毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「ノロに罹った」2014年10月7日(火)No.1005

2014-10-07 21:32:22 | 日記

先週土曜日からどうもノロ(ウルス)に罹ってしまった。

と言っても私ではない。

1歳になったばかりの孫娘である。

何しろ、両親は慣れない新米母さん&新米父さん。

「ビユーッと吐いたときは、どうしようもなく見ているだけだったわ」

と、赤ちゃんが吐いた時の様子を語った。

「自分だって赤ちゃんの時そうやって吐いていたんやで」

と先輩ぶる私とて、

実を言えば、新米お祖母ちゃんなのである。

7月に中国から戻って見れば、もう孫娘は生後10か月近い赤ちゃんで、

(あなたはどなたですかね)といった風情でじっと私を見つめた。

その後、働く娘を少しでも助けようとして、

さらに言えば、

今まで会っていなかった分を取り戻し、一気に孫を手懐けようとして、

私は週に1,2度、娘夫婦宅を訪問して孫と共に数時間を過ごし始めた。

その間は、完全に私と孫だけの時間である。

初日、自分の家に戻った私は、

クタクタでブログの更新をするどころではなく、

茶の間にバッタリ倒れたきり何時間も動けなかった。

孫の一人や二人、チョチョイのチョイと思ったのは大間違いだった。

こんなにも体力を必要とすることを、

かつての私は苦も無く(かどうか、忘れ去ってしまったので)

やり遂げてきたのか、と自分の過去を自画自賛し始めたが、

テーマがスライドしてきているので、悪しきノロウイルスに冒された孫の話に戻る。

 

そもそも、今週から保育所に通う予定だったのに出鼻をくじかれた状態だが、

それどころでない。

とにかく小さい身体を性質の悪い菌がいたぶっているのである。

1歳になったばかりの子どもは、こんなとき、

どうしようもなく寄る辺ない存在だ。

それでも健気に、抱っこされた身体を大人の胸にあずけて、

泣きもせずぐったりしている。

(どんなことがあってもこの小さい命は守らなければならない)と、感じる。

自然が命を生み出し、それが何千年もつながってきた秘密が分かった気がする。

と言うか、忘れていた感覚を思い出した気がする。

これから何度も病気になったり、怪我をしたり、間違ったりしながら、

一人の子どもが一人前に育っていく。

一人の子どもが育つのに、周囲の何人もの大人たちの力がどうしても必要だ。

私たちも、そうやって育てられてきたのだ。

 

 

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