南無煩悩大菩薩

今日是好日也

感じ方≒知覚

2017-05-10 | 古今北東西南の切抜
(gif/source)

知覚の質はその人の環境把握能力そのものを示す。

優れたカーメカニックは車のエンジン音を聞いただけで異常の有無とその内容を理解する。生産システムの達人は、工場の中のものの動きを見るだけでどの辺の流れがおかしいのか、全体としてどのような状況なのか理解する。普通の人はスズや亜鉛を折り曲げた時にはただ音が出るくらいにしか思わないものの、科学的な訓練を受けた人であれば、金属の結晶構造が壊れたことを瞬時に理解する。

数学者、物理学者の美しい、美しくないと思う感覚も同様である。人間が直感的に価値を理解することは、ほぼすべてが知覚の問題だ。意味合い出しの能力そのものが深い知覚に根差している。

逆に言えば、人間は価値(意味)を理解していることしか知覚できない。知覚できる範囲は、その人の理解力そのものだ。つまりここから、知能指数(IQ)のような指標だけでは測れない知力があることがわかる。

言い方を変えると、ある人がある局面で、どのようなことをどのような広がりでどこまで明晰に認知できるのかは、その人の①知的経験の深さ、②人的な経験の深さ、③思索の深さそのものを表している。

つまりこれらの経験の質の高さ、これらの経験の蓄積の濃度、それを活用して対象を理解する力、処理力がそのまま、その人の知覚になる。

これは感情的な経験、人間関係的な経験などすべてを通じていえることであり、知覚の質はそのままその人の持つ知性の質となる。

以上、これらの組み合わせはほぼ無限であり、どのように何を受け止めるか、知覚するかがその人自身と言える。

そして、知覚は何段階にもわたって起きており、そのすべての段階で差異が生じうるため、人は同じものを見ても異なる感じ方をするのである。

-切抜/H.B.R.May.2017より-
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