小学5年生の孫が学校の国語の授業で今「百年後のふるさとを守る」という物語を毎日家に帰ってから音読している。戦前から戦後の10年間小学校の教科書にものっていた「稲むらの火」の話である。
津波から村人を救うために刈り取ったばかりの稲束に火をつけ高台にある五兵衛(主人公)の家に皆を導き助けた話だが、この主人公となった実在の人物 浜口儀兵衛が1854年マグニチュード8.4の大地震のときにとった行動が語られている。
田畑や家屋のほとんどが津波でおしながされ打ちひしがれた人々を見て、紀州藩に援助を求めるが返事がない。人々は希望を失い村をすてようとする人まで現れる中、儀兵衛は村人自らの手で堤防を作ろうと決心し、材料費も賃金も全部自分と店からだして村人たちを堤防つくりに参加させていった。
松の木を堤防にそって数千本植え全長600メートルの広村堤防は4年にわたる工事で完成した。堤防完成から88年後 和歌山沖に発生したマグニチュード8.0の大地震は広村に4メートルの津波となって押し寄せたが、この堤防によって村の大部分が浸水の被害から免れることができたと記されている。
和歌山県広川町役場前にある稲むらの火 広場に建つ浜口 儀兵衛の像
最後に儀兵衛の堤防づくりから学ぶこととして、物質的な援助だけでなく生活援助を防災事業として行い住民同士が、助け合いながら自分たちの住むところを守るのだという意識を促したことだと書かれ自助と共助の意識なくして災害後の真の再生は望めないし今日ではこれに国、などの公助が加わるのは当然であるとしている。
東日本大震災のこともありこの教科書は前倒しして学んでいるようだが、ちょっと5年生のはじめとしては難しい漢字が多く出ていて読むのに四苦八苦していたが、大人が読んでも考えさせられた。
しかし、NGOの方だったか民間の組織が被災され避難されている人たちに呼びかけて瓦礫の処分などの仕事を何がしかの賃金でしてもらおうと働きかけられたら、失業手当のこともあり、行政が難色を示したという記事をみた。
お金だけの問題じゃない上記の儀兵衛さんのような大きくふかく見つめる暖かい気持ちが必要な気がしたが・・・。
浜口 儀兵衛(1820-1885)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます