紙に書いた自分のメモが、何日か経つと読めなくなり、そのままごみ箱へということがあります。
6Bの鉛筆書きにそれが多く、万年筆の走り書きにはあとで読めないものがほとんどないのはなぜだろうかと考えてみました。
筆が動いているときの頭の働きが、鉛筆と万年筆では違うようなのです。
鉛筆は動き回ってそのあとが残るので、筆記しているという感覚が薄いようです。
万年筆では、紙にインクを塗り付けていくので、書いてる感がそのときにあって、上の空で筆記具だけが走り回ることがない、そんな気がします。
万年筆の場合は、字でも絵でも、書いて残されていくのに、鉛筆では、動いた後に残ったのがくねくねとした曲線でしかないことがあるのです。
鉛筆には眠りの精が、万年筆には目覚めの精が宿っているのでしょうか。
ボールペンではどうか、使いやすい太字がない、ペンが先に走ってしまう感じが嫌で、所定の用紙に黒のボールペンでと指定されたもの以外には、ほとんど使いません。
メモが必要なとき、手元にボールペン以外に筆記具がないときでなければ、ボールペンのメモは残りません。