20年前の1月17日も寒かった。
祝日明けの通勤日だった。
そのころ尼崎に住みつつ大阪の小学校で働いていた私は、早朝5時46分頃、布団の中で
(ああ、今日出す文集の原稿を書かないと…)と思いながら、
暖かい環境から外に出ていくのが嫌でグズグズしていたのだった。
突然、メキメキという音とともにそれまで感じたことのない揺れを感じた。
(トロルが家を根こそぎ引き抜こうとしているんちゃうか!)と、とっさに思った。
私の肩でスーピー寝ていたクロちゃんが脱兎の如く(猫ですけど)布団から飛び出し、
すっとんでどこかへ行ってしまった。
それから後は怒涛の数時間だった。
にも拘らず、8時前(さあ、学校に行かないと)と自転車で阪急園田駅に向かった。
娘と息子は自主休校だ。
途中、屋根瓦がザーッと落ちた家があり、道路がガス臭かった。
それでも職場に向かう気持ちは変わらなかった。
これが普通の教師だ。
自分の受け持つクラスが心配なのだ。
しかし、駅に着くと事態がそういうレベルでないことを判断せざるを得なかった。
園田駅は暗く、人もいない。電車が動いていないからだ。
ようやく、事の大変さに呆然とし、自転車をUターンさせてフラフラ帰ろうとしたが、
ふと回り道して『どるめん』(友達の喫茶店)に寄ってみた。
表のドアガラスが見事に割れており、
中で店主のソンイルさんが棚という棚から落ちたミュージックテープやCDを拾っているのが見えた。
・・・・・・・・・
とまあ、20年前のことが昨日のことのように浮かんでくる。
自然が人間に警告しているんだと思ったあの時から、20年たった。
自然の警告から多くを学んだと言えるだろうか、日本社会は。人びとは。
当時18歳だった娘が今日のフェイスブックに下の文を載せていた。
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am5:46 1.17
20 years have passed since the Great Hanshin-Awaji Earthquake.
... Pray for victims…
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