毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「私と日本語~学生の作文」   2012年3月2日(金) No.300

2012-03-02 23:07:48 | 中国事情
 冬休みの作文(スピーチ原稿)宿題の一つ、
「私と日本語」のチェックが終わった。
日本語学科のほぼ8割の学生は、
自分がこの学科を選んで入ったのではなく、学校に選ばれた
(中国の大学の専攻を決定するのは大学。学生ではない)という実態が再確認された。
さらに、1年の時にニコニコ機嫌良く授業を受けていたように見えた子たちの多くが、
(辛い、苦しい、嫌だ、止めたい)と心で叫んでいたということも初めて知った。

 さらに(すごい!)と思ったのは、そんなに嫌なら止めればいい、と私なら思うのに、
彼ら・彼女らは、嫌と思うことを止めるのであった。
イヤハヤ、本当にエライ。
下の学生は3年生。スピーチ原稿なので、類型的表現もあるが、
「日本語学科で学ぶこと」は中国社会ではまだまだ冷静に受けとめてもらえない
場合があるという事例である。
また、この作文の子のように、
日本の良さを家族や友人に一生懸命説く学生が多いのも、
実に健気なのである。


「私と日本語」孫秀妹

ある朝のこと、
ジリジリと鳴り響く電話で起こされました。それは高校の友達からでした。
「お前 江西財経大学に受かったよ。」
「え~?まさか……江西省以外の大学に受かりたかったのに。」
「でもさ、お前いったいどんな神経してんの。日本語学科をえらぶなんて。」
「え?日本語学科?選んでないけど・・・。でもまあ、いっか。」
バーン! 友達が電話を切りました。私の平気な反応に怒ったのかもしれません。
この電話で私の眠気は、完全に吹き飛んでしまいました。
父の所に行って、
「お父さん、私……江西財経大学に受かったの。」
「そうか、それはよかったね。」
 「でも、専攻は日本語なんだ。」
 「えー?江西財経大学には日本語学科まであるの。変だな。」
 「行くか行かないかすっごく困ってる。」
 「日本語か、あんまり聞いたこともないし……。」
 「でも、お父さん、私、あの辛い高校4年生にはなりたくない……。」
  父は、目を閉じて、一分間ぐらい考えた後、 言いました。
 「それなら、大学に行きなさい。日本語でも仕方ないさ。これはお前の運命かも知れない。」
それは2年半前のことでした。
父のアドバイスに従い、財大日本語学科にに入学して、みなさんと一緒に今日まで日本語を勉強してきました。
日本語についての思い出は数え切れないほど持っています。勉強し始めの頃はいつもこう呟いていました。
「日本語!こいつは、本当に変なやつだな。中国語に似たところもあるし、同じ漢字なのに、全く違う意味を表して、とても覚えきれないこともある」
例えば、「丈夫」という言葉があります。日本語の「丈夫」には物事がしっかりして傷みにくいという意味を表す形容詞があります。でも、中国語では「丈夫」は名詞で女性の夫という意味です。こんなとき私は、(日本では男は強いし、頑丈なので、「丈夫」の意味が生まれた)と解釈して覚える工夫をしてみました。すると、どうでしょう。始めは嫌でたまらなかった日本語学習が、なんだか面白くなってきたではありませんか!
日本語を勉強していると日本の文化や日本人の気質にも多かれ少なかれ触れることになります。
 家族と一緒に日本映画を見た時のことです。主役の言動がどうしても理解できない家族に、私はいつも学んでいる日本文化のことでスラスラと解釈してあげました。家族が真面目にわたしの言ったことを聞きながら、やっとわかったとうなずく様子を見て、私はなんだか心から達成感が湧いてくるのを感じました。
「ああ・・・日本語を勉強するのは無駄じゃなかったんだ。役に立つ時はやっぱりあるから、よかった、日本語に出会えて」と改めて感じました。
友達に対しても精一杯、日本人の物事に対する細心さ、真剣さの事例を挙げたり、日本製の製品を紹介したりしています。というわけで、友達は
「お前、日本のスパイになったな」とふざけることもあります。
 私はそう言われても、少しも悲しくありません。かえって自分は日本語に対する、さらには日本に対する見方が360度、大転換したことに気づきました。まさにこれは噂の「屋烏之愛」ではないでしょうか。いつも「嫌、嫌、嫌いでたまらない」と言っていることはほんとに嫌なのかな、改めて考え直す必要があると思います。
 自分自身、身を持って体験したのことを通じて一つの道理がしみじみとわかりました。ある物事に対してよく知らないくせに、薄っぺらな知識や経験レベルで決めつけるのは軽率ではないでしょうか。日本語はもちろんのこと、奥深い日本文化も先入観で評価することはとてもできないでしょう。
実は、新しい言葉を勉強しているうちにたくさんの意外なサプライズも発見できます。その言葉ならではの魅力さもわかるようになってきます。
 日本語には「住めば都になる」という諺があります。初め、あまり好きではなかった日本語ですが、知らず知らずのうちに日本語が私の生活習慣になりました。久しく日本語を聞いていないとなんだか気もちが落ち着きません。スーパーで日本語の歌が流れてくるとなんだか気持ちがふわふわとハッピーになってきます。テレビで日本に関するニュースが放映されるとキュッと心が惹きつけられます。バスに乗っている知らない人たちが日本のドラマやアニメの話をしているのを聞くと、ビンビン親しみが湧いて、思わず微笑んでしまいます。
 みなさんも私のような経験があるのではないでしょうか。ならば、日本語を学ぶみなさん、これからも一緒に日本語の中に隠れたサプライズを発見する旅を続けましよう!
コメント
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