昨晩、婚姻届なるものを初めて見た。へーこれなんだ、ってチャーとしみじみ。
自分の結婚の時は、前前日夜も残業しているくらいでドタバタだった。さすがに前日は休みをもらった記憶があるけど、「結婚式の直前で遅くまで働いている人見たことない」ってバイト女性に言われた。当時は結婚したら仕事やめるのが普通ぽかったので、続けるかどうかを社長からわざわざ確認された時代。披露宴で配る文集作ったり、諸々の打ち合わせを仕事の合間にやり、そして新居の準備。そうやって披露宴っていうよりイベント準備に直前までバタバタしていた。だから披露宴を終え、アバートにチャーが身一つでやってきて、これで生活がスタートだった。婚姻届はそのうち出そうと思いながら延び延びにしていたけど、しびれを切らした周囲に促され義父に役所に行ってもらい、そうやって提出したのは式から半月くらいたった頃だろうか。婚姻届初めて見たって言うと「署名はしなかったんですか?」って聞かれたけど、うーんそう言えばしたような気もするし、しないような気もする。
要するに書類上のことなんてどーでもいい、って思っていたからあまり記憶にない。成人式だって行かなかったって言うと、「うそー、ありえねー」って言われるけど、着物の類いに散財することがバカバカしかった。
こーいう価値観は父親から受け継がれたと思う。既成のものには乗ろうとしない人だった。人と同じであることは「ダメなこと」であった。皆がこうするって言う理論で何かを買ってもらうという手は絶対通用しなかった。奇をてらうっていうのではなく、自分の意志で貫けっていう生き方を実践した人で、そんなんだから中学の先生なのに、ロンゲでジーンズ、赤いセーターで教鞭をとっていた。周囲は「美術の先生だから、しょーがないよね」って寛容だったのは幸いなこと。
そんな父が、ロンゲのままだったけど結婚式にきちんとした格好で現れ、新婦父挨拶の場面ではきちんと緊張して「言いたいことは今娘が言ってくれたから」と随分省略形の挨拶していた。
人と同じはダメといいながらも、実は儀式儀礼を大切にする人だとその価値観を知ったのはずーっと後のこと。
披露宴はしないあるいはチャッと済ませ、婚姻届を二人できちんと出すっていうやり方の方が、実は自分らしかったかな。
自分の結婚の時は、前前日夜も残業しているくらいでドタバタだった。さすがに前日は休みをもらった記憶があるけど、「結婚式の直前で遅くまで働いている人見たことない」ってバイト女性に言われた。当時は結婚したら仕事やめるのが普通ぽかったので、続けるかどうかを社長からわざわざ確認された時代。披露宴で配る文集作ったり、諸々の打ち合わせを仕事の合間にやり、そして新居の準備。そうやって披露宴っていうよりイベント準備に直前までバタバタしていた。だから披露宴を終え、アバートにチャーが身一つでやってきて、これで生活がスタートだった。婚姻届はそのうち出そうと思いながら延び延びにしていたけど、しびれを切らした周囲に促され義父に役所に行ってもらい、そうやって提出したのは式から半月くらいたった頃だろうか。婚姻届初めて見たって言うと「署名はしなかったんですか?」って聞かれたけど、うーんそう言えばしたような気もするし、しないような気もする。
要するに書類上のことなんてどーでもいい、って思っていたからあまり記憶にない。成人式だって行かなかったって言うと、「うそー、ありえねー」って言われるけど、着物の類いに散財することがバカバカしかった。
こーいう価値観は父親から受け継がれたと思う。既成のものには乗ろうとしない人だった。人と同じであることは「ダメなこと」であった。皆がこうするって言う理論で何かを買ってもらうという手は絶対通用しなかった。奇をてらうっていうのではなく、自分の意志で貫けっていう生き方を実践した人で、そんなんだから中学の先生なのに、ロンゲでジーンズ、赤いセーターで教鞭をとっていた。周囲は「美術の先生だから、しょーがないよね」って寛容だったのは幸いなこと。
そんな父が、ロンゲのままだったけど結婚式にきちんとした格好で現れ、新婦父挨拶の場面ではきちんと緊張して「言いたいことは今娘が言ってくれたから」と随分省略形の挨拶していた。
人と同じはダメといいながらも、実は儀式儀礼を大切にする人だとその価値観を知ったのはずーっと後のこと。
披露宴はしないあるいはチャッと済ませ、婚姻届を二人できちんと出すっていうやり方の方が、実は自分らしかったかな。