その男は、自分が背負った鬼子母神に魅入られていた。
それこそ、途方に暮れて。
歳は40に8つぐらい手をつけたところだろうか。
ばあ様の腰紐で、袈裟懸けにして背負った鬼子母神の顔をどうしてもかえりみることが出来ず、前を見て歩くたびにため息を吐く。
「この首が後もう少し回れば、納得できるはずであろうが。」
何度か振り返ってはみたものの、背中も一緒に回るだけであった。
男は前を見て歩くしかなかった。
・・・。
じい様が鬼籍に入ったのは、60と9つばかりが重なったとき。
その男は、いまわの際のじい様の言葉を思い出していた。
「もしもぞ。その顔を拝めるとすればぞ。朱(あか)い橋を渡らにゃならん。」
・・・。
背中の鬼子母神の所為なのかどうか、男は未だ独り身であった。
確認をして納得することはたやすい筈だと男もおもっている。
「ばあ様の腰紐を解けば済む。」
しかし、男には出来なかった。
魅入られたものにそんな勇気は無い。
「慈愛の母子か。人を食う鬼か。」
男は、自分に苛立ちながらも、彷徨い歩くことに身を委ねた。
約束の地は突然に唐突にやって来る。
山が2つで峠が2つ。平原に湖を1つ。丘を一つで森を抜け、沼に出た。
かまわず踏み入れ、おもわず沈み込む足をひきずり進む。
突然視界が割れた。
その向うに広がる河をみた。
「朱い橋じゃないか。」
男は、じい様の言わんとしたことを理解した。
青白かった男の顔に、朱が射した。
・・・。
背負っていたのは、鬼子母神ではなかった。
その背中に居たのは、男自身であった。
ばあ様の腰紐は解けた。その男と男自身は並んで、朱の橋を渡った。
首は回りそうだったが、男はもう振り返らなかった。
・・・。
その後の男の消息はわからずじまいとなった。
鬼子母神を背負ったその男が、肩の荷を降ろした経緯も。
朱い橋の話の意味も、その男と共に忘れ去られた。
・・・。
・・・。
いや。また。失礼いたしました。
さるまた。しっけい。
おもいおもいの人生でござますなぁ。
ご同輩。
とても楽しいお話でした
何回も読ませて頂きました。
作家、半村良氏の「能登怪異譚」が大好きです。
何だか彷彿とします。
でも、朱い橋の途中で会うことは出来ませんのね。
可能ならば、地球の果ての国まででも、行き
ますのに・・・。。。
ありがとうござます。