(photo/source)
止まれ 左折禁止 右折禁止 直進禁止 後退禁止 横道進入禁止
そんなところに行き当たったように思えるときがある、さしずめ「どうせいちゅうねん」である。
こういうときはまず落ち着いて「そもそも」論で考えるときである。
自分に過失があったのか、こんな標識列があること自体が間違いなのか等、そういったことではなく、
そもそも「わしはなぜここにまで至ってしまったのか」ということである。
人間、夢遊病者でもないかぎり知らぬまま突然ここに至ることはまずない、機関が交通標識を間違ってつけるようなへまをする確率は極めて低い等、つまり否定から入らず肯定の立場で「そもそも」は考えるべきである。
そうすれば、とどのつまり、そもそも「わしは歩いてきたのであった」と気付く。
止まれ 左折禁止 右折禁止 直進禁止 後退禁止 横道進入禁止
そんなところに行き当たったように思えるときがある、さしずめ「どうせいちゅうねん」である。
こういうときはまず落ち着いて「そもそも」論で考えるときである。
自分に過失があったのか、こんな標識列があること自体が間違いなのか等、そういったことではなく、
そもそも「わしはなぜここにまで至ってしまったのか」ということである。
人間、夢遊病者でもないかぎり知らぬまま突然ここに至ることはまずない、機関が交通標識を間違ってつけるようなへまをする確率は極めて低い等、つまり否定から入らず肯定の立場で「そもそも」は考えるべきである。
そうすれば、とどのつまり、そもそも「わしは歩いてきたのであった」と気付く。
結婚する随分前の気分を思い出しました。