まだ袖を通してはいないが、母がこの夏、浴衣地のアロハシャツを作ってくれた。
生地は、祖母がもともと娘時代の母用に浴衣に仕立てたもので、そのお下がりの浴衣を私も20代の頃、一、二度着たことがあったが、何しろ着丈が短くて、おはしょりが取れない。それで母が、頃合だろう…とハサミを入れる決断をしたのだった。
絞りでなおかつ時代を経ているものだけに生地に腰がないと言って、母は難渋していた。ほどくのにも色目が濃いので老眼の母には目が疲れてしょうがなかったみたいだし、縫う段になってもミシンを使うわけにもいかず、しこしこ手縫い。母は自分から「アロハに仕立て直す」と切り出したわりには、いざ作業が始まると「イヤだ。やりたくない」と愚痴をこぼしつつ、時間をかけて完成させてくれた。
ここでその写真をupすると、それを着て気軽に町を歩けなくなる恐れがあるので差し控えるが、代わりにその余り布で母がこさえてくれたコースターの写真を載せる。
母は、フラダンス教室の生徒さん達にも練習着用のフラスカートを縫って差し上げているが、その端ぎれを使って自分用にまるでピエロの衣装みたいな継ぎはぎのフラスカートを作ったり、その他フラ関係の実用小物を製作したりしている。母曰く「生地を残すことなく使い切ると気持ちいい」のだそうで、謂わば冷蔵庫の残り物処理の感覚だ。そういう意味では、母は私の貧乏症の数段上を行っている。

↑この写真は、コースターの端に取り付けた、プレゼント箱型の陶器ボタン。2005年のクリスマス時期に、アイリッシュ・パブ【Bull & Bear】の<ミニ・ミニ・クリスマス>でケーキプレートを食べて、母がオマケとして貰った物。
ここでもその“筋金入り”ぶりを見せつけている母だが、和の布にクリスマス小物をあしらうなんて、母もなかなかのやり手である。
生地は、祖母がもともと娘時代の母用に浴衣に仕立てたもので、そのお下がりの浴衣を私も20代の頃、一、二度着たことがあったが、何しろ着丈が短くて、おはしょりが取れない。それで母が、頃合だろう…とハサミを入れる決断をしたのだった。
絞りでなおかつ時代を経ているものだけに生地に腰がないと言って、母は難渋していた。ほどくのにも色目が濃いので老眼の母には目が疲れてしょうがなかったみたいだし、縫う段になってもミシンを使うわけにもいかず、しこしこ手縫い。母は自分から「アロハに仕立て直す」と切り出したわりには、いざ作業が始まると「イヤだ。やりたくない」と愚痴をこぼしつつ、時間をかけて完成させてくれた。
ここでその写真をupすると、それを着て気軽に町を歩けなくなる恐れがあるので差し控えるが、代わりにその余り布で母がこさえてくれたコースターの写真を載せる。
母は、フラダンス教室の生徒さん達にも練習着用のフラスカートを縫って差し上げているが、その端ぎれを使って自分用にまるでピエロの衣装みたいな継ぎはぎのフラスカートを作ったり、その他フラ関係の実用小物を製作したりしている。母曰く「生地を残すことなく使い切ると気持ちいい」のだそうで、謂わば冷蔵庫の残り物処理の感覚だ。そういう意味では、母は私の貧乏症の数段上を行っている。

↑この写真は、コースターの端に取り付けた、プレゼント箱型の陶器ボタン。2005年のクリスマス時期に、アイリッシュ・パブ【Bull & Bear】の<ミニ・ミニ・クリスマス>でケーキプレートを食べて、母がオマケとして貰った物。
ここでもその“筋金入り”ぶりを見せつけている母だが、和の布にクリスマス小物をあしらうなんて、母もなかなかのやり手である。