南無煩悩大菩薩

今日是好日也

自由の出場所。

2012-08-23 | つれづれの風景。
歴史で知る封建的な社会と違って現代はずいぶんと自由になっている。

北摂から土佐まで走ってきたが、関所なんかどこにも無かったし、官憲に呼び止められることも無かった。

自分がその気になりさえすれば、転居も、職業も、学問も、宗旨も、恋人も、遣るも止めるも、自由に選択できる。

なのに、安易にお上に保護を求めようとするような言行をちょくちょく見掛ける。これには、憲兵を増やしてくれと云っているのと同じような響きがある。

自由民権運動の板垣退助翁は、その末期「板垣死しても、自由は死せず」といったというが、余計な介入を拒むことで守られるのが自由だと見抜いていたようでもある。

土佐には、「なんちゃない」という方言がある。

なんでもない、たいしたことはない、自分で何とかする、というような意味合いも持っている。

自由民権運動が土佐で盛んになったのは、そういう土壌があったことにも由来しているのではないかと思った。

保護はされたい自由は欲しい。それは駄々っ子というものであろう。
コメント
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