毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「『翁長雄志は命がけでした』妻樹子さんが語る壮絶な最期」No.2629

2018-09-01 12:54:52 | 我が心の沖縄

「政治家ほど高潔な人格が要求される仕事はない」

と常々思っている私にとって、

翁長雄志沖縄県知事は心から尊敬できる日本では稀な政治家でした。

日本国に踏まれ続け、虐められ続けてきた

沖縄の耐え難い苦しみの歴史を跳ね返すべく、

ウチナンチューは必然的に翁長さんのような政治家を

産み出したのかも知れません。


今日の沖縄タイムスのインタビュー記事のご夫婦の会話を読み、

翁長さんを偲びました。

しかし、ションボリばかりしてはいられません。

沖縄は政治決戦の渦中です。

人間同士の信頼を希求する政治を翁長さんから引き継ぐ玉城デニーさんに

何としても知事になってもらいたいです。

アベと日本会議はあらゆる嘘とお金を撒き散らし、

汚い手段を既に仕掛けてきています。

こんなことで沖縄の社会がよくなるはずないのに。

県民は分断されないでほしい。騙されないでほしい。

ホンドの私たちは沖縄のために何が出来るかを考え、

それを具体的に実行しましょう。すぐに。


「翁長雄志は命がけでした」

    妻樹子さんが語る壮絶な最期

9/1(土) 7:10配信 沖縄タイムス

知事選で当選を決め、翁長雄志さんと鏡開きする妻の樹子さん。2014年11月16日

8月8日に亡くなった前知事の翁長雄志さんの妻の樹子さん(62)は、沖縄のタイムスのインタビューに、名護市辺野古の新基地建設問題に関する前知事の思いなどを明かした。(聞き手=政経部・福元大輔)

沖縄の人たちの心を一つにしたかった
 撤回と聞いて「あなたが待ち望んでいたことよ。自分の責任でやりたかったと言うでしょうけど、皆さんが遺志を継いで頑張ろうと立ち上がってくれたのよ」と仏前に報告しました。
 翁長雄志は命がけでした。他の人にはなぜそこまでするのか、と理解できないかもしれません。政治家として自分に何ができるかを追い求めてきた人です。若い頃は何を考えているのか、何をやりたいのか、分からないこともありましたが、亡くなって初めて思うんです。ずっとつながっている。沖縄のことを思い、沖縄の人たちの心を一つにしたかったんだと。

 本人は亡くなる直前に言ったんです。辺野古問題で悩むことが多かったでしょ。「人がどう言うか、分からない。人がどう評価するか、分からない。でも、知っていてほしい。僕は精いっぱいやったんだ。これ以上できない、それでも足りないだろうか。僕の力がそこまでだったんだろうか」と。私が「ウチナーンチュだったらきっと分かるはずよ」と言ったんですよ。そしたら、翁長は静かに笑ってました。

県民が諦めなければ新基地は止められる
 7月27日に撤回を表明し、30日に入院しました。10日そこそこで亡くなったんですが、肉体的にはとっても大変、きつかったと思うんです。弱いところを見られたくないという思いが強かったですから。副知事や公室長が来たときも病室のいすに座って話をしていました。
 若い頃から政治一筋だったので、自分がいま何やるかが分かっていたのかもしれない。撤回の準備に入ったのも、自分の体調が本当に厳しくなってから。どうにか撤回まで持っていきたいと考えていた。
 ぎりぎりの状態で進め、結局、自分で撤回することなく亡くなってしまったけど。後は任せるということになり、本当に申し訳ないという気持ちだった。

 県民が諦めなければ辺野古の基地は造られないと思う。それは翁長も私も信じていた。県民が辺野古の基地はもうしょうがないということになれば、未来永劫(えいごう)沖縄に基地を置かれたままになる。それでいいのでしょうか。翁長は命をかけて、そこを問い続けた。もう一度踏ん張りたい。私にはそれしかできない。
 ウチナーンチュが一つになって、団結したとき、私たちが考えている以上の力強さがあると次男が県民大会で言ったでしょ。本当にその通りだと思うんです。一つになって立ち上がる。その強さを翁長は求めていたんだと思うんです。若い頃から。

私が翁長の背中を押した理由

 7月27日の記者会見の時、知事室からエレベーターに向かう廊下の窓際に腰を掛けて休んでいたのを記者たちが見て、記者会見で聞いたら、外反母趾(ぼし)と応えていたけど、あれは全然違う。

埋め立て承認撤回の経緯について説明するため、県議の部屋に向かう翁長雄志知事。7月27日午前9時20分頃

 前日、県庁に行って撤回に向けた最後の打ち合わせをして、公舎に「ただいま」と帰ってきた。玄関にあったいすに座って3分、廊下で3分、リビングで3分、寝室までの廊下でまた3分、5メートルを歩くのに20分かかる状況だったの。

「記者会見で自分の思いを伝えることができるだろうか。記者の質問に答えることができるのだろうか」と私に言ったの。
 私は「できるに決まっているじゃないの。何のために頑張ってきたの。あなたがやらないで、誰がやるの」と背中を押しました。
 口の中いっぱいに口内炎ができていて、小さな粒の薬を飲むのも少しずつ少しずつ流し込むように。これも20分かかったかな。
 翌日起きて、送り出して、記者会見で30分間話し続けることができたと聞いて、私は「神様ありがとう」と何度も繰り返した。
 弱い姿を見せたくなかった人ですから、外反母趾と言ったんでしょう。私がそうじゃなかったと言ったことで、翁長は怒っているかもしれません。「なんで本当のことを言うんだよ」って。言葉が聞こえてくるようです。
そんなきつい翁長の背中を私が押したのには理由があるんです。

 

もう新聞を読めないよ
 撤回が現実味を帯びてきた頃、国から「一般の職員にも損害賠償を求める可能性がある」という情報が伝わってきたんです。脅しのようにも聞こえるでしょ。
 県庁内は戦々恐々になったようで、翁長は「自分は政治家だから丸裸にされても、撤回をやる覚悟はある。でも一般職員をそんな矢面に立たせるわけがない」って、強く言ったんです。私たち家族もその責任を負う覚悟はありました。でも一般職員にそんなことを言うのはどうなんでしょうか。皆さんには本質を見てもらいたい。

 2期目の出馬についても、本人から直接聞いたわけではないけど、12月の任期を全うできないと感じているんじゃないかなと思うことがあったんです。
 例えば、4月に膵臓(すいぞう)に腫瘍が見つかる前から、公舎にあった自分の本の整理を始めたんです。大切にしていた本も捨てて。何をしているのと聞いたら、「これは君たちにはできないことだから、僕がやるんだ」と言うんです。何があっても新聞を読む人でした。胃がんの時も膵炎(すいえん)の時も、病室で私が来るのを待つというより、私が手に持つ新聞を待っているんです。
 それが、亡くなる2日前に、新聞を差し出すと「ごめん。もう新聞を読めないよ」って言うんです。新聞の情報を何よりも大切にしていた人ですから、私も「えっ」と思ったんです。
 (新聞は)この期待に応えてくださいよ。いつまでもいい新聞を作ることがこの期待に応えることですよ。皆さんには頑張ってもらいたいとずっと思っているんです。

 

最後まで周りに気を遣うお父さんだった
 でも翁長が弱いところを見せるのは本当に初めてです。撤回の前日に記者の質問に答えられるかなと言ったとき、そして、亡くなる2日前ですか。出会ってから本当に初めてと言っていいくらい。
 昨年の後半頃から、お風呂上がりに体重計に載るたびに体重が減ったようです。胃がんの後で75キロ。これをキープしようと維持してきたんですが、70キロになり、65キロになり。いくら何でも様子がおかしいんじゃないのと病院に行き、体重減も気になるけど、血糖が上がったことも気になると言われ、もしかしたら糖尿病かもと思い、その日のうちに検査したら膵臓に腫瘍が見つかりました。

 最後に入院したとき、1回だけ「苦しい」といったことがあるんです。病室で車いすに乗ろうとした時に私が支えていたんだけど、バランスを崩して、二人で転んだの。私に苦労させたと思ったんだろうね。そのとき、私にもたれかかるように「苦しい」と言ったの。1回だけ。
 そのとき、死期を覚悟していたのもしれない。もしかしたら恐怖があったのかもしれない。こんなことを私に言ったの。
 「この先、子どもたちにあたることがあるかもしれない。自分で自分をコントロールできなくなるかもしれないんだ。そのときは、子どもたちに伝えてほしい。今のお父さんは本当のお父さんじゃないよ。病気で自分をコントロールできなくなっているんだよ」と。
 でも、最後までそんな必要はなかった。最後の最後まで子どもたちにあたることはなかった。周りに気を遣うお父さんだった。

 でも、でもね。ずっと難しい顔をしていたでしょ。だから最後は見せてほしいと思った。翁長の本当の笑顔を。末っ子の甘えん坊の笑顔を。明るくよく笑う人だったんです。この4年間はほとんど見ることがなかったから。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  



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「翁長さんの遺志を継ぎ、ついに立つ!玉城デニーさん」No.2627

2018-08-29 15:44:29 | 我が心の沖縄

ずっと固唾を呑んで沖縄県知事候補者が決まるのを待っていました。

がんばれ!

玉城デニーさんと沖縄県民の皆さん!!

 アベが名護市長選や新潟知事選のとき同様、

どんなに巨額のお金を投入して沖縄の声を押し潰そうとしても、

どうか、負けないでください。

沖縄は日本の民主主義の学校です!!

17:46 - 2018年8月28日
 
ーーー付録ーーー
玉城デニーさんの若い頃の写真を見つけましたよ~~
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「沖縄の基地問題が超分かりやすい動画見つけた!」No.2625

2018-08-27 20:10:36 | 我が心の沖縄

莫大な税金を使って建設している辺野古新基地、

いったい何が問題なのかがとてもよく分かる動画を見つけました。

「沖縄」が抱える基地問題について、7つのポイント「#知らない沖縄」

1.そもそも、日本に米軍基地があるわけ。

2.特に沖縄にばかり基地が集中しているわけ。

3.米軍基地の機能:沖縄ばかりに基地を集中させる必要はない!

4.米軍基地の存在:騒音被害、山林火災、墜落事故、事件の多発!

5.空飛ぶ棺おけ、オスプレイ問題

6.普天間基地問題

7.税金を使った辺野古基地建設問題

これら7つのポイントは、

ホンドの人々が沖縄に過重な負担を押し付けたまま

(ああ、よかった~。私のところじゃなく沖縄が犠牲になって~)

とか思っていていいのかよ!!

ということを問いかけています。

私たちは、もう、なんぼなんでも答えなければなりません。

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「NHK、安室奈美恵さんの翁長知事追悼コメントを一部削除報道」No.2624

2018-08-25 22:55:07 | 我が心の沖縄

写真はHUFFPOST JAPANより

下は、翁長知事が亡くなった8月8日の翌日に

安室奈美恵さんが発表した追悼コメントですが、

なんとNHKはこの一部をカットして報道したというのです。

どの部分か皆さん、お分かりになりますか

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

   《お悔やみ申し上げます》ー安室奈美恵ー


   翁長知事の突然の訃報に大変驚いております。

    ご病気の事はニュースで拝見しており、

   県民栄誉賞の授賞式でお会いした際には、

   お痩せになられた印象がありました。

    今思えばあの時も、

   体調が優れなかったにも関わらず、

   私を気遣ってくださり、優しい言葉をかけてくださいました。

   沖縄の事を考え、沖縄の為に尽くしてこられた

   翁長知事のご遺志がこの先も受け継がれ、

   これからも多くの人に愛される沖縄であることを願っております

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

NHKがカットしたのは

〈翁長知事のご遺志がこの先も受け継がれ〉

の部分だそうです。

翁長知事の遺志とは、

「辺野古基地建設を許さない」ことです。

NHKニュースはどこまでアベ政権に忖度するのでしょうか。

報道の独立性をかなぐり捨てて政権にスリスリするNHKに

受信料を支払うのは皆さん、如何なものでしょう?

放送法は(いくら政府に圧力をかけられても)、

公平中立でなければならないと定めています。

2年前、高市早苗総務大臣の「電波停止発言」は

言論弾圧であるとして猛批判を浴びましたが、

今、「言論・報道の自由」ならびに

「民が知る自由」は明らかに制限されています。

真実を報道しない報道機関に

なんで私たちが血と汗と涙を代償に得たお金を払わなアカンのでしょう。

私たちは政府の言いなりにお金を払うロボットじゃないんです。

アベ首相が「国民からお金を吸い上げ云々・・・」と述べた言葉を

皆さん、ゆめゆめお忘れなきようにね。

  「お金」の画像検索結果


さて、安室奈美恵さんは9月16日に引退しますが、

その前日の15日、故郷の沖縄で最後のライブショーをします。

BEGIN、MONGOL800など同じ沖縄出身のミュージシャンも

参加するそうですが、

彼らは日頃から平和を希求し発言しているグループです。

安室を含め、

沖縄を代表するミュージシャン達が発するメッセージに注目したいものです。

↑安室奈美恵

↑BEGIN

↑MONGOL800

↑え、誰?って平井堅ですよ~ 彼も出演するそうです。

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「美しいサンゴの海に土砂投入の危機!」 

2018-08-17 15:32:35 | 我が心の沖縄

今日、8月17日に政府はこの大浦湾(辺野古の海)に

土砂を投入して埋め立てる予定だったのです。

「子や孫のために美ら海守ろう」

命を削って頑張った翁長知事と市民の力で、

今日の投入は何とか食い止められました。

私は、一昨年7月の高江ヘリパッド工事強行の時のような、

凄惨な状況になるかと本当に案じていましたが、

取りあえず、今日は、大丈夫でした。

この大浦湾の底の地盤は軟弱でマヨネーズ状態のところもあると

専門家は工事の危険性を指摘しています。

何千年も前から育まれてきた命の海を埋め立てて

巨大な軍事基地を作り、あげくにマヨネーズ地盤で崩壊……。

「今だけ、金だけ、自分だけ」の利権屋が政治を操ると

国土がボロボロに荒れ果ててしまうことに、

みんなが気がついたら、

今、政府が行っている横暴を止められるのです。

平和と海と命を守る日本の市民の闘いは明日も、あさっても、

毎日続きます。

辺野古の基地建設を断念するまで。

↓下の3枚の写真は今日のものです。ChibaさんのFB記事からお借りしました。

  

  


沖縄・辺野古(大浦湾)の海。「様々な種類のサンゴがひしめき合うサンゴの海!」 

Dive Shop桜海

YOU TUBEには辺野古の海(大浦湾)の自然を撮った動画がたくさんあります。

 ↓        ↓        ↓      

https://www.youtube.com/watch?v=wO7i4te5xJI

https://www.youtube.com/watch?v=BGuBFKHiVDU

https://www.youtube.com/watch?v=9pL6V9ZAeHw

 

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「SNSで広がる翁長知事追悼ー銀座でキャンドル灯す」No.2165

2018-08-14 23:42:00 | 我が心の沖縄

銀座は、2013年当時那覇市長だった翁長さんを先頭に

「オスプレイの配備反対」行動がなされたとき、

ヘイト言語「反日」「サヨク」「抹殺する」が

浴びせられた場所であり、

それに対して翁長さんたちが毅然としてパレードを遂行した場所です。

追悼の場所をその銀座に決めた企画者の女性に心から賛同いたします。

↑Shigeko Kakiuchiさん発信の沖縄タイムス8/14切抜きです。

 

↓2013年1月、ヘイト集団に「売国奴」「生ゴミはゴミ箱へ帰れ」と

理不尽な暴力言語を浴びせられながら、

静かに毅然と歩む翁長さんたちオスプレイ配備反対代表団。

この事実を、ホンドのどれくらいの人々が知っているでしょう。

この集会とデモに参加されたO.S.さんが、

「ヘイトも酷かったけど、会場の日比谷野音が満員だった

この集会とデモを、

NHKをはじめとするメディアが取り上げなかったのが、

もっと酷いと思いました。」

とコメントを寄せていらっしゃいました。

メディアのアベ政権に対する忖度は既に大手を振っていたのです。

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「何が何でも工事ありきのゴリ押し:東清二琉球大名誉教授メッセージ」No.2163

2018-08-12 22:53:42 | 我が心の沖縄

昨日の沖縄県民大会で、翁長雄志知事の帽子が椅子に置かれていました。

まるで翁長知事がそこにいる気がします。

 

    

この県民大会に、琉大の東清二名誉教授がメッセージを寄せていました。

東教授は防衛省が設置した環境監視等委員会の副委員長だった人ですが、

委員会での沖縄防衛局と御用学者の癒着、腐敗ぶりに憤慨し、

辞職した人です。

このメッセージは、

国が「正当な手続きを踏んでいる」と主張する中身が

とにかく「何が何でも工事ありき」の強引な姿勢で貫かれており、

辺野古基地建設に正当性はないことを明示しています

東清二琉球大名誉教授

「8・11県民大会に寄せて」

私は2014年4月から、沖縄防衛局が設置した

環境監視等委員会の副委員長を務めていましたが、

今年4月に正式に辞職が認められました。

最初は環境監視等委員会で、

ちゃんとした監視ができると期待していました。

それで、埋め立て区域も含めてウミガメの産卵場所、

ジュゴンの食草であるアマもなど海藻の分布と密度、

ジュゴンが何頭いるのか、どれくらいの頻度で来ているのか、

などの調査を依頼したのですが、全然返事が来ない。

何も調べていないのです


委員会での発言の確認も第1回目の後はありました。

しかし、その後は議事録ができてくる度に全然違う。

発言をしても、こちらの要求までは書いていない。

委員会で藻場の問題も話しましたが、それは議事録には載らない。

防衛省は自分たちの都合の悪いことは議事録に載せないのです

委員の意見を聞いて、それを守るのが防衛省のはずなのに、

自分らに都合の悪いことは一切書かないで、

都合のいいことだけ書いて、それを守っていくだけなのです

そんな委員は意味がありません


県外からの委員には、沖縄のことはわからないんです。

沖縄に来て初めてサンゴを見た人もいたんじゃないでしょうか。

とにかく、委員会で何を言っても響かない。

開発一点張りで、サンゴのことだけは答えるが、

それ以外のことはまともに答えない。

海草藻場のことなどは見ないことにしよう、

聞かないことにしようと。

工事ありきで、他の意見は聞かないという態度です。

環境監視と言いながら、工事を進捗させるため、

何らかの了解を得るための委員会だと

防衛省は思っているようでした。

工事を進捗させることに関係ないことには耳を貸さないという態度ですね。

それじゃあ何の意味もない、何のための委員会かということで、

私は2015年3月に辞めると事務局に伝えました。

沖縄防衛局からはこの件で取材があれば、

事務局に聞いてくれと答えなさいと言われました

辺野古、大浦湾の環境は優れています。

特に藻場はすごい。

あんなに広い藻場は他にないです

それを埋め立てるのは自然破壊そのものです。

沖縄本島の山を崩して埋め土を持って来るのも、自然破壊です。

辺野古、大浦湾の埋め立ては、やめさせることです。

中止すべきです。

沖縄にはもう、これ以上、軍用基地はいらないです。

慰霊の日の翁長知事の発言には本当に感激しました。

私は、翁長知事の埋め立て承認の撤回を支持します。

東清二

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-780624.html

「辺野古埋め立ては自然破壊」

東清二琉球大学名誉教授メッセージ全文 8・11県民大会

琉球新報

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「息子さんが沖縄県民に伝えた故翁長知事最後の言葉」No.2161

2018-08-11 19:06:39 | 我が心の沖縄

   

↑故翁長雄志知事の次男、翁長雄治(たけはる)那覇市議会議員(琉球新報より)

今日11日の沖縄県民大会は当初3万人参加を目標にしていましたが、

ときおり雨が降る悪天候の下、

目標をはるか上回る7万人が参加しました。

その集会で出棺間際の中、駆けつけた息子さんが

翁長知事から県民の皆さんへのメッセージを読み上げました。

以下、琉球新報からの転載です。

ーーーーーーーーー琉球新報2018年8月11日 12:49

はいさい、ぐすーよーちゅうがなびら。

8・11県民大会にご参集の県民のみなさま、こんにちは。

ただいまご紹介いただきました故翁長雄志の次男、翁長雄治と申します。

県民のみなさま、多くの全国のみなさまに

父の体のことでご心配をおかけしました。

みなさまのご期待に添えるように最後まで頑張りましたが、

残念な結果となりました。

申し訳ございませんでした。
 

最後の最後までどうやったら辺野古新基地建設を止められるのか、

一生懸命病室のベッドの上でも資料を読みあさり頑張っておりました。

今日は登壇をさせていただくのか、お願いをしていいのか、

寸前まで迷いましたが、

おそらくこれが最後の機会になるのではないかと思い、

上がらせていただきました。

今日は父が生前よく話していたこと、私に話していたこと、

みなさまの前で話していたことを

改めてお話しさせていただきたいと思います。
 

沖縄に辺野古に新基地をつくる。

どれほどの大義名分があるのでしょうか。

そういう説明がしっかりとなされてきたのでしょうか。

全国が受け入れないから沖縄に置いておけばいい。

今われわれが納得できない、

そういうものを将来の子どもたちに残してしまうんでしょうか。

県民のみなさま、今一度しっかりわれわれの思いを形にしましょう。
 

父は生前、

「沖縄は試練の連続だ。しかし、一度もウチナーンチュとしての誇りを捨てることなく闘い続けてきた。ウチナーンチュが心を一つにして闘うときにはおまえが想像するよりもはるかに大きな力になる」

と何度も何度も言っていました。

現に今回の県民投票の署名も

必要署名数の4倍以上になる10万票を集めることができたのは

県民の大きな決意だと思います。
 

日本全国のみなさま、

多くの国民が必要であるというその日米安保、米軍基地。

この国土の0・6%にすぎない沖縄に70%以上もあるのは

いくらなんでも過重すぎはしませんか。

全国的な議論のテーマに挙げていただいて、

この問題は沖縄の問題ではなく日本国の問題、

課題だと認識して議論してもらいたい。
 

「国の専権事項だから」と言って

今責任を持っているわれわれが

何もせずに指をくわえているわけにはいきません。

 

オール沖縄の大きな潮流は政治家のためにあるのではなく

政争の具にするものでもございません。

オール沖縄はわれわれウチナーンチュの強い決意です。覚悟です。

その民意にわれわれ政治家が突き動かされているのです。

 

最後までみなさま諦めずに。

頑張って見届けることはできませんでしたが、

父に、翁長雄志に、辺野古新基地建設が止められたと

報告できるように皆様頑張りましょう。

ありがとうございました。

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-780354.html

ーーーーーーーーー

以下、写真とキャプション、記事は琉球新報号外のものです。

(写真の顔隠しはブルーはーと)

↓多くの県民らが参加した「土砂投入を許さない!

ジュゴン・サンゴを守り、辺野古基地建設断念を求める8.11県民大会」

↓続々と集まる参加者ら。

↓喪章をつけた少女

↓翁長知事を追悼する参加者。

↓親子三代で訪れた参加者ら。

↓基地建設に反対のプラカードを掲げる参加者たち。 

 
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「読谷村からー那覇ー大阪へ」No.2160

2018-08-10 23:03:18 | 我が心の沖縄

 

 
 



↑絵は豊岡正司さんのフェイスブックからお借りしました。

今日は8月6日からの集中行動最終日に参加する予定で、
朝、Shigekoさんに連れられて集合場所の読谷村役場に行きました。
参加すると言っても朝のうちだけで、
午後には飛行機に乗って大阪に戻らなければなりません。
 ↑広々とした読谷村役場。まるで公園です。
 
下は読谷村役場の正門です。
しかしまあ、なんと立派な村役場でしょう。
 「政府は日米地位協定を抜本的に見直せ!
 オスプレイ配備反対!」
と、役場に掲げられているのにも(おお、すごい!)と思いました。
実は読谷村にはトリイステーションというアメリカ軍の基地があり、
その中にはヘリパッドが3つもあるそうです。
だから、Shigekoさんの家も、
夜でも米軍機の低空飛行のうるさい音がするんですね。
 
人口が4万人もあるのに、なぜ読谷は市でも町でもなく村なのか聞くと、
「日本一大きい村」になるためとのこと
 
村役場で、今日は女性たちグループの車に乗せていただき、
Shigekoさんは別の車で辺野古に向かいました。
しかし、途中、トイレ休憩した所が
空港に向かう名護バスターミナルに近いので、
もうキャンプシュワブゲート前には行かず、
そのままバスターミナルまで送ってもらい
那覇に南下することにしました
 
↑那覇市旭橋付近
実は、那覇で行きたいところがあったのです。
〈瀬長亀次郎と民衆資料館〉「不屈館」です。
バス停旭橋からタクシーでワンメーターの550円でした。
「不屈館までお願いします」と言うと、年配の運転手さんが
「え、あの共産党の?」
と言うので、
「共産党かどうかは知らないですけど、
瀬長亀次郎さんと沖縄の戦後の歴史が分かる資料館だそうですよ」
と答えると、
「不吉(ふ・き・つ)館ねえ」
と言うので、(ああ、この人わざと言っているな)と分かり、
とぼけて、
「いいえ、ふ・く・つ館です。『カメジロー』という映画は
全国上映されてとても有名なんですよ。
瀬長亀次郎さんは沖縄の歴史に残る政治家だそうですね。」
と言うと、なんだかモゴモゴ言って終わりました。
 
 
さて、不屈館に入ってキョロキョロしていると、
スタッフの女性が、
映画『米軍が最も恐れた男、その名はカメジロー』のダイジェスト版を
見せてくれました。
嬉しいことに冷たいさんぴん茶まで出してくださって、
名護から何も飲んでいず、からからになった喉を潤しました
 
 
戦争では住民が口に出すと気絶するくらい辛い体験を強いられ、
戦後は解放してくれるかに見えた米軍が、
民主主義国家とは思えない仕打ちを占領下の沖縄住民にしてきました。
それに敢然と立ち向かったのが、
ご存知、沖縄の政治家の瀬長亀次郎さんです。
彼の名言は今もなお、日米両政府による「沖縄いじめ」に抗う沖縄県民の
合言葉になっています。
 
「1リットルの水も、一握りの砂も、一坪の土地も
アメリカのものではない。
空気は、我々がただで吸わせている。
そのうえ、今回の新たな土地強奪である。
我々は対米非服従運動を起こさねばならない。」
(「四原則貫徹県民大会」1956年)
 
「この瀬長一人が叫んだら、50m先まで聞こえます。
 ここに集まった人々が、声をそろえて叫んだならば
 全那覇市民にまで聞こえます。
 沖縄70万人民が声をそろえて叫んだならば
 太平洋の荒波を超えて、
 ワシントン政府を動かすことができます。」
 (「群島知事選挙での演説」1950年)
 
「この沖縄の大地は 再び戦場になることを拒否する。
 基地となることを 拒否する。
 あの紺碧の空 さんご礁に取り囲まれて
 あの美しい海
 沖縄県民の手に戻って 初めて
 平和な島が 
 沖縄の回復が
 できるということを
 26年間叫び要求し続けてきた。」
(「衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会での発言」1971年)
 
「苦しい時はよく方向を見失う
 突然暗がりに投げ込まれると
 その瞬間、何物も見えないようになるが
 しばらくじいっと腰を据えておれば
 次第に心眼は開かれ、
 必ず、突破口を見つけることができる」
(「獄中日記」より 1954年)
 
まだ映画を見る機会がない私は、
ますます早く映画を見たくなりました。
 
空港に行く時間が迫ってきたので
スタッフさんにタクシーを呼んでもらいました。
「翁長さん、残念でしたね」
と私が言うや、たちまちスタッフ女性の目が潤み、
「ええ、本当に残念です」
と言うのが精いっぱいの様子でした。
 
タクシーでドライバーさんに聞くと
「もし、仲井真元知事が辺野古承認しなかったら
 翁長さんはまだ生きていたはずです。
 辺野古基地建設が翁長さんを殺したんです。」
と、さっきのドライバーさんとは相当違う雰囲気でした。
 「もともと、翁長さんは保守の人ですけど、
 沖縄の人は保守も革新も、みんな翁長さんが好きです。
 あんな政治家はめったにいるもんじゃない。」
と、静かな中に仲井真元知事と政府への怒りを感じ取りました。
 
明日は県民大会、大雨が予想されていますが
みんなに信頼され、愛されていた翁長知事を送る涙雨でしょう。
どんなに酷い雨でも、
必ず多くの県民が参加すると信じています
 
 
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「翁長知事死去を悼む沖縄県民の声」No.2159

2018-08-09 23:03:11 | 我が心の沖縄

今日の沖縄の二紙「沖縄タイムス」「琉球新報」は何面もの紙面を

翁長知事の死去に当てており、その記事の一つひとつが、

翁長知事がいかに沖縄県民にとって大きな存在であるかを物語るものでした。

↑琉球新報8.9朝刊↓

↓沖縄タイムス8.9朝刊

 二紙が拾った沖縄県民の声です。

【琉球新報】・・・街の人たち

*パレットくもじ前で新聞号外を読んでいた事務職の西村祐子さん(63歳、那覇市)

「他県にはない重圧を背負い、心労もあったのではないか。残念だ。」と目頭を押さえた。

*仕事中に翁長さんの容態悪化を聞いた上地尚子さん(53歳、西原町)

記者から死去の一報を聞き、「えっ・・・」と絶句。

「基地など大きい問題を前にたいへんだったはずだ。頑張ったと思う。」と悼んだ。

*平良麗子さん(32歳、宜野湾市)

「責任を持って職務をやり遂げていた。後継者は思いを引き継いで欲しい。」と声を震わせた。

*中村丈人さん(86歳、名護市)

「沖縄の先のことを考え、新基地建設に反対してくれた。残念だ。」と肩を落とした。

*「翁長知事とは意見の相違もあった」と語る渡嘉敷真治さん(63歳、八重瀬町)

訃報に驚きつつ「ウチナーンチュの本音をはっきりと言える政治家だった。

沖縄のために頑張ってくれたことに『ありがとう』と言いたい。」と静かに語った。

*下地恵子さん(62歳、宮古島市平良)

「沖縄のために命を懸けてきた。遺志を継ぐ人たちが辺野古をどう受け止めるか考え、

立ち上がって欲しい。」

*自営業の大底憲一郎さん(31歳、石垣市)

「県民は県の平和を求め、翁長知事はそのためにずっと動いてくれた。誇りに思う。」

【沖縄タイムス】・・・同級生や先輩、長年の親しい人たち

*小中学校の同級生座波公さん(68歳、那覇市安里)

「勉強も運動も得意で、友達も多かった。100m走の学年代表で野球も上手。

中学ではブラスバンドだった。」

*別の同級生の男性(68歳)

「いじめを見ると止める。身体も大きくて不良が手出しできなかった。

40年来、続く模合仲間と翁長氏の選挙を応援してきた。

1985年の那覇市議初当選直後から那覇市長になると言っていた。

一本気なのは知事になってからも変わらなかった。」

*中学の先輩で総菜店主の嘉納毅さん(69歳)

「人情豊かで毅然とした政治家。こんな人、もう出てくるのかな。」

*お父さんの代から家族ぐるみで親交があった女性(54歳)

両手で顔を覆い「新基地建設阻止を最後まで一緒に頑張りたかった。」

 

↓辺野古の浜に咲く野草。

今日の辺野古の海

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「命を削って政府と闘った翁長知事の最後の声明『辺野古承認の撤回表明』」No.2158

2018-08-08 23:34:31 | 我が心の沖縄

最後までアベ政権の『沖縄いじめ』と闘った翁長知事。

7月27日、翁長知事は、

1.新基地建設は公益に適合していないため、

建設承認撤回に向けた聴聞手続きに取り掛かること。

2.あらゆる手法を駆使して、辺野古に新基地は作らせないという

公約実現に向け、全力で取り組むこと。

を明言しました(その時の動画に渾身の翁長さんの言葉があります)。

私は、民意に寄り添って、時の権力と真っ向から闘い続けた政治家が

日本に存在したことを心から嬉しく思うとともに、

国民の一人として、たった一人分ではあっても、

翁長知事の遺志を継ぎ、辺野古基地建設を阻止するために

自分のできることを続けていくしかないと思っています。


「翁長知事が辺野古承認の撤回を表明」

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「『負けてぃならんどお!』翁長知事の言葉響く夜エイサーの音とともに」No.2157

2018-08-08 22:22:53 | 我が心の沖縄

      

読谷村の友人の家のすぐ近くに地区公民館があり、

夜、地元の青少年団がエイサーの練習に励んでいます。

翁長知事も子どもの頃、エイサーの練習をしていたのかなと思い、

練習する少年達を見ながら、涙が止まりませんでした。


今朝(8日の朝)、辺野古のキャンプシュワブゲート前の集会では、

翁長知事の言葉、

「負けてぃ ならんどお!!」

が引用され、子や孫たちに平和な未来を残すため、

私たちは決してくじけずに闘い続けることを確認しあったところです。

翁長知事の言葉を胸深く刻み、 

今、自分のできることを、精一杯、がんばるしかありません。


 

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「朝*辺野古、昼*高江を満喫」No.2156

2018-08-07 21:14:14 | 我が心の沖縄

↑辺野古のキャンプシュワブゲート前に貼られてあるバナー。

翁長知事は先月27日、「基地建設は公益に適合せず」として

撤回を宣言し、それに向けた手続きに入りましたが、

防衛局は、その撤回手続きが完了する前に海への土砂投入をしてしまい、

工事はもう後戻りできないという印象を世論に与えるため、

砕石等を運ぶダンプを、先週は毎日、毎日、500台も基地に入れるという

なりふり構わぬごり押しをしてきました。

その一方、手続きの一環である「聴聞」を延期して欲しいなどと、

引き伸ばしを図っています。

17日が土砂投入が予測されている日です。

それまでに撤回手続きが完了するかどうか、予断を許さぬ事態です。


辺野古2日目の朝、

8時に到着するとゲート前に100人ほど集まっていました。

同時に防衛局にも60名出かけて抗議の座り込みをしたそうです。

大城さん・山城さん・瀬長さんが進行役で

懐かしい稲嶺進元名護市長の話、

若い弁護士さんの逮捕された時の心構えの説明の後、

山城博治さんから逮捕される前の心構えなどが話されました。

「一人で来た人は周りの人と知り合いになって、

決していつの間にかいなくなったというようなことの無いようにしましょう。

そして今、前に出て、みんなに顔を覚えてもらいましょう」

などと博治さんは上手く誘導して自己紹介を促しました。

私は、読谷村のShigekoさんのお宅にお世話になり、

連日、Shigekoさんとその友人であるながいようさん(ミュージシャン)に

車で連れてきていただいているので、

厳密には一人で来ているのではありません。

しかし、

多くの基地賛成派が「敵国から日本を守るため基地は必要だ」と言い、

その「敵国」とは、多くの場合、中国を指しているので、

私の見た中国の庶民の話をさせていただきました。

中国庶民の年配層は、先の戦争で日本に侵略され、

大変な屈辱・辛酸を舐め、そのことは決してわすれていないこと、

しかし、その孫たちには日本語を学ぶ学生がたくさんいて、

日本語を学んでいるうちに

「中日友好の力になりたい」と思う子が確実に育つこと、

そして、一般の大人たちも

どこの国であろうとも戦争をしたいとは決して思っていないこと、

逆に、かつてのようにまた、

日本が攻めてくるのではないかと危惧していることなど、

中国政府=中国人民ではないという話です。

時間が許せばもっとあれこれ続けるところでしたが、

私のリサイタル・ショーでもないので、早々に切り上げました(笑)。

 ↑休憩でテントに戻るとき、稲嶺元市長と大阪の政治家服部良一さんが

いかにも仲の良い様子で立ち話をしていました。

「私たちはローザ・パークスである。これは、市民不服従の行為である。

「ローザ・パークスとは人種差別と闘った、アメリカ人なら誰しもが知る『公民権運動の母』。

市民不服従(Civil Disobedience)とは、公権力の不当な扱いに直接的に抗議をする行為である。」


さて、今日も工事車両が入りそうも無いので、

(そのために先週は連日500台もダンプが入っていたのではと)

Shigekoさん、ながいようさんが相談して、

私と名古屋の友人(いちゃりば ちょーでー)を

東村高江に連れて行ってくれました。

あの無理やりヘリパッド建設を強行したところです。

私が一昨年高江に行ったその日は、

ちょうど三宅洋平がアベ昭恵を高江に連れてきた日でした。

高江の豊かな自然は生きていました。

 

こちらにもアルソック職員が立っていましたが、

辺野古のキャンプシュワブゲート前と違って、

抗議の人たちももはや居ず、

ただゲートの道路向かいに抗議のテントが一つあるのみです。

だれもいないのに、一時間交代でず~っと立っているだけ。

ここで、途中で買ったパパイヤ、ゴーヤー、魚のフライなどのお弁当を食べ、

テントの番をしているSさんからお話を伺ったりしていると、

見慣れない種類の小鳥がSさんの近くに飛んで来て、テント内を探索していました。

下は高江でのヘリパッド反対を訴えている「ヘリパッドいらない」住民の会のパンフレット

1ページ目です。

「へりぱっどいらない」住民の会連絡先

住所:〒905-1201沖縄県国頭郡東村高江85-95

FAX:0980-51-2688 

E-mail:info@nohelipadtakae.org

ブログ:「やんばる東村高江の現状」http://takae.ti-da.net/

画像に含まれている可能性があるもの:テキスト

高江グッズを買ったりしてテントをお暇しましたが、

帰り道の風景の何とまあ、美しかったこと!

故郷北海道の知床の自然を思い出しました。

「やんばるくいなに注意」という看板も見ました。

知床なら「鹿に注意」「ヒグマに注意」です。

こういうところに、オスプレイが熱風とともに、

神経に障る音をバリバリ炸裂させるのですから、

森の命が脅かされることは確実です……。


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「さあ、辺野古へ行こう!」No.2153

2018-08-04 23:33:56 | 我が心の沖縄

明日から10日まで沖縄、辺野古に行って座り込みます。

翁長知事が承認撤回を宣言したのに、

さらに一層急いで埋め立て土砂を投入しようとする政府。

どこまで沖縄県民の意思を押し潰そうとするのか、

悔しくて、腹が立ってたまりません。

取りあえず、一人分の力を発揮しに行ってまいります。

元気な方は今からでも遅くありません。

ぱぱっと行く計画を立てて、軽やかに出発しましょう。

皆さん、辺野古で会いましょうね~!

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「沖縄は日本のバリ島になる!…基地さえなければ」No.2151

2018-08-02 21:19:08 | 我が心の沖縄

「沖縄は、確実に日本のバリになれる」

バリ島で花を見、地元の人たちを見、海を見て、

私はそう思いました。

そう、米軍基地が撤去されれば、

世界中から人々が沖縄にやって来るでしょう。

海の中を散歩し、泳ぎ、珊瑚を観察し、

沖縄料理に舌鼓を打つでしょう。

もし、基地が撤去されれば、

リーズナブルなホテルやゲストハウスができ、

庶民はそこを拠点に、

のんびりと沖縄の焼き物や織物など伝統工芸品を鑑賞して、

沖縄の歴史を刻んだ遺跡をめぐることが出来るでしょう。


「基地で沖縄県民の生活は潤っている」

と間違った情報を垂れ流しているのは

日本政府とその応援団+政府の扇動を鵜呑みにした人たちです。

 

米軍兵士は休日、

基地のエリアの海で、

まるで自分が所有するプライベートビーチのように泳ぎ、銛(もり)で魚を取って楽しんでいます。

日本全国のたった0.6%の面積に、

日本全国の70%以上の基地が集中している沖縄。

米軍基地は、小さい沖縄本島の5分の1を占めています。

企業が発展するための便利な土地は基地用地として無理やり取り上げられ、

雇用は基地にしか頼れない構造を強要されて、

従って、沖縄の失業率は全国で最悪です。


↓バリ島のブーゲンビリア

 もし、基地が無ければ、

バリと同じブーゲンビリアやデイゴが咲き、

バリよりもっと青く美しい海に囲まれているこの島へ、

温かい沖縄の言葉を話す地元の人たちのもてなしを受けに、

世界中の人々が訪れることでしょう。

↓バリ島のデイゴ

 

↓バリの家の前にもシーサーみたいに、左右に守護神が。

 

↓バリのアゲハチョウ

↓バリの猫

↓バリの海

 

 

 ↓そして、沖縄・読谷村の海

(読谷村在住Mayumi ShiromaさんのFB写真を借りました)       

画像に含まれている可能性があるもの:海、空、屋外、自然、水

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、海、屋外、自然、水

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、海、空、ビーチ、たそがれ、屋外、自然、水

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、雲、海、空、ビーチ、屋外、自然、水

「沖縄の過重な基地負担は不公平である」という沖縄県民の声は、

当然過ぎてたまらないと言うほど当然なのです。

〈Mayumi Shiromaさんのメッセージ〉

 「この海がずっと美しく、人を幸せにする海でありますように。

そして、私達はこの島の恵みの海に感謝して、人として全力で守りぬこう。

でっ、ここでビーチパーティしたいっ🍺

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