南無煩悩大菩薩

今日是好日也

どう想う?

2020-05-03 | つれづれの風景。
(photo/source)

私はこの推移を経験しつつ整理してみる必要があると思っている。それを想ってみる次第である。

落胆や不安、恐怖と言った類ではどうもなさそうで、ありていにいえば、私が今想うには「驚き」に近い感情である。

中原中也は小詩論のなかでこんな表現をした。

「生きることは老の皺を呼ぶことになると同一の理で、想うことは想うこととしての皺を作す。想うことを想うことは出来ないが想ったことで出来た皺については想うことが出来る」。

「しかるにこの皺は決して意識的に招かるべきものではない。よりよく生きようという心掛けだけが我等人間の願いとして容れられる」。

そしてこんな風にも描いている。

「実際、人は驚けばその驚きが何であるかと知りたいのは当然過ぎる程のことで、だからといってその驚きはその時努力して何だと分る筈のものではない。けれども努力しておおよそ何だとくらい分らないものでもない。それで大抵の人がそのおよその何かを探すのだ」。

私は想っても想いだせるはずのないことを想ってみる。たとえば、我々地球上の生物はすべて38億年という歴史を体の中に持っているということなど。
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