4ケ月ほど前のこと娘たちがガスのコンロは危ないからと言ってIHのコンロを送ってきた。えっ!このガスコンロとても便利で慣れているからと言っても聞かない娘たち。昔のコンロと違って湯沸しも自動で止まるし,天ぷらの温度調整もしてくれていたのでお気に入りだったガスコンロだ。
ところが最近になり高齢者向けの文書で電気のコンロにする方が安全面でよいと書かれていたのを目にし、やっと納得しつつ、電気コンロの扱いにもなれてきたこの頃だ。
娘たちに感謝せねばならない。
4ケ月ほど前のこと娘たちがガスのコンロは危ないからと言ってIHのコンロを送ってきた。えっ!このガスコンロとても便利で慣れているからと言っても聞かない娘たち。昔のコンロと違って湯沸しも自動で止まるし,天ぷらの温度調整もしてくれていたのでお気に入りだったガスコンロだ。
ところが最近になり高齢者向けの文書で電気のコンロにする方が安全面でよいと書かれていたのを目にし、やっと納得しつつ、電気コンロの扱いにもなれてきたこの頃だ。
娘たちに感謝せねばならない。
毎日があっという間に過ぎて行く感じがする。そして知らぬ間に自分が80歳になってしまったことに驚いている。昨日もリハビリのデイサービスの人たちと同じようなことを話していた。
「ほんま知らぬ間にこんな年齢になってしまっていたなぁ・・・」
器具を使っての運動の合間の時間にいろいろのことを話し、笑いあったり共感したりで楽しい時間でもある。
昨日もスタッフの一人の方と話していて同じ京都の千本通り近くに住まわれていたことがわかり何だか嬉しくなった。又、同じ利用者のなかに同じ高校に行き、同じ学年だったことがわかり感激したが、夫々なんとなく縁のようなものを感じる。
9月の末にやっと固いコルセットを外せることが出来た。
暫くは何となく腰が頼りなく感じられ家にあった弱いコルセットを装着していた。暑い期間の痛かった日々が思い出される。
家の中で杖と鋏棒をもって歩いていたが、だんだん良くなるにつれて自ずと杖も鋏み棒も使わなくなった。
この間 沢山の人に支えられてここまで来られたことに感謝しなければと思った。
随分 涼しくなってきた。クーラーもつけずに済む。雨が降るかと待ち遠しく思っていたが同じ日本なのにまたまた能登地方や九州、あちこちで大雨による災害のニュースを聞く。輪島の方々は地震からやっと復興しつつあるなか またしても今回の大雨によると土砂災害。言葉もでない。
「踏んだり蹴ったりですわ」とテレビの画面で訴えられていた。
それでも何とか気を持ち直して過ごされることを祈っている。
20日の午後、暑い中をご近所の90歳になる知人がおはぎをもってきてくださった。「小豆を炊いて作ったのやけど失敗してしもうたわ、失敗したのを持ってきてごめんなぁ・・・お彼岸やし仏さんにちょっとお供えしてもらおうと思って・・・」と。
えっ!そうやお彼岸やったのやね~ すっかり忘れてしまっていた私。ショックだった 毎日朝夕お内仏にお灯明あげてお正信偈唱えている私は一対何ものやったんやろう・・・?
以前は私もおはぎを沢山作り配っていたりしたのになぁ。。
ちょっと今年はおかしい?暑さのせい? 体が弱ってしまったから?
認知症? どうも認知症が進んだかもと思った。先日もケアマネさんの交代で引き継ぎの会議が家で持たれたのにすっかり忘れて寝てしまっていた。
カレンダーに書いていたのだが、娘が来て起こされて慌てたなぁ
暑い中を持ってきてくださったAさんも来年はもう出来合いのあんこで作ることにするわと言われていたが、果たして来年 私はお彼岸を忘れずにおはぎを作ることができるだろうか?
座敷に20数年来かけたままのタペストリーが飾ってある。。時には他の物を吊るしたりしたがどうも落ち着かないので色褪せもせず部屋に馴染んでいるこれまでのものを架けていた。しかし最近そろそろ本気で変えようと思った。そこで思いついたのが葛飾北斎の「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」 波の絵。
以前にブログに書いていたが、葛飾北斎の描画に対する意気込み、生きる執念がすごいと感じ、その迫力に圧倒されつつ、勇気ずけられたからだ。
今の私にはこれが是非とも必要だと思った。ネットでいろいろ探し見つけて注文した。届いたちりめん布に描かれた「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」を掛けてみた。ところがこれまでのが大きかったので架け替えたのが小さくみえる。
えらいこっちゃ どうしょう あれこれ考えたがやっぱり元通り大きいのにした。買った富嶽は台所のよく見える壁面に貼った。いつもここでパソコンなどしている私に北斎さんがいつも励ましてくれてはると思えて良かった。
後ろに架けてあるタペストリーが今もなお
孫が10歳くらい 現在25歳
台風は自転車並みの速さで近畿地方にやってくるらしい。九州地方では被害が出ていると伝えられているがテレビを殆どみなくて最近はyou tubeのニュースで見ることが多くなった。まるでテレビを持たない孫みたいやなぁ・・・
圧迫骨折以来 心の方も一時は随分弱り落ち込んでいたなと思う.7割方以前の自分に戻りつつあると感じるが、その以前も杖をつきつきゴミ出ししているおばあさんやからね~
骨折していた間に朝顔の種を蒔きそびれてしまった。遅そがけに蒔いた朝顔が支柱もないのにお隣との間の柵に蔓を絡ませ咲いてくれた。
昨年はいっぱい咲いたのにそれでも朝顔の顔を見ると嬉しかった。よう咲いてくれたなぁ 私がこんなに朝顔のことを好きなのはきっと母のことを思うからだろう。京都の小さな家に住んでいたころ母は毎年狭い庭に朝顔を咲かせていた。
夏休みの宿題の日記に今日は朝顔が何個咲いたと毎日書いていたことを思い出す。
圧迫骨折してから1か月が過ぎた。動きも楽になってきているが、困ったことに目の具合が悪く杖をつきながら室内を歩くときもこけないかとそろりそろりと歩いている。パソコンやスマホの見過ぎにも注意しているが・・・
今日 整形外科に行ってきた。先生は9月一ぱいはコルセットをするように言われた 仏さまに全てをまかせる心はほんまにどこにいってしまったんやろなぁ・・・
16日は 京都の五山の大文字が灯される日だった。が、今年はすっかり忘れてしまっていた。私はそのことがとてもショックだった。毎年毎年見ていた送り火 滋賀に来てからもテレビでみていた。
40年も経つと忘れるものだろうか?私も人生の半分を滋賀で生活するうちにすっかり滋賀の人になってしまったようだ
圧迫骨折して今日で10日目。痛いです!!
固いコルセットして暑いし・・・横になるのも椅子から立ち上がるのも、顔を洗う時も。床に落ちたものを拾うのも大変!
とにかく屈んだりは絶対できないししてはいけない動作。
幸い横浜で仕事をしていた孫が戻ってきたので家に泊まってくれゴミ出しやその他いろいろしてくれ大助かりです。
孫がベッドに横になるのに往生し痛い痛いと言っている私をみて電動ベッドにしたらと言ってくれたのでケアマネーさんに連絡したら翌日介護業者さんがリクライニングベッドを運び入れてくださった。
これで少しは寝起きが楽になったようだ。
今、一番重宝しているのは杖と、何年か前に買った鋏み棒 これなしでは家の中では暮らせない~
第一腰椎の骨折だった。
えらいこっちゃです!!!
日曜日雨も上がったので前日買った花を植えようと花壇のところに行き、まずは伸び放題の雑草を抜いていたら突然何かにつまずいたのかドスーンとひっくり返り尻もちをついた。仰向けに寝た格好で起き上がれない。必死で立ち上がろうとした。
どうにか家の中までたどり着いたが強い痛みが腰に走る。
近くの外科の医者をと思ったが日曜で開いてない。娘に連絡し来てもらって救急車を呼んだ。救急車に運ばれるときも究極の痛みが走った。救急車の中で血圧や心電図を検査。ガタゴト振動がきつい道を病院まで運ばれ、腰のレントゲンを撮ってもらった。「腰の圧迫骨折ですね」と言われた。
固いコルセットと痛み止めのロキソニンをもらい娘夫婦の車で家に戻った。
まさかの出来事に自身驚き、痛みをこらえている。
火曜日いつもの整形外科に連れて行っってもらった。再びレントゲン撮影をした。でも今回は立ったままの姿勢だったので痛みも少なく横や斜めからの撮影ができた。その結果第一腰椎が骨折していることが判明した。
2週間くらいは痛みがあるが少しづつ楽になるから無理せず過ごすようにと言われた。骨密度の検査もしたら1年前より4%下がっていた。毎月骨粗鬆症予防の注射をしているのになぁ・・・
骨密度強化の食べ物レシピをもらい、紫外線にもあたるようにと言われた。
80歳以上になると4割の人が圧迫骨折するらしい。
毎日の蒸し暑さにまいっている。風があるのでと少しの間 外で庭の草抜きにでると(膝、腰が痛むのでほんの10分程)もう汗びっしょり!
冷え性だからと極力冷房を避けてきたが、さすがに扇風機だけではおっつかない。
えらいこっちゃ!です。
草 ぼーぼーには仕方がない目をつむろう!
そんな中 涼し気に咲いている花を見つけた。ここ数年姿を消していたアガパンサスだ。知人のNさんがあれこれ庭の整備をしてくださったからかなぁ・・・
アガパンサスの花言葉を調べてみた
へぇ~びっくり!こんな花言葉やったのですね・・・
昨日、今日と終活かねて2階の藤の飾り棚に入れていた諸々の整理をした。
出るは出るは写真や手紙、そのほか孫が遊んだゲーム機器やCD。特に多かったのは写真だったが。手紙類は選んで読んでみると、こんなに沢山の人達からもらっていたのかと驚いた。引き出しに入れたまま、長い年月忘れられていた品々。中には喜代美さんから和紙に毛筆で書かれた手紙も出てきた。
亡夫からの手紙も沢山あったが、私が書き送った手紙を読むと、なんと恥ずかしい内容。今だったらもう少しましな文章で相手のことを考えて書いただろうにと。
これらの手紙の殆どを処分することにしたが、考えれば、50年近く前だからこんなに手紙でのやり取りができたのだろうなぁと思った。今なら、書くこともなくスマホのラインで伝え即座に相手に届く。
しかし心を込めて言葉を選び文字を書いていく作業はラインでは得られない貴重なことのように思った。
昨今、AIに頼めば文章も考えて書いてくれるらしい。えらい時代になった!
韓国ドラマの「トンイ」はもう数十回見てきた。周りのものがあきれているが私は飽きもせず感動する場面を何度となく見る。考えればレンタルビデオショップで借りてきて見ていた昔は、返却の日のこともありそのようなことは面倒でしなかった。
しかし今は動画配信サービスで会員になっていればドラマの一話一話を選んでいつでも何度でも見られる。便利になったものだ。
最近は「奇皇后」を何度も見ている。朝鮮の国力が落ち、中国に貢女として連れていかれた女性が蔑視や嫌がらせ何度も殺されかけながらも生き抜き、やがては皇后になる話。
(日本でも朝鮮に対して先の戦争の時似たようなことをやってきた。)
演じている主人公は(女優 ハ・ジウォン)男性にも負けぬ武力の持ち主。
(これまでずっと闘いに強い女性に憧れてきたもので・・・)
中国の皇帝を演じているチ・チャンウクという若い男優もイケメンだがその演技がとても光っている。
あっ!はっ!はっ! 80のおばぁがと・・・笑わんといてや
昨日、娘から 5年前に亡くなった従弟の繁さんのお墓参りに行ってきたと電話があった。私も6月に入り繁さんの命日?かなと何となく思い出していたところだった。亡くなってもう5年になる。
娘が話すのには毎年家の前にやってくる蛍のことだった。
「おかしいと思わんといてな
6日の夜 外に出ると一匹の蛍が目の前に跳んできて、しばらく光を放って跳んだあとすーと2階のところまでいき消えていったんや・・・それが毎年6月の6日に。
そうや繁おっちゃんが来はったんや・・・お墓まいりに行っとこうと思ってお花もって行ってきた」
ようお参りに行ってくれたなぁ ありがとう!と私は嬉しくて心から礼を言った。
5年前に孤独死していた従弟の繁さんのことはこのブログにも書いていたが
娘の話を聞いてふと高倉 健さん主演の「蛍」という映画のことを思い出していた。
庭のアジサイが咲きだした。娘が植えてくれたマリーゴールドの花とともに賑やかで癒されている。
昨夜のテレビで紫陽花を逆さまにつるして飾っておくと病気にならないとい言っておられた。
次々に色が変わる紫陽花の花。花言葉は「移り気」と言われ病気に移らない、逆さまにつるして根がつかない「寝付かない」という諺があるそうです。
諺では他に金運アップなど多数ネットに出ていました。
昨日はリハビリデイサービスの日だった。
珍しく同じテーブルに高校が一緒だったMさんと隣り合わせになった。ディの運動の合間合間に高校の時の校歌や先生の名前、お弁当のこと、教科のことなど次々と話が弾み、京都市歌まで出て一緒に小さい声で歌ったりした。
同じテーブルの他の方には申し訳なかったが、
いつもは高齢者同士老いに関する体のことが殆どだが、昔の若いころの話に元気が出た。
滋賀県に来てもう40年、沢山あるデイサービスの中で同じ京都の同じ高校で学年も一緒だった方と出会うことが何と不思議でうれしいことだった。
校歌は忘れていたが、戦後ラジオから流れてくる京都市歌は今でも何とか覚えている。「ひかり~ひかり~光の都・・・ひかりの都 わが京都」
その京都もほんまに随分変わってしまったなぁ・・・