言葉は、単語の組み合わせによって意味が生まれる。
さも真面目そうな言葉を並べて、意味のないことをぺちゃくちゃしゃべり倒す人もいる。
ちょっと意味を解しにくいけれどもだいじなことをギャグに仕立て、挨拶に織り交ぜて話すのが得手な人もいる。
それが、ギャグの通じない相手が揃った場では、笑い声さえ聞こえない。
なかには、ギャグをギャグと受け取らずに、問題発言に作り直すいたずら記者もいる。
このいたずらをまた、いたずらと受け取らずに、大騒ぎのタネにするバカなメディアが現れると、他社も遅れてはならぬと、すぐ寄り集まる。
世界中から注目されている大イベントを取り仕切っている人を引きずり降ろして、イベントのぶち壊しを狙う人もいる。
こういうテロ同様の所作を、舌なめずりをしながらやってのける悪人も出てくる。
騒ぎのもとはギャグ発言ではなく、言葉を切り取って差し芽に使った坊やのいたずらにあるのだが、そんな言葉切りが、困ったことに流行の兆しを見せている。
こんな騒ぎに拍手やヤジを贈るのが、大手メディアやTV局、アホな国会議員とあっては、国の文化水準はガタ落ちとなるのだが、それも全く意に介されることがない。
コロナで景気はガタ落ち、アホ騒ぎで国の評判もガタ落ち、こんなことで歴史のページはどんどん汚れていく。
それを子々孫々の人たちは引き継がねばならないのだ。
こんなことでいいのか。