やれやれ、ようやく終わったわい。
この10日間というもの、テスト対策に多くの時間を割り当てるため、
非常にストイックな、社会との関わりの少ない生活を送った。
一日おきの淀川河川敷への散歩と、
数日に一度の徒歩数分のスーパーへの買い物、
そしてゴミ出しに外に出るだけで、
あとは部屋で英語のCDを聞き、リーディング問題を時間を計って解く毎日。
「砂を噛むような味気ない~♪」とかつて高石友也さんが「受験生ブルース」
で歌っていたが、私はこのモラトリアム生活はなかなかいいもんだと思った。
勉強だけしていたらいいのは、なんて気楽なんでしょう。
かといって英語力が増したと言えないのがちょっと恥ずかしいですけどね。
しかし!上達したことがある。
買ってきた旺文社の新TOEIC対策問題のCDは、
イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリアの4か国英語が同じ割合で配合されていた。
カナダ・アメリカはほぼ同じに聞こえるが、
イギリス、オーストラリア英語は聞いてすぐに分かる。
イギリス英語(かのCDではなぜか女性ばかりだった)は気取っているって言うか、
つい真似したくなるって言うか(笑)。
途方に暮れたのが、オーストラリア英語だ。
特にそのCDの人が極端なのかも知れないが、
私にはそっけなく紋切り型で愛想がないように聞こえるのだ。
そう言えば、NHKラジオの「実践ビジネス英語」(杉田敏さん)の
アシスタント女性も似た発音、イントネーションだ。
彼女もオーストラリア人なのではなかろうか、とかいうことに神経を使い、
もしTOEICテストに
「この音声はどこの国の人でしょう」
という問題があれば、かなり正解率が高いだろうに…と夢想したりして日は過ぎた。
しかし、そっけなく聞こえると言ってもそれは自分の耳が相対的に
アメリカ英語に慣れているからに過ぎない。
アメリカ英語が標準語だという訳でもなければエライ訳でもないのだ。
そう観れば、なにも上記4か国に限定せずとも、
アフリカ、アジア、オセアニア、カリブ諸国に英語を公用語にしている国は何十か国もある。
まさにイギリス、アメリカの帝国主義運動の成果である。
しかし、いったんその国・地域に着地した英語は、その地で独自に変化し発展してきた。
それを比べてみたら面白いんじゃないかな。
もし10年後にまだTOEICテストがあったとして、
ガーナやインド、ジャマイカ、サモアなどの英語が流れてきたらどうだろう。
皆、それを理解するために必死で取り組むだろう。
私がオーストラリア英語と格闘したように。
終わって見れば、オーストラリア英語にも
腹を立てなくなった自分を発見したブルーはーとである。
何はともあれ、
明日は宝塚の手塚治虫記念館でやっている忌野清志郎展を見に行く。
ずっと我慢していたんだ~い!