毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「風邪を引いて忌野清志郎を読む」 2014年9月27日(土)No.996

2014-09-27 20:10:32 | 

何なんでしょうね。

日本に戻ってから仕事もしていないというのに、

いつもバタバタと忙しい。

家に引きこもっている時にも、

(今日は洗濯して、スーパーでポイントゲットして…)などとあれこれ計画を立てている。

風邪を引いたときくらい、無目的的に本を読もうとベッドに持ち込んだうちの一冊が、

「瀕死の双六問屋」(忌野清志郎;小学館文庫)だ。

小説なんだかエッセイなんだか……。おそらくその混合体だろう。

清志郎さんの感受性が投影されている文と言葉が私はとても好きだ。

全四十三話のそれぞれに関連CDアルバムの紹介が付いている。

例えば、第五話「悪い星の下に」…YOUNG RASCALS『GROOVIN’』

第十五話「本当に必要なものだけが荷物だ」…OTIS REDDING&CARLA THOMAS『KING&QUEEN』など(どう関連しているかは、本を読んでね)。

彼の好きなミュージシャンの曲が、

私が自分の人生で選ぶともなく選んで聞いてきたのと

大いに重なっていることがまことに嬉しい。

 

今思えば、日本に戻る前、『COVERS』のCDを半ば無理やり厳先生にプレゼントしたが、

『SUMMER TIME BLUES』とか『サントワマミー』とか、

意味分かってくれたかちょっと心配だな。

ムズムズと付け足しの解説をしてあげたい気持ちが湧くが、

今さら余計なお世話というものだろうな。

 

本の中には、珠玉の名言が随所にある。

以前に湯川れい子さんが衆議院選挙のときのラジオ番組で忌野清志郎さんの

手紙を紹介されていたが、それもこの本の末尾にある。

(その手紙文は下の私のブログ[2012年12月16日]にも掲載↓)

http://blog.goo.ne.jp/bluehearts_10_11/e/bff293cc0cca2f43c1022d9ed38205aa

今日は次の言葉を、紹介させてもらう。

心からの共感を持って……。

―――――――――――――――――――――――――――

第二十三話『様々な制約と規制の中でがんばれ外資系の会社よ!』より

 ・・・俺は右翼かも知れないと思う。

丹下左膳のかっこうをして刀を差していると、そんな気にもなる。

志をつらぬくという気持ちを日本人が持っていたら、

すばらしい世界が来るんじゃないかと思う。

俺は右でも左でもかまわないんだ。

そんなことどーでもいいんだ。

右にどんどん行ってみろ。やがて左側に来ているのさ。

地球は丸いからね。

それよりも二人並んでいると、俺の右側は君の左側だったりもするのさ。

そんなことより俺は、人々の心の中に芯が一本通っていりゃいいんだ。

それが一番大切なことだと思っている。・・・・・・

 

関連CD『Little Screaming Revue 冬の十字架』(忌野清志郎) 

――――――――――――――――――――――――――――――

 ちょっとだけ付け足すと、このとき忌野清志郎はたいへんに怒っていたはずだ。

なにしろ自分の『冬の十字架』に「君が代」(パンク風アレンジ)が入っていたことで、

1999年、8月ポリドールから発売予定だったこのCDは発売中止になってしまったのだ。

清志郎は言う。

――――――――――――――――――――――――――――

俺たちの『冬の十字架』をぜひ君の店に置いてくれないか。

外資系のレコード店だってことは分かってるけど、なにもビクつく必要はないだろう。

大丈夫だよ。もう、法律で決まったことだ。

これからはどんなアレンジでも国歌を自由に歌えるようになったんだよ。

ここで敬遠のフォア・ボールはないだろう。

堂々と直球で勝負する場面だぜ。

外資系の会社って、そんなに日本では肩身が狭いのかい?

ポリドール君も外資系だけどね。

社長は、

「うちは外資系だから…、何しろ外資系なんでね…、その、つまり外資系なので…」

としか言わなかった。

そんなこと繰り返されたって俺には分かんねえよ。

いったい何のことを言っているんだい?

あんた日本人なんだろ、筋を通すってことくらい知ってるよな。

――――――――――――――――――――――――――――――――――― 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「『学問のすゝめ』を読んでいて気が付いた」2014年3月13日(木)No.869

2014-03-13 21:05:05 | 

「学問のすゝめ」は爽快な語りの文章である。

今の日本の全家庭に一冊は備えて、

夕食後に家族みんなで朗読会を開いたらどうだろう。

「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。

されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。

 ヘイトスピーチで街に繰り出す多くの人が、

「嫌韓漫画を見て、これだ!と思った」などと言う。

これを愚民と言わずしてなんとしよう。

日本の歴史を世界史の観点に立ち、しっかりと学ばないといけない。

 

また、こんなのも読むとスカッとする。

かりそめにも政府に対して不平をいだくことあらば、

これを包みかくして暗に上(かみ)を怨(うら)むることなく、その路を求め、

その筋により静かにこれを訴えて遠慮なく議論すべし。

天理人情にさえ叶うことならば、一命をも抛(なげう)ちて争うべきなり。

これすなわち一国人民たる者の分限と申すものなり。

たとえ政府であろうとも、文句があれば陰で言わず、

筋道を立てて整然と訴え、遠慮なく議論するべきである。

天の理、人の道に適うことなら、

自分の命をなげうつ覚悟で争うべきである。

これが一人の国民に与えられた権利であり義務である。

たとえ国を相手にしても一歩も引かない自主独立の気構えを持て!と、

諭吉さんは平成のよろけたアタイたち日本人に言うのである。

イヤハヤ、気合入れられますね~。

 

これなんか、とどめですよ。

 独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、

人を恐るる者は必ず人に諛(へつら)うものなり。

常に人を恐れ人に諛う者はしだいにこれに慣れ、その面の皮、鉄のごとくなりて、

恥ずべきを恥じず、論ずべきを論ぜず、人をさえ見ればただ腰を屈するのみ。

いわゆる「習い、性となる」とはこのことにて、慣れたることは容易に改め難きものなり。

 

ここまで読んできて、ふと、

福沢諭吉は「への字口」グループに入ることに気が付いた。

関係ないけど、下の坂本竜馬も「への字口」だ。

ちょっと知名度は劣るが(て言うか知名度ゼロ)、わが父も「への字口」だった。

その遺伝子を受け継いだのが、何を隠そうこのワタシである。

愛想も何もあったもんじゃない。

しかし、この二人を見ると、時代は「への字口」で切り開かれると言えないだろうか。

竜馬の生きた江戸末期や、諭吉が活躍した明治初期も、

西洋列強に食い潰されそうなとんでもない時代だったが、

日本という国が今、崩壊の危機に瀕しているのは何処から見ても事実である。

 

そういうわけで、みんな、明日から口を「への字」にして将来を見据え、

ひたすら学問に励もうじゃあ、ありませんか。

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「はだしのゲン わたしの遺書」(中沢啓治) 2013年9月9日(月)No.743

2013-09-09 11:42:54 | 
「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!」
映画「はだしのゲン」でゲンが叫んでいた言葉だ。

「父ちゃんは戦争は人を殺すから反対だ、と言っていました。
兵隊さん、死なないでください。お父さんやお母さんが悲しみます。」

作文の時間にこれを読んで、ゲンは校長室に引っ張られた。
そこには、ゲンの姉が上半身裸にされて泣いていた。
父親が戦争に反対だからといって、あらぬ泥棒の疑いをかけられたのだ。
学校帰り、二人はまっすぐ家に帰れない。
寄り道した池端でゲンは遠くの水面に石を投げる。
何回も、何回も、何回も「ちくしょう!」と叫びながら。

(写真はAmazon.co.jpから転載)

その言葉は「はだしのゲン」の作者、中沢啓治さん自身の言葉だったという。
「はだしのゲン わたしの遺書」
今度日本に戻ったら、この本を買って、
中国に持ってこようと思う。
Amazon.co.jpのカスタマーレビューを読むと
例えば下のような熱烈な文言が並ぶ。

「とにかく必読」(By 五太郎 "落ち武者";山口県)
「『はだしのゲン』を読んでいて良かったと思った」(By あこ)
「とてもいいですとてもいいですとてもいいですとてもいいですとてもいいですとてもいいです」(By 李成斌 )

・・・・・・・・・
そんな中から、この言葉がまた飛び出してきた。

「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう」 2013/2/4 (By はた坊)

放射能に食い尽くされ形を留めない母の遺骨。
それを目の当たりにしたゲンの言葉。
原爆投下から21年後。
中沢先生が現実に目の当たりにしたこの光景。
そして「医学の発展の為」と称し、そのご遺体の解剖を迫ったABCC(原爆傷害調査委員会)。
被爆者をモルモット扱いにし、そのデータを米本国に持ち帰った機関。
(原爆のことは忘れたい)と思っていた中沢先生に、
原爆をテーマにした作品を書く決意をさせた出来事。

思えば、「はだしのゲン」を少年ジャンプで読んで、
幼いころ目に焼きついた、この悲惨な光景の記憶がずっと私の中にあった。
原子力に対する恐怖感、不信感の原点であるのだと改めて認識しました。

2012年12月16日、
2度原爆を落とされ、そして原発事故があって初めての
まだ2年にも満たない時期に行われた衆議院選挙。
この国では、今まで54基も原発を作り、そしてこれからも原発を維持し、
海外へ輸出するという政党が圧勝しました。

これが自分の国ではなく、例えば他の国がこんな選択をしたとしたらどうでしょう?

(自分の国で起こったことなのに?あの事故を見て脱原発を決めた国があるのに?
事故はどう考えても収束していないし、映像を見てもあんなに危うい状態なのに?
なんでそんなに呑気なの?正気なの?マインドコントロールでもされているの?)
と思わないのだろうか?
・・・(中略)・・・


「1945年8月6日が何の日か知らない。」そう答える若者たち。
広島に原爆が投下された日のことを知らない。
このような若者たちは、この国では特別ではない。
これは、中沢先生もご出演された2007年の映画「ヒロシマナガサキ」の冒頭の部分です。

そして、「人災であった」という結論にもかかわらず、被害者である方々が差別され、
力ある側に組している加害者は、こんなひどい結果を生みながら巧妙に守られる。
繰り返されるこの構造。

その積み重ねが、先の映画の冒頭シーンであり、2012年12月16日の選挙結果です。

「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう」

2012年12月19日、亡くなられた中沢先生。
中沢先生はどんなお気持ちだったのだろうかと思うとき、浮かんだのはこの言葉です。
・・・(中略)・・・
これから先、中沢先生が味わったこの「ちくしょう」という気持ちを味わう人が
これ以上増えるのを食い止めること。

それが、この「遺書」を託された私たちのするべきことなのではないかと思います。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ネットと愛国ー在特会の『闇』を追いかけて」 2013年6月21日(金) No.687

2013-06-21 20:48:04 | 

この夏休みに読みたい一冊だ。
2012年講談社ノンフィクション賞をゲット。
タイトル:「ネットと愛国 在特会の『闇』を追いかけて」
出版社: 講談社
著者: 安田浩一

伝統的右翼の宣伝カー活動とは一線を画し、
人権侵害も甚だしい暴力・殺人を示唆する言葉を街頭で巻き散らかす
とんでもない集団=「在特会」についての渾身のルポルタージュだ(と、書いてある)。
「在特会」とは正式名称「在日特権を許さない市民の会」だ。
(何が市民だ!市民なら市民の表現形態を守れ!)と私は言いたい。
「良い朝鮮人も悪い朝鮮人も皆殺せ」
「ゴキブリ」「首をつって死ね」等々、
信じられない攻撃性・排他性を巻き散らかすこの団体の言辞に比べれば、
高校生の時に聞いた天井桟敷の「言葉のボクシング」など、
赤ちゃんを寝かせる子守唄だ。

私の最も関心があるのは、
この在特会の人たちが、
なぜこんな極悪人のような言葉を撒き散らすようになったのか、
なぜ、他人への(特に在日韓国・朝鮮人への)憎しみを街頭まで出て、
拡散させるのか、という点である。
この在特会の行動は、
私からすれば100%(てか300%)認められないものである。
ああ、彼らに彼らと同じレベルの悪口を言ってやりたい!

しかし、と、その気持ちを諌め、冷静さを促してくれそうな取材・分析を
この安田浩一さんは試みている(と、書いてある)。

確かに、生まれた時から在特会だった人なんかいない。
ここは社会現象としての在特会活動を、
この本を手がかりにして考えるチャンスだと思う。
今夏も忙しくなりそうだ。

と、ここまで書いて、雷・稲妻が心配なので
(さっきもブレーカーが落ちて、パソコンがブチッと切れた)
今日はソソクサと終わることにする。
(5時ごろ同じ江西省の临川で落雷のため花火工場が爆発したとか・・・。大変だ)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「アイヌ・・・萱野茂の言葉」 2013年6月14日(金) No.680

2013-06-14 19:19:53 | 
私は和人の子孫だ。
子どもの頃はそれが残念だった。
アイヌ民族の血を引く子は、
目はパッチリと鼻も高く、とても可愛い子で羨ましかった。
大人になったら、もっと残念になった。
和人によるアイヌモシリ侵略の歴史を知ったからだ。
自分が侵略者の子孫なのは、本当に残念だった。
子どもの頃、「北海道旧土人法」というとんでもない名前の法律があった。
1998年にアイヌ文化振興法が出来たのに伴って、ようやく廃止された法律で、
1.アイヌの土地の没収
2.収入源である漁業・狩猟の禁止
3.アイヌ固有の習慣風習の禁止
4.日本語使用の義務
5.日本風氏名への改名による戸籍への編入

などを中央政府と北海道庁が実行する根拠となった法律である。
これだけでも明治からの北海道「開拓」の内実が分かる。

しかし、それとは別に
和人の子どもだった私は、アイヌ文化の恩恵を受けて育った。
「アイヌネギ=ギョウジャニンニク」「ヤチブキ」は、
和人がアイヌの人たちから食べ方を学んだものだろう。
山を歩き、山菜を採る生活が日常だった私の子ども時代は、
アイヌも和人もなく、
ただ「地の果て=知床(アイヌ語でシレトク)」で生きるヒトの子だった。

「アイヌ ネノアン アイヌ」の著者である萱野茂(かやの しげる)さんは
2006年5月に亡くなったが、
彼がアイヌ民族の人権回復にどれほど力を発揮したかは測り知れない。
下の文章は、1992年に萱野さんが書いたものだが、
私は、今を生きる私たちが、100%噛み締めるべき宝物の言葉だと思う。


「アイヌ・・・萱野茂(萱野茂アイヌ記念館館長)の言葉」

アイヌ民族は自然を神と崇め、自然界と共存共生し慎ましく生きて来ました。

魚、野獣、山菜のどれひとつとってみても必要以上には決してとらず、他の

生きもののために残し、また来年のために置いておくのです。そのような自

然界の巡りをアイヌ民族はよく知っていました。平和なアイヌモシリは、和人

の侵略と開拓によってどんどん荒らされていき、アイヌ民族は一方的に生活

圏の全てを奪われてしまいました。


私はこれまで19回諸外国を訪ね、それぞれの国の先住民族と交流を重ね、

たくさんの話を聞きましたが、日本ほど先住民族の事を何ひとつ考えず無視し

ている国は他にないという事に気づかされました。どの国も侵略した側とされ

た側の間には、何らかの条約があることを知りました。ところがこのでっかい

島、北海道の主であるアイヌ民族と日本政府の間には、条約のかけらもなく、

この事は世界に類例のない暴挙てあります。そしてこの事実は、世界に恥ず

べき事であります。4万5千ヵ所からなるアイヌ語の地名が、北海道はもともと

アイヌの土地であった事を明白自明の事実として、物語っています。ですから

「私達アイヌは、北海道というでっかい島を、日本人に売った覚えもなし貸した

覚えもなし、せめて年貢ぐらい出してもいいでしょう。アイヌの頷有権を認め

ていただきたい」と私は言い続けているのです。



かつて私達アイヌ民族の祖国であるアイヌモシリを侵したのは、あなた方で

はありません。しかし、あなた方の祖先が犯した過ちを正せるのは「今、生き

ているあなた達」です。あなた方の祖先が犯した過ちを正す行為は、決して

恥ずべき行為ではないばかりか、差別のない共生と平等な社会に向けての

出発点であり、日本が国際社会で生きていくための基本であると考えます。



現在世界中で行われている自然破壊の様をアイヌである私はひどく憂慮して

います。巷で「自然保護」が叫ばれていますが、アイヌ語の中に「自然保護」

という言葉はありません。自然、つまり海でも山でも、川でも鳥や獣に至るま

で、もしも□があったなら「人間共よ、自然保護などという大それた言葉を慎

しめ。我々自然は保護される事を望むのではなしに、人間であるあなた達が

ぜいたくをしない限りにおいて、紙にする木材でも、薪でも、家を建てる材料で

も供給できることになっているのだ」と自然の神々はおっしゃるでありましょう。

自然は常に巡っており、生きもの同士がその摂理の中でそれぞれの生命を全

うするはずが、人間共の勝手なエゴや欲望によって、虫達の家や着物を剥ぎ

取り、鳥や動物達の住み家までも奪い去っています。これもまた、侵略です。

ゴルフ場しかり、リゾートしかり、ムダ遣いが原因の森林伐採しかり・・・、例を

挙げればキリがない程どれもこれもです。日本は浪費し過ぎです。天に向かっ

て「面のひっぱがし」です。いずれそれらが、自分たちの顔に降りかかってくる

のです。消費、浪費の大国のまま良き未来を迎える事はありません。


今や、大昔の暮らしに戻る事はできません。ほんの少し数十年昔の姿を思い出

し、ほんの少し戻ればよいのです。夜の明るさも我慢をして、慎ましやかに生活

しようと思ったならば、資本家に対して原子力発電所などというウェンカムィ=

化け物を作る口実は、与えなかったでありましょう。86年、スウェーデンのヨック

モックを訪ねた時、チェルノブイリの事故による、それは恐ろしい話を聞き、そし

て、いつ私共の身に降りかかってくるやも知れません。人類はぜいたくし過ぎ、

もっと明るく、もっと速く、もっと便利に、もっと多くを求め過ぎました。


全ての生きものの生存を可能とする、地球環境の保護こそが、人類が生きていく

条件であり、人間が人間らしく生きていける山を、川を、畑を、村を、町を、子々孫々

に至るまで残さなければならない、と私は考えています。


93年は「国際先住年」です。これは、私達の住むこの地球から、民族的な差別観を

取り除くと共に、侵されて来た先住民族、少数民族の権利回復はもとより、生活や

文化を共に保障する社会を目指すものです。世界の潮流は、少数者がしいたげられ

る時代に終わりを告げる時を迎えており、全ての生きとし生けるものの平和な生存を

約束する、地球環境保護への道に入りました。社会は限りなく求め続けられている

「人間の欲望」を、どう抑制するかの時代にあるのです。これはアイヌも和人も、一人

ひとりが考えて、果たさなければならない事だと思います。



一人ひとりが人間として、正しい歴史を学び直してください。そして、本当の事を知って

ください。日本は、単一民族国家などではない事を知ってください。子々孫々に正しい

事を伝え残し、「人間の住む静かな大地」をよみがえらせ、そして残せる人間の姿で生

きましょう。「アイヌ」とは、アイヌ語で「人間」という意味であります。アイヌ民族も、ピリ

カシサム(良き隣人)も、心をひとつにして、無知を改め、正しい行動を起こす勇気をもっ

て、大いなる出発をしましょう。それらがペシッ(波紋)となって、世界に拡がりますよう

に、アイヌモシリより心から切望いたします。

「夜明けへの道」 人間家族 特別号 より引用

http://www.aritearu.com/Influence/Native/NativeWorld/Ainu.htm







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『西原理恵子×月乃光司ののおサケについてのまじめな話』 2013年4月2日(火) No.609

2013-04-02 19:38:48 | 
日曜日、近所のコウさんのお家に招待され、そこでお酒を飲んだ。
たいへん多くの量をいただき、この2日間はひどい二日酔いだった。
昨日、ベッドで繰り返し、くりかえし、
(これからは清く、正しく、美しい胃腸を抱えて生きていこう。
この洗浄が終わったら、もう一滴も酒なんぞ飲まないぞ~~)
とヘロヘロしながら心に誓うのだった。

中国人はお酒に強い。
て言うか、その席にはお酒に強い中国人ばかり集合していたのだ。
イヤハヤ、私など足元にも及びませんでした。
(あの集団の中で生き延びる道は、ただの一滴も飲まないことだ)
とベッドの中で悶え苦しみながら、私は悟った。

ホントに真面目にお酒をやめる。
その決意をもって以下の書評を掲載させていただく。


(文・藤田正)
書評:西原理恵子、月乃光司著
『西原理恵子×月乃光司のおサケについてのまじめな話』 
毎週、アルコール依存症の病院に出かける。
依存症の先輩が入院しているからだ。
彼の病気が顕在化して数年、
その間、床に汚物をたれ流し老木ような姿で死を迎えんとしていた
先輩を発見したこともあった。
酔って激しく転倒し緊急入院させたことも。
その経験から言わせていただく。
現代における最悪のドラッグはアルコールである。

MDMAだか押尾学だか知らないが、
(亡くなった方の悲劇は別として)あんな事件、
飲酒に関わる深刻なトラブルからすればちゃんちゃらおかしい。
なにしろ依存症者が二三〇万人を超え、予備軍が一五〇〇万人もいるのだ
(先日出かけた家族のためのセミナーで、
専門医がこんな恐ろしい数字を紹介してくれたのでした)。

アルコールは依存性の強い薬物であるという知識も一般的ではないし、
酒は二四時間、百円単位でいくらでも買える。
酔えば酔ったで「いい加減にしないと、カラダこわすよ(笑)」
といった程度の会話で終わってしまう。
アルコールは少しずつ心身を蝕み、
周囲の家族をも文字通り破壊する。
ぼくのような酒好き人間の中には
「オレも依存症ですから」と言いながらグラスを傾ける人がたくさんいるけど、
その結末とは…。
 
『西原理恵子×月乃光司の
おサケについてのまじめな話』小学館

本書は、漫画家であると同時に、
アルコール依存症に関する啓発に取り組む西原理恵子(さいばら・りえこ)と、
かつて依存症者として地獄を見たパフォーマー、月乃光司(つきの・こうじ)が
自己の体験をもとに
「その恐ろしさ」「常識の間違い」「対応の仕方」「助け合いの方法」などを
紹介する百ページほどの、いわばベイシックなガイドブックである。

月乃が、周囲に迷惑をかけまくった旧当事者であり、
一方の西原は、依存症のダンナ(故人)に迷惑をかけられた
妻・家族の代表として登場する。

本書の最大のテーマ、そしてメッセージは
「アルコール依存症は病気である」ということだ。
まずこの認識が、ぼくも最初はできなかった。
彼・彼女はただ酒が好きで、だらしなく飲んでいるのではない。
病がそうさせている。
病であれば専門の病院に出向くことが第一だが、本人も家族もその知識がない、
あるいは認めることができない。

アルコール依存症が、社会性を伴う、相当にやっかいなものであることを、
西原と月乃は分りやすい言葉で伝えていく。
「アルコール依存症は、自分の意志では飲酒をコントロールできなくなる病気です」
「ある日その人にだけ、お酒が覚醒剤になってしまう病気」(共に西原の文章から)

しかし、酒で内臓を悪くしても、内科医の一部は、
問題の根っこを担当する精神科医との連携をはかろうとはしない。
そして、暴力をふるい、仕事に大きな支障をきたすようになった夫や子に対して、
家族は憎しみだけが増加する。
読み進めば、優しい言葉ばかりの本書の裏側に
現代社会の暗部が張り付いていることもわかってくる。

若い頃、大量の酒や精神安定剤を飲み続け、
自殺未遂事件や交通事故を繰り返したという月乃が、
よくぞ酒という悪魔を(現時点では)振り切れたものだと思う。
専門の医療機関、自助グループの協力なくして今の月乃はありえないが、
当人の大変な努力には頭が下がる。

西原は言う「(私が後悔しているのは夫を)
もうちょっと早く離婚して、捨ててあげれば」良かったと。
依存の反対は自立。悪魔を見切るのは当人だけ。
妻として最大の愛がここに見える。
つくづく心に響く、小さな本だ。

 本体価格、933円。
http://www.beats21.com/ar/A10101001.html

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「周作人の見た日本」 2013年3月24日(日)No.601

2013-03-24 19:35:46 | 
周作人は、日本人の誰もが知っている魯迅(周樹人)の弟である。
1885年清朝期の中国浙江省紹興出身で、日本に留学し24歳の時日本女性と結婚した。
中日戦争が終わった1945年末、国民党政府に「対日協力者」として逮捕されたが、
1949年、中国共産党により解放出獄し、
1967年文革初期、故魯迅夫人の攻撃の中で亡くなった。
大変な一生だった。

昨日の写真の博堅先生もそのひとりだが、
中国と日本の架け橋的存在の中国人で、20世紀を生きた人は、
何度も地獄をかいくぐった。
周作人が、人生で一番のんびり楽しかったのはいつなのだろう。
案外、留学生活を送った東京時代かも知れない。

ところで、
今でも中国人の中には日本文化を中国文化の亜流と見ている人が少なくない。
日本語学科の学生でもそう信じている子が確かにいた。
しかし、明治末期の五年間、東京で留学生活を過ごした周作人の目に映ったのは、
中国の影響からとっくに抜け出し、独自の文化を満喫している日本庶民の姿だった。

『日本に固有の文明があるといっても何ら差し支えなく、
それは芸術と生活の面において特に顕著である。』
『日本を見届けたければ(中略)・・・、
茶を飲んだり草花をいじったりしているところをみるに限る。
・・・日本の国民性の長所は私見によれば・・・人情細やかなところにあるのだ・・・
このような心情が日本の最大の長所であって、私どもにその文化を親しみ深く
感じさせるところのものだ』
『習俗も・・・好きだ・・・、清潔なこと、礼儀正しいこと、洒脱なこと』
(周作人「日本談義」平凡社東洋文庫)


とまあ、ずいぶん褒めていただいて恐縮ですけど(*´∀`*)
1900年代初頭、周作人が見た東京庶民の姿は、
21世紀の今もほぼ変わっていないのではないか。
そうであってほしいと祈る。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「内田樹『14歳の子を持つ親たちへ』」2013年3月2日(土) No.578

2013-03-02 20:13:41 | 
安倍首相の「施政方針演説」(2/28)をネットニュースで見て
保存したが、読むと心底クサクサしてくる。
「安全を確認した」原発再稼働を明言し、
TPPはアメリカの要請に応えて限りなく参加に近づき、
米軍普天間飛行場移設の早期実現をうたい・・・、と
何もかもアメリカに叩頭し従うこの卑屈極まる属国主義に対して、
なぜ日本の「愛国者」たちはいつものように汚い言葉で罵らないのか、
たいへん不思議である。
また、別のニュースでは
脱原発の考えを翻した人々が急に増えたそうである。
どうしてこの国の人々はこのようにコロコロ目先のことで
考えを変えるのか。
これはもう、ほとんど病気と言えるのでは?
そんな私の疑問に、
内田樹の文がかゆいところに手が届くように答えてくれた。
彼のブログ「内田樹の研究室」
2013年01月24日のページ、
彼の書籍「14歳の子を持つ親たちへ」韓国語版への序文の一部である。
以下抜粋。
―――――――――
本についてひとことだけ。
この本は精神科医の名越康文先生との対談を収めたものです。
対談が行われたのは8年前、僕はまだ大学に勤めていましたし、
名越先生はクリニックで思春期の子どもたちのカウンセリングをしていました。
教育と医療のそれぞれの現場での知見に基づいて、
「日本の家族」について、
いまどういう病的症状が出ているのか、
なぜそれが発症するに至ったのかについて意見の交換をしました。
最終的に二人が到達した結論は、
「日本人全体の心理的な未成熟がこれらすべての現象に共通する原因らしい」ということでした。
「心理的な病の理由は心理的な未成熟である」
というだけでは同語反復のようですけれど、微妙に違います。
「未成熟」は「病的」な様態をとることはありますけれど、
それ自体は病気ではありません。
成熟すればいいんですから。日本人に必要なのは
「治療」ではなくて「成熟」である、
というのがたぶんこの本から僕たちが引き出した実践的な結論ではなかったかと思います。
日本社会には人を成熟に導くための教育過程がない。
そのことを深刻な危機だと思っている人がほとんどいない。
ほんとうにいないのです。
少なくとも教育行政の当局者にはいません。
英語ができるようになれとか、
上司の言うことには黙って従えとか、
愛国心を持てとか、
体力をつけろとかいうことはがみがみ口やかましく言いますけれど、
「大人になれ」ということは言いません。一言も言いません。
「大人」というのは、ものごとを自分の個人的な基準に基づいて判断し、
その責任をひとりで引き受けることのできる人のことです。
でも、それだけではありません。
「大人じゃない人たち」の不始末や手抜きを黙って片付ける人のことです。
「子どもたち」よりも「大人」である分だけ「よけいな仕事」をしなければいけないということがわかっている人のことです。
そういう「大人」が一定数いないと共同体は長くは保ちません。
でも、そういう「大人」を育てるための教育システムが存在しないのです。
この本で僕と名越先生が話しているのは、
そのような危機的状況の諸相についての報告です。
そう思ってお読みいただければと思います

14歳の子を持つ親たちへ (新潮新書): 内田 樹, 名越 康文: 本.価格:714円
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする