製作技術は大古の同時期に相互に関連しながら発生したものなのだろう。力学的にみると、縄も篭も一種のエネルギー集積装置だ。
 晩年のフラーはナーガに関する著書を出版する計画をしていたとも言われている。六つ目編みの六角形は球面を覆う為には12個の五角形になる。12個の五つ目編みによって編まれた球面がアジアやアフリカの海辺で古くから竹や藤を使って作られている鞠の形の一つだ。これがフラーが提案した31個の大円のうちの6個の大円にあたる。
竹は雨期のある地域に成長するし、加工する時もよく水につけるので水と関係が深い。そもそも青竹そのものの比重は水に近い。そんな事もあってか、竹の教室の生徒達と星ボックリの会の人達によって作られた7個の球形の篭は竜にちなんで「ドラゴンボール」と名づけられる事になった。












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