あさって、3月11日は日本語学科の学生たちと麦路キャンパスでイベントをする。
「3月11日にあなたは何をしている?」などというフレーズを見るにつけ、
(ひっそりしていたい、誰とも会わず部屋に引き籠もりたい)と思った。
しかし、ムリすることにした。
日本語学科の学生達に考えてもらいたかった。
「中日友好の架け橋になる」気が本当に少しでもあるのなら、
日本について、
教科書に載っている「桜」「温泉」「茶道」「伊豆の踊子」だけでなく、
「NARUTO」「ワン・ピース」「千と千尋の神隠し」だけでなく、
「ソニー」「トヨタ」「秋葉原」「松下幸之助」だけでなく、
「細やかな気配り」「整然と並び、パニックにならない高い素質の人達」だけでなく、
今、本物の日本の人びとが何を考え、何に困っているか、
どう一歩を踏み出しているのか、
もう少し関心を持ち、
知ろうとしてもらいたかった。
しかし、限られた時間でどんな日本を、どんな人々の声を紹介するか、
あれこれインターネットを見て考えた。
福島原発の修復にあたった人の生の声、
被災者の方々の困っている生の声、
いつまで被災者づらしているのか、甘えるな、という生の声…。
生の声にも色々あるもので、
私の感性は、宮城県仙台市の若者で、
一年間「スコップ団」というグループを率いて、
廃屋の泥をスコップで掻き出すボランティア活動をしてきた
平了君の声を選んだ。
彼は昨年の夏、亡くなった人達のことを思うと
音楽すら聞く気になれなかったというその時期、
ボランティアの仕事をしていると、
夜、花火があがった。
(花火か…)と、複雑な思いで眺めていたら
いつのまにか傍に来た親子がそれを見ていて、
「きれいね」「うん、きれいね」と言いながら、だまって泣いていた。
その時、花火には鎮魂の意味があるのだなと思った。
人生とは花火のようなもの、
ドンとあがってきれいに咲き、散ってしまう。
しかし、震災で亡くなった人の多くは
花火のようにパッときれいに咲くこともできずに
亡くなってしまった。
今の時期に、花火なんか無駄遣いだと言う人もいるが、
スコップ団は、明日3月10日、
泉ガ岳から空に向かって20000発の花火をぶっ放す。
天に近い場所を選んだから、
きっと見えるだろう。
下から見えなくてもいい。
これは鎮魂の花火なんだから。
お供えなんだから。
こんなことをして、ふんぎりをつけて、
生きている者たちは、
復興のことが考えられるのではないか。
そんなふうに彼は言う。
平了君は、この一年間、生き残った者として
できることを精一杯やってきただろう。
それでも、いつも心は晴れなかったという。
ふんぎりをつけて、一歩進みたいのは彼自身でもあるのだろう。
そんな日本人の若者の気持ちを
中国の若者に知ってもらいたいと思う。
明後日、11日の夕べに
キャンドル=サービスを彼らとする。
「3月11日にあなたは何をしている?」などというフレーズを見るにつけ、
(ひっそりしていたい、誰とも会わず部屋に引き籠もりたい)と思った。
しかし、ムリすることにした。
日本語学科の学生達に考えてもらいたかった。
「中日友好の架け橋になる」気が本当に少しでもあるのなら、
日本について、
教科書に載っている「桜」「温泉」「茶道」「伊豆の踊子」だけでなく、
「NARUTO」「ワン・ピース」「千と千尋の神隠し」だけでなく、
「ソニー」「トヨタ」「秋葉原」「松下幸之助」だけでなく、
「細やかな気配り」「整然と並び、パニックにならない高い素質の人達」だけでなく、
今、本物の日本の人びとが何を考え、何に困っているか、
どう一歩を踏み出しているのか、
もう少し関心を持ち、
知ろうとしてもらいたかった。
しかし、限られた時間でどんな日本を、どんな人々の声を紹介するか、
あれこれインターネットを見て考えた。
福島原発の修復にあたった人の生の声、
被災者の方々の困っている生の声、
いつまで被災者づらしているのか、甘えるな、という生の声…。
生の声にも色々あるもので、
私の感性は、宮城県仙台市の若者で、
一年間「スコップ団」というグループを率いて、
廃屋の泥をスコップで掻き出すボランティア活動をしてきた
平了君の声を選んだ。
彼は昨年の夏、亡くなった人達のことを思うと
音楽すら聞く気になれなかったというその時期、
ボランティアの仕事をしていると、
夜、花火があがった。
(花火か…)と、複雑な思いで眺めていたら
いつのまにか傍に来た親子がそれを見ていて、
「きれいね」「うん、きれいね」と言いながら、だまって泣いていた。
その時、花火には鎮魂の意味があるのだなと思った。
人生とは花火のようなもの、
ドンとあがってきれいに咲き、散ってしまう。
しかし、震災で亡くなった人の多くは
花火のようにパッときれいに咲くこともできずに
亡くなってしまった。
今の時期に、花火なんか無駄遣いだと言う人もいるが、
スコップ団は、明日3月10日、
泉ガ岳から空に向かって20000発の花火をぶっ放す。
天に近い場所を選んだから、
きっと見えるだろう。
下から見えなくてもいい。
これは鎮魂の花火なんだから。
お供えなんだから。
こんなことをして、ふんぎりをつけて、
生きている者たちは、
復興のことが考えられるのではないか。
そんなふうに彼は言う。
平了君は、この一年間、生き残った者として
できることを精一杯やってきただろう。
それでも、いつも心は晴れなかったという。
ふんぎりをつけて、一歩進みたいのは彼自身でもあるのだろう。
そんな日本人の若者の気持ちを
中国の若者に知ってもらいたいと思う。
明後日、11日の夕べに
キャンドル=サービスを彼らとする。