忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

先生のご冥福をお祈りしつつ・・・・・

2018-06-18 | 日々の業

先週の水曜日 小学校の時にお世話になった恩師が亡くなったという連絡を受け、金曜日の告別式に参列した。

68年ほど前 学校という集団の中で初めて出会った先生と言われる人との出会いだった。

他の人たちの多くは幼稚園に行っていた人もいて、集団生活にそれほど抵抗がなく、顔見知りもいたのだろうが、私には全く新しい世界だった。

そんな中、優しく透き通るような声で「○○子ちゃん」と呼びかけてくださった人が岡本先生だった。

一人っ子で自分のことしか目に入らない小さい女の子だった私がこの優しい先生のお陰で初めての集団生活に慣れ、そして先生にも随分可愛がられた。

あるときは数人で先生の自宅に遊びに行き、ご馳走になって、帰るのが遅くなり、その当時はなかなか乗れなかったタクシーで家まで送ってもらった記憶がある。

今から思えば戦後7~8年のことだった。嬉しくて絵日記にその当時の様子を書いていたことを思い出した。

小学校の3年間、体が弱く、度々学校を休んだがそのたびに 家庭訪問をして様子をみに来てもらった。

又、結婚されて、子供さんが4~5才の頃にも皆でご自宅に遊びに行ったりした。

小学校を卒業してからは、お目にかかる機会も少なくなり、一度だけ私の30代くらいの時に数人で先生を囲んで食事をしたくらいだった。

その後、だいぶして先生が倒れられ、意識がはっきりしないという状況を聞いたが、なかなかお見舞いにも行けなかった。

戦後 小学校に赴任され2度目の担任として私たちを受け持ってくださった、23歳くらいの若き教師だった岡本先生。

お見舞いにも行けなかった自分を恥つつ先生へのご恩を想い旅立たれた先生のご冥福を祈った・・・・・

昭和26年 小学校入学時の写真 二宮尊徳像が後ろに。

履物もズック靴や下駄、長靴を履いている。