南無煩悩大菩薩

今日是好日也

白虎竜。

2007-05-28 | なんとなく落書。

メラニン色素の変異する染色体の特異変質。

生きた化石とも言われる悠久の系統相続。

幾度となく再生可能な細胞再現性。

獰猛な瞬発力と変温の緩慢。

雲を呑み土を食らう。


夢か現か分からぬ不実不詳。

その名。


ホワイトタイガードラゴン。



落書きは楽描き恥掻き。

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五輪。

2007-05-26 | なんとなく落書。

空 風 火 水 地


生きとし生けるもののみならず、在りとし在るもので五輪ならざるものはないという。


密教の世界観であります。

かの宮本武蔵は、剣の奥義をこの五つに分けて書き残しました。五輪の書。

オリンピックの五輪とどういう関係なのか、存じ上げません。



ありとあらゆるものの成り立ちを五つの要素で考える。

3,5,7と言う数字は、要素の違いを分類する際によく使われます。
3択では大まかすぎ、七つでは焦点がぼやけてしまうこともままありまする。


五大。五輪。生活智としてもさることながら、人間智としても何かを秘めておるようでございます。


大日如来、釈迦如来、多宝如来、阿弥陀如来、薬師如来、の五大五輪。

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見果てぬ夢。

2007-05-25 | なんとなく落書。


どうだろう。


わしら夢かないますやろか。



滑稽といわれれば、そりゃまあそうです。




どうだろうねぇ。



未だならぬ、見果てることの無い大望。



ゆめみてみます?


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万葉の調。

2007-05-24 | なんとなく落書。

血が騒ぐ。とでもいうのだろうか。

この調べには、大和(やまと)の国のなにものかを呼びかけるなにかがあるのである。





籠(こ)もよ み籠持ち堀串(ふくし)もよ 

み堀串(ぶくし)持ち

この丘に 菜摘ます児(こ) 家聞かな

告(の)らさぬ そらみつ 大和の国は

おしなべて われこそ居(を)れ しきなべて われこそ座(ま)せ

われこそは 告(の)うめ

家をも名をも よい籠(かご)に 堀串を持って この丘に

菜をつむ乙女よ

おまえの名は。家は。

空見つ大和の国は このわたしが治め 住むところ。

さぁ お言い おまえの名は、家は・・・。


-雄略天皇「万葉集」-

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艶次郎。

2007-05-23 | なんとなく落書。

固有名詞ではない。

自惚れの強い人間を山東京伝さんは、こう伝えている。


世俗。とは面白い。

人の噂も、なにかようか、ここのかとおか。

人の口に戸は閉てられぬ。


心得違いに恋の横車。


艶次郎とはまた得て妙な響きである。

自惚れに艶次郎。

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萬願。

2007-05-21 | なんとなく落書。

一芸に秀でるものは諸芸に通ず。


人にはよい所があればわるい所もある。

どちらか一方だけということは人間ありえないのであります。

向学の為の努力が苦にならないこと、集中と継続に飽きないことは、自分本来の面目に関わることであり、それがよい所であり、みづからの強みの発露につながることであります。

唯一無二の存在である、「自分」というものの声に接したとき、人からはどう見られようが、「自分本来の面目を保った」という唯楽喜悦の境涯への、一本道になるのであります。


みづからの面目にかける。


萬願如来は、その心意気に降臨するのであります。


偉大なるかの葛飾北斎は、90年ほどの生涯の終わりに、「あと1年生かしてくれたら、わしは本当の絵というものがわかる」といったと聞きます。
晩年の画号は、画狂人卍。壮絶なる面目であります。



すくなくとも、ましなところとどうしようもないところを間違えないで、本来の面目を問いつつ、萬願に向かいたいものであります。





「願わくは 花の下にて春死なん。そのきさらぎの 望月の頃。」
-西行-



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掲諦。

2007-05-20 | なんとなく落書。


證道よ。証道よ。彼岸への證道よ。


汚されることも無く、清浄となるのでも無い。

損耗するものでは無く、増大するものでも無い。

感覚は無く、思弁も無く、行為も無く、認識もない。

明(さとり)は無く、不明(まよい)も無い。

知なく、対象なく、所執無きが故に。

真実なり。不虚なるが故に。

掲諦。掲諦。波羅掲諦。

彼岸の完全な證道よ。証道よ。さとりの知恵よ。霊験あれ。


一切 智ある者に 帰依し奉る。


-般若心経意訳抜粋-


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飼牛の図。

2007-05-18 | なんとなく落書。

牛を知る。

牛を探す。

牛を見つける。

牛を捕まえる。

牛を飼う。

牛と共に生きる。

牛を忘れる。

花は咲き鳥が鳴く。




牛はそれそのもの。

僕たちの牛とはなにか。

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出世大明神。

2007-05-17 | なんとなく落書。

他を抜く。

この生き物をあがめると、出世すると言う。



虫、菜っ葉、肉に大豆にヨーグルトに、木の実・・・。な~んでも手当たり次第の、口に入るものならなんでもの旺盛な雑食性。

それでもって、もし消化不良なら、こっそりと吐き出して、しらんぷり。


かっこええとは、おせじにもいえまへんけど、愛嬌のある容姿ですから、天敵はあんまりおりまへん。


いけずにすぎるような、化かし方はしまへんで。チャーミングをこころがけてますんや。


なんや知らんけど、出世大明神。て言われます。


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ビリーホリデイ。

2007-05-16 | なんとなく落書。

コーヒー豆を齧りながらオンザロックを呑む。

レコードプレイヤーにかかるのは、ビリーホリデイ。

昭和50年代の僕は、そんな呑み方が気に入っていた。

安物のレッドを、チリチリと喉に通しながら、苦酸っぱいサントスの豆を齧る。

「奇妙な果実」と言う曲を聞くたびに、甘いのか苦いのか分からない感傷が顔を出す。

その頃は、彼女の曲の背景にあるものを本当は理解していなかった。


音源の雑音か、レコード針のノイズか。
がさがさとした、あの頃が懐かしい。




と。たまに想うのであります。

こころのがさがさを、臆目も恥じも外聞も無く出せる中年になり、わいわいどやどやと酒をあおり飲むばかりが能のこの奇妙な生き物になってしまった私。


人種間の偏見と嗜虐の背景の中から生み出された彼女の声と旋律に耳を傾けると、僕は救われたような気持ちになる。


アルコールに似合うミュージシャンでありながら、アルコールに逃げることを許さない何かを感じるのであります。


柄にも無く。 

珠玉の歌姫。ビリーホリデイ。
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寿山の風景。

2007-05-14 | なんとなく落書。

ことほぎのふうけい。



ことほぎ川。

ことほぎ街。

ことほぎ山。


なんということはない普通の中のことほぎ。


なんということもなくうかびめぐるたたずまい。


茫洋とする記憶に茫洋とする想い。


わるくない。

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浮世舟。

2007-05-11 | なんとなく落書。


夢のうちは 夢もうつつも 夢ならば


さめねば夢も うつつとを知れ。


-覚鑁和尚-





乗合わす 人のまれにも さめてみよ


うつつ夢こぐ 浮世舟。


-無山人無屋-

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じゅうろく。

2007-05-10 | なんとなく落書。

じゅうろく。てなんですの?


「ごごの紅茶。はっぱでドカン!。いちいちうるさい。」
ときたらなんやねん?


あ。獅子。か。
ややこしいことしなはんな。


ひまなんや。


話しちゃうけどな、「骨折り損の、くたびれもうけ。」ちゅうことわざありますやろ。

わしこないだな。経験したんやで。



なんですの。


あんな。「飛び降り損じて、くたばりそうや。」


ちゃうやん。




面目ない。

真面目にいくわな。獅子は千尋の谷に子供を突き落とす。いうやろ。
剣のな、極意でな、ええ教えがあんねん。


「きりむすぶ 太刀の下こそ地獄なれ とびこみゆけば そこが極楽。」


じゅうろくの気持ち。わかるやないか。

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にょしょう。

2007-05-09 | なんとなく落書。

僕は男だから思うのかもしれないが、想像力を逞しくしてくれる対象としては、やはりにょしょうの不可思議は大変魅力的かつ神秘的なのです。

如来や菩薩はもちろん、般若や閻魔までが、ひとおしくにょしょうの化身に思えることがあるくらいです。

棟方志功さんは、プリンプリンの菩薩や如来を彫って確かこんな風なことをいっておりました。
「ありがたいのは、額に光輪を入れるだけで、全てが崇高さを持つのです。」と。


わかるきがします。


にょしょうのなにをもって、崇高なものとするのかは、男の甲斐性であり、またエゴイズムなのかもわかりません。


ないものねだりの子守唄。のような心持で、わたしは「じょせい」とはちがう「にょしょう」を描いてみたくなるのです。

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飛込。

2007-05-07 | なんとなく落書。

早いところでは、海開き。

あさりも、あっさり食えなく、何トン無駄か、プランクトン。

もとい。



飛び込む。

ここは思い切って飛び込む。


虎穴に入らずんば虎児を得ず。

窮鳥もふところ入れば撃たれまい。


童心に飛び込むことを忘れまい。

もちろん。童心に木に登ることとて。

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