忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

逝った友、遺した言葉

2015-05-04 | 日々の業

憲法記念日の昨日 高校の友人の告別式に参列した。

昨年の4月 メールで入院したという知らせを受け 7月に退院するというメールのあと連絡が途絶え心配していた。

お見舞いに行きたい旨を同級の友人が伝えたところ丁寧な断りがあったと聞いた。「悪性リンパ腫」ということだった。

何年も会えずにいたが、メールや電話で元気な様子、不調な頃の話など聞く度にその声から懐かしい高校時代を思い出させてくれた。

昨年5月のメールには「僕ら好きなこと自由にして生きてきたしこれからもそうやで 昌平の名前なつかし中学からの友達やもんな」と亡夫とも同級生で仲がよかった彼だった。

遺影の彼は年を経て髪が薄くなった感じの中、さわやかな顔で笑っていた。

いくつかの弔電の中のひとつに「シュピレヒコールと呼びかける貴方の声は美しく力強く響きわたった」という言葉があり、やっぱりなぁ・・・と聞いていた。頑張って組合運動してきたんだねぇ・・・。

50年余り前 手紙で「貴方の後に続き僕も○○候補になりました」という知らせを貰った時は嬉しかった。

お酒が好きで歌うことが好きで冗談が好きで 亡夫とそっくりやんか・・・・・・・

早くに逝ってしまった亡夫に会って「やぁ  ほんま久し振りやなぁ 何年会ってへんやろ まぁ 一杯いこうか そやそや 彼女ももうすぐこっちへくるかもなぁ  そやけどあいつしぶといし 病気してもまだしばらくはあっちに残っているかもな」なんて言いあっているかもね。