毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「白を黒とすり込まれないようにしよう」  2012年3月4日(日) No. 302

2012-03-04 07:42:49 | 日記
 何か事件があって容疑者が逮捕されたとする。
しかし、その人はやっていない。
それでも
「お前がやった、お前がやった、こうこうこういう方法で!」
と毎日朝から晩まで取り調べを受けていたら、
(そうか、自分はやったかも知れない。こんなにみんなが言うならやったんだろう)
とまで思うようになる。
そんな事例はいくつもある。

小学校で働いていたとき、
子どもの誰かが「●ちゃんは、△やで。」
と言うと、何となくそれが事実のように広まり、
●ちゃんが担任の私に訴えてくるというパターンもよくあった。
学級会で真正面から
「●ちゃんは△じゃない」
と宣言するまで、根も葉もない話はクラスメートの中で真実と思われるのだ。
「どうして●ちゃんが△だと思ったの?」
と聞くと、
「だってみんな言っているから」
と答える。こんなことも山ほどある。

「南京大虐殺はなかった」もそうではないのか。
「なかった」説の根拠は証明されていない。
翻って、「南京大虐殺はあった」とする根拠は随所にある。
南京市には「南京大虐殺記念館」まである。
中国観光を楽しむ人々のうち、
何人がここを訪れたのだろう。
楽しいこととセットで過去の日本の消したくても消せない恥ずべき歴史をも
見るべきだと思う。
そうでなければ、日本人と中国人との意識のギャップはいつまでも消えない。
日本人は中国人に対する負の遺産を背負っていることを忘れるべきではない。
それは自虐的でも何でもない。
事実の重みを背負うということだ。
人間として当然のことだ。
ここ中国で、私は一人の人間として脳天気に暮らしているが、
歴史問題に関しては、日本人の一人として重い重い荷物を背負いつつ
話をせざるを得ない。
日本国内で撒き散らかされるゴミのような言葉には
怒りを覚える。

人は刷り込みに弱い。
特に今、日本では、自分に自信がなく不安な人が増えているようだ。
『強い声、大きい声、威圧的な声、断言的な声』
に頼りたがっていると見える。
東京都、大阪市、名古屋市などの選挙結果がそれを示している。
とにかく、自分の頭で考えよう。
見えないものを見つめ、聞こえない声に耳を傾けよう。
そう、心でつぶやく。
コメント
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