忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

棕櫚のほうき

2010-06-12 | 日々の業

毎日の掃除は本当に際限がなく、自分で今日は此処をきれいにするとか、あそこの片付けをしようとか自分で決めてやらないと、どうしょうもなくなってしまいます。
人が生き、そこで生活するには出来るだけ気持ちのよい空間に身をおきたいと思います。でもそれも人によって夫々思う度合いが違ってくるのは当たり前なのでしょうね。
友人は毎日 4 時間 掃除をするといって私を驚かせました。
歳をとってくると目は悪くなり見えにくく、隅々のほこりも目に入らず、お風呂場の掃除も腰や膝を曲げて洗うのが億劫になって、ついいい加減に済ませてしまいます。
雑巾がけもやはり腰に負担がかかり、ここ数年前からは紙がもったいないと思いながらも、クイックルワイパーなんぞを使っています。
また、最近は掃除機に変わってシュロのほうきを使うことが多くなってきました。これが、使ってみると、細かい髪の毛や隅々、桟の上、サッシの溝なども掃けて、なかなかの優れものです。
遠い昔、母がシュロの箒でよく掃除していたのを思い出しました。
いつから掃除機を使い出したのか、忘れましたが部屋での箒の存在が薄れてきていました。
ほこりが飛ぶから何となく掃除機の方がよさそうだと思っていたのですが、考えれば掃除機だって後ろから埃を出しているのでした。(近頃のものは埃を出さないのもあるらしいけれど)
エコにもなるし、手軽だしこれからも多いに出番が多くなりそう。
でも、私の使っているものは、どうもほんまもんじゃないみたいで、ホームセンターでとても安くかったものです。本当の棕櫚の箒はすごく高いものが多く、いつかはその箒を手にしたいなあと思っていますが・・・・

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