四国では至るところで空海さんの足跡を見て取る事ができる。
以前 司馬遼太郎さんが書いた空海さんの風景。がそのまま残っている。
弘法大師。空海。さん。
四国人の信仰の源といえるのではないだろうか。
土佐生まれの私にとって 弘法大師が空海さんのことだと知ったのはずいぶんと成長してから。
名前がいいなぁ。とおもったものだ。
徳島から室戸岬を回る途中の海辺では 鯖大師。 でも親しまれていた。
四国88箇所。を回るお遍路さんの風景は 私の原風景でもある。
・・・悪さばっかりしよったら、お遍路さんに連れて行って貰うぞね!
とよく母ちゃんにしかられた。
・・・なんちゃあ こわいことないき。
と強がってはいたが 山頭火さんのような旅装の修行僧はやはり威圧感があった。
春から夏にかけての 青嵐の季節。 に風に吹かれる旅僧をおもいだす。
すっきりとした青空と 若葉爛漫のまぶしい光の中で 遍路をいく 旅人。
私の 空海さんの風景。
南無大師遍照金剛。
日日是好日。
・・・合 掌・・・
「 南無大師遍照金剛 」
後光が ブログから 眩いばかりです
祖母が「四国のお遍路さんはなぁ、自分が年寄りに
なって、若いもんに世話ぁ~かけるように
なったり、病気ィして、皆に迷惑かけるように
なると、お遍路にでるんやでェ~」
「あの白装束は、いつ行き倒れになってもええよう
に、死での旅立ちの姿だでなぁ。
手甲脚絆に、頭陀袋ぉ、首から下げてなぁ
袋の中は、自分の始末代も入っとる。
そんで、寂しゅうてしょうがないけんど、
背中に”同行二人”と書いてあるのは、
お大師さまがいつも一緒にござると言うことだで
な~んも寂しゅうない。」
「それだで、お遍路道は人通りの少ない山道や
あぜ道の曲がりくねった道が多いんだでェ~」
最近は、テレビなどで、紹介されますが
それでもお遍路様のお姿には、思わず頭が下がり
合掌してしまいます。
先生は、そんな息遣いを幼ない頃から、どこか身に
感じ、暮らされましたのね。
もう一度、
お大師様に・・頭・・深々・・合掌・・です。
一人。ではないのであります。
はい。ありがとうございます。