南無煩悩大菩薩

今日是好日也

居家如客

2020-05-21 | 古今北東西南の切抜
(gif/source)

「一つ、親子兄弟夫婦をはじめ諸親類に親しくし、下人等に至るまでこれを憐れむべし。主人ある輩は各その奉公に精を出すべき事」。

これは先輩中沢翁拝読せられたお上の御高札の写し、幾度聞いても聞き飽きのない有難いことなので、これに倣って話します。畢竟、人は互いに仲良くして、世界中小言なしにニコニコと機嫌よく暮らせということじゃ。

もしこれが間違って、「一つ、親子兄弟夫婦をはじめ諸親類と喧嘩し、下人等に至るまでこれを酷く使うべし。主人ある輩は各その奉公に精を出すべヵらず」。とのお達しならば何とする。

明六ッの鐘がなると親子兄弟夫婦そろそろ寝所から喧嘩をはじめ、茶の沸く時分までひといき掴み合って、まず息休めに朝めしを食い、箸を下に置くやいなや、子は親に口ごたえし、弟は兄のよこつらを張り、亭主は女房を引きずりまわし、泣くやらわめくやら、茶碗割るやら煙草盆踏み砕くやら、ほっとした時分に昼めしを食い、それからまた叩き合い、日が暮れても精出して夜なべ仕事に喧嘩する。

なんと365日こんなことが していられようか。それでもお上のお達しならば、否応でもしなければならず、これがなかなか三日も続けられそうもない。
この仲良くすることは、元来人の生まれつきのことなので、生まれつきの通りしなさいということなら、喧嘩せずに100年でもいられる。例えば、手の指の内へ曲がるは生まれつきなので、何回曲げても楽なもの。もしこれを外へ曲げるとたちまち痛んで歪み、使えなくなる。これと同じことじゃ。

人、この世に仮に客に来たと思え。客なれば夏の暑さも冬の寒さもこらえねばならぬ。妻や子や孫もなおもって相客なれば、挨拶よくしてお暇申すまで。

父母に呼ばれて仮に客に来て心残さず帰る故郷

家ニ居ルヤ客ノ如シ

いかさまこう心得ると辛抱ならないものはない。自宅に居れば丸裸でもまだ暑いような夏の日でも、人様の家に呼ばれ客だと思えば、ネクタイ姿でも小言云う気ままも辛抱がなります。厳冬素雪の冬の日に、青洟垂れてずずぶるいに成っていながら、いえいえ暖かにございます、と言う歯の根もあわなくても客だと思えば辛抱がなる。

(引用/鳩翁道話より)

とにもかくにも何事もニコニコと機嫌よく堪忍して仲良く暮らすが、よろしかろう。なにはともあれ、いこう、いけるとこまで。

L'Oceano di Silenzio - Franco Battiato - Salar de Uyuni (Bolivia)
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