(picture/source)
比とはなんです?
比とは比例よ。
比例とはなんです?
比例とは比よ。
それでは比と比例とはなんです?
それは知らん。一つづつならわかるが、二つを並べ比べるとなるとそれは厄介である。
Ludovico Einaudi - Night (Official Video)
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比とはなんです?
比とは比例よ。
比例とはなんです?
比例とは比よ。
それでは比と比例とはなんです?
それは知らん。一つづつならわかるが、二つを並べ比べるとなるとそれは厄介である。
Ludovico Einaudi - Night (Official Video)
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親二人子二人の家庭で、三個のバナナをみんなで一つづつ食べました。
そんなばななことができるのでしょうか。
と思ったらどっこい。婆さんと娘と孫の家庭ならできます。
娘と孫にとっては親二人、婆さんと娘にとっては子二人。
しょうもな、ではございません、なんというか、二つとないから真実なのに、「もう一つの真実」なんて言う言葉が流行る今どきですからこその大事。
「Princess Mononoke」「Ashitaka and San」/ Song by The Breeze Adventures 「もののけ姫」「アシタカとサン」ザ ブリーズ アドベンチャーズ
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「ぼくは放浪している時 絵を描くために歩き回っているのではなく きれいな景色やめずらしい物を見るのが好きで歩いている 貼絵は帰ってからゆっくり思い出して描くことができた」ー山下清
Scatman (ski-ba-bop-ba-dop-bop) Official Video HD -Scatman John
52歳で歌手としてメジャーデビューし57歳で亡くなったジョン・ポール・ラーキンは、自身の障害である吃音を逆手に取った、模倣が困難なスキャットと、1回に4つ近く音の調子を変えるという珍しい歌唱法(このテクニックは古いヒンドゥ教の喉で歌う歌唱法から取り入れた)を用い、独特のジャンル『テクノスキャット』を開拓した。
(gif/Rat Race)
(fig/Brawl)
Ninety-nine percent of who you are is invisible and untouchable. -R. Buckminster Fuller
Max Cooper - Order From Chaos (official video by Maxime Causeret)
(gif/source)
悟りとはそもさん、糞取る箆。
あなたの・・若しくはわたしの・・若しくは皆徒然の・・ビューティ・・・
‘The most beautiful experience we can have is the mysterious. It is the fundamental emotion that stands at the cradle of true art and true science.’ - Albert Einstein. From Beauty and by Rino Stefano Tagliafierro.
B E A U T Y dir. Rino Stefano Tagliafierro (2016 edit)
(photo/original unknown)
闇の世に泣かぬカラスの声聞けば 生まれぬ先の父ぞ恋しき
- 一休禅師
Eivør - Trøllabundin (Official Lyric Video)
(picture/source)
Vangelis - Rachel's Song (Blade Runner) SUNSET
うつくしき人が、うつくしき眠りについて、その眠りから、さめる暇もなく、幻覚のままで、この世の呼吸を引き取るときに、枕元に病を護るわれらの心はさぞつらいだろう。四苦八苦を百苦に重ねて死ぬならば、生甲斐のない本人はもとより、傍に見ている親しい人も殺すが慈悲と諦らめられるかも知れない。しかしすやすやと寝入る児に死ぬべき何の科があろう。眠りながら冥府に連れて行かれるのは、死ぬ覚悟をせぬうちに、だまし打ちに惜しき一命を果すと同様である。どうせ殺すものなら、とても逃れぬ定業と得心もさせ、断念もして、念仏を唱えたい。死ぬべき条件が具わらぬ先に、死ぬる事実のみが、ありありと、確かめらるるときに、南無阿弥陀仏と回向をする声が出るくらいなら、その声でおういおういと、半ばあの世へ足を踏み込んだものを、無理にも呼び返したくなる。仮りの眠りから、いつの間とも心づかぬうちに、永い眠りに移る本人には、呼び返される方が、切れかかった煩悩の綱をむやみに引かるるようで苦しいかも知れぬ。慈悲だから、呼んでくれるな、穏かに寝かしてくれと思うかも知れぬ。それでも、われわれは呼び返したくなる。
ー夏目漱石「草枕」より
(photo/source)
彼の心は底のない嚢のように行き抜けである。何にも停滞しておらん。随処に動き去り、任意に作し去って、些の塵滓の腹部に沈澱する景色がない。もし彼の脳裏に一点の趣味を貼し得たならば、彼は之く所に同化して、行屎走尿の際にも、完全たる芸術家として存在し得るだろう。
ー夏目漱石「草枕」より
たとえばタクシーを捕まえようとして、駆け足で走れば「自動的に」心拍数が上がる。たとえば聴衆の前に立って話をしようとすると「自然に」副腎からアドレナリンが分泌される。たとえば魅力的な異性を見ると「反射的に」瞳孔が拡張する。
自動的に、自然に、反射的にとは、身体本来のシステムが環境の変化に反応するときの様子を表した言葉である。
あれこれややこしくすることはない、私たちはそれそのまま自然にて生きている。それにどんな不都合があるといえるのか。
Ennio Morricone - Theme from "Once Upon a Time in the West"
(picture/source)
物理学で珍しい現象がある。二つの離れた粒子があり、片方に触れるともう片方も動く。
私たちは物質として存在している。
ただ、宇宙で通常の物質は4.9%、正体不明の暗黒物質(ダークマター)26.8%、そして68.3%はダークエネルギーと呼ばれる未知なるものが占めているといわれる現状だ。
風呂場の浴槽で見る渦巻きは、外側が内側よりもゆっくりまわる。だが銀河では中心近くと外側の回転速度はほぼ同じであることがわかっているらしい。銀河の形を保つには外側の力と釣り合う「何か」がいる。それを暗黒物質と呼んでいる。
宇宙の誕生時、物質と反物質が出来たらしい。反物質は物質と正反対の性質を持ち互いに打ち消し合うが、現実には物質が残っているおかげで、私はここに身体を持って存在している。
現在までに人類が築いてきた物理学の標準理論では17種類の素粒子を想定しているという。あるとしてなきものや、なきとみてあるものの選別はこれからだろう。
おもうに、現れたり消えたりする素粒子もあるというぐらいだから、あるのやらないのやら以上に、違う次元を行き来しているのかもしれない。霊魂やらあの世やらといった反物質的ないわゆる精神世界もあながち突飛で非科学的と切り捨てるには惜しい。
思考と反思考とが綱引きして、幸せになったりいたたまれなくなったりのことを想い返す。
Vangelis - Vangelis: Nocturnal Promenade
(picture/source)
ヤドカリの気分の違いによって、イソギンチャクはヤドカリにとって意味が変わる。
ヤドカリの家である貝殻の上についたイソギンチャクを取り外した場合(ヤドカリの家に付いたイソギンチャクは天敵のイカの攻撃を防ぐのに役立つ)、ヤドカリは自分の家にイソギンチャクをくっつけようと行動する。
貝殻を取り去り裸にされたヤドカリはイソギンチャクを見つけると、ヤドカリはたとえ無駄でもそのイソギンチャクをくっつけようと行動する。
すでに貝殻とイソギンチャクを背負ったヤドカリを長時間絶食させると、ヤドカリはイソギンチャクを食べようとし始める。
ー参照/ユクスキュル/クリサート「生物から見た世界」より
つまり、ヤドカリにとって、イソギンチャクは「保護」でもあれば、「住居」でもあれば、「摂食」の対象にも成り得るということ。
たとえば「慕」という言葉がある、ただ、「慕る」というのと「募集」は違う。
たとえば恋心。慕ることはあっても募集することは出来ない。
ある人は「仕事」というものについてこう言った。
道を歩いているときにたまたま出会った穴に気付きそれを埋めようとすること。
Leonard Cohen - Dance Me to the End of Love (Official Video)
・・・・いろいろあったが死んでみりゃあ、なんてこった、はじめから居なかったのとおんなじじゃないか、皆の衆。
ー山田風太郎
(Musashi Plain (Musashino), from the series Tales of Ise/Kajita Hanko (Japanese, 1870–1917)/source)
むかし、男ありけり。人のむすめを盗みて、武蔵野へ率てゆくほどに、ぬすびとなりければ、国の守にからめられにけり。女をば草むらのなかに置きて、逃げにけり。道来る人、「この野はぬすびとあなり」とて、火つけむとす。女わびて、
武蔵野は今日はな焼きそ若草のつまもこもれりわれもこもれり
とよみけるを聞きて、女をばとりて、ともに率ていにけり。
昔、男がいた。人の娘を盗んで、武蔵野へ伴って行くと、盗人であるということで、国守に捕縛されてしまった。その折、男は、女を草むらの中に置いて、逃げたのである。跡を追ってきた連中が、「この野は盗人がいるそうだ」と言って、火をつけようとする。女は悲しんで、
武蔵野は今日は焼いてくださるな。私の夫も隠れているし、また私も隠れています。
と歌を詠んだのを聞いて、追っ手の人たちは、女をとりもどして、捕えた男といっしょに連れていった。
昔、男がいた。人の娘を盗んで、武蔵野へ伴って行くと、盗人であるということで、国守に捕縛されてしまった。
・・・・・
男は狼狽していた。
まさか追っ手が来るはずも無いと、思い込んでいたからである。拐かしなど日常茶飯事。いなくなった女については運が悪かったと、女の家の者達は思うはず。少なくとも男は、そう思い込んでいた。
だから足弱な女を連れて逃げる手段など、用意していようはずも無かった。男が追っ手を近くまで引き寄せてしまった時点で、女と共に捕まることが確定していたのである。
ざわざわとした人の声が、やがてはっきりとしてくる。男の特徴を声々にわめきながら近づいてくる。それは追跡者の手が、ほんのすぐそこにまで迫ってきたことを示していた。
「ねえ、大丈夫・・・?」
「・・・・・・。」
緊張のあまり息が荒くなる男の姿を見かねたのか、女が呼びかける。だが男は答えられない。答えようにも考えがまとまらない。
冷静さなど保てるはずもなかった。誘拐は犯罪である。露顕すれば男の官位は剥奪される。それに何より、男の正体が知られれば、血統が呪いのようにして噂されるに違いない。自身に流れる血の高貴さを拠り所にしてきた男にとって、それは何より恐ろしいことだった。
風の音に、鳥のばたつきに、男はひるむ。草むらは男の姿を隠すが、男自身の視界も妨げる。思考のまとまらない男には、あらゆる生命の気配が自身を見張っているかのように思えた。
背後で、コキリ、と枝か何かの折れる音がした。
限界だった。張り詰めた神経が、根を失った。
どこに、誰といるのかも忘れ、視界に何も映さないまま。
男は、逃げた。
追い詰められて我を失い、女を草むらの中に置いたまま、慌てふためいて逃げたのである。
-引用/「焼かれるイケメン 伊勢物語12」より