鳥になりたい。
大空を飛んでみたいだけではない。
その視点で世界がどのようになっているかを俯瞰してみたいから。
下から見上げる。横から眺める。真っ直ぐに見つめる。ということは割合簡単だが、上から鳥瞰することは、難しい。
上空に舞い上がることは難しいけれども、意識のジャンプはできるかもしれない。
トランポリン型発想法。
チャランポラン型発想法ではない。
木々の葉は、太陽の恵みを受ける為に芸術的な重なりをみせ、それがまた至極合理的に構成されている。
人の世界も、案外うまく重なり合っているのかもしれないし、そうでないかもしれない。
しかしやね。
鳥のように飛べるということは、脳みそが軽くなければならない。
鳥瞰できるということは、チャランポランと紙一重になるということやね。
ここんところが問題。
鳥になりたい。
ただ。てっぺん禿を見つけて喜んでいるだけの鳥では意味が無い。
少しの理性と知性。少しの努力と勇気をもって、鳥瞰できる意識のジャンプ。
飛べない人には、鳥の目でどう見えてるのかを理解する術がある。
それが想像力というものだ。
前後左右上下高低。
全体的な必然的合理性に沿って、自然も人も成り立っているのだろう。
若い頃から、客観的に物事を見るようにと
よく指導されました。
でも鳥瞰してみるとは、気づきませんでした。
時に、裏側とか横目からとかからは、大人に
なりますと自然に覚えてしまうことはありがち
ですが、確かに球を眺めるように、物事も
大自然も見ることは大切であり、興味深いこと
ですね。
飛行機にもケーブルカーにも、一度も乗ったこと
がないわたくしですので、このお写真にはとても
感動!嬉しいです。
自然は、くよくよすることなく、本当に案外
この木々のように、うまく綾なって暮らしていける
ものかもしれませんね。