三国の話し合いをリードしたのはスペインのサンチェス首相だというが、
この三国はどうしてパレスチナを国家として承認するという最大の連帯を示したのか。
ざっくり歴史を振り返ってみた。
世界史上、スペインが強盛を誇ったのは16世紀ごろで(無敵艦隊、レパントの海戦等)、
その後は産業革命を経たイギリス、フランスに押され、
さらにアメリカが門戸開放宣言で帝国主義の植民地争奪戦争に加わって、
スペインは西側帝国主義列強の傍流となった。
19世紀末から1923年までの議会制民主主義の内政をひっくり返したのは、
ムッソリーニにヒントを得たプリモ・デ・リベーラ、フランコ将軍の独裁政権で、
人民は思想の違いを超え、スペイン人民戦線(反ファッショ統一戦線)を形成して戦うも
フランコに敗れ(cf.『誰がために鐘は鳴る』E.ヘミングウェイ)、
戦後、親ナチスだったフランコのスペインは国際連合からファシスト国家と見做された。
1955年、反共国家だというので何とか国連に加盟できたが(米露冷戦の都合で)、
フランコ独裁は彼が死ぬまで(何と1975年まで!)続いた。人民が苦労した国なのだ。
アイルランドと言えばケン・ローチ監督の映画「麦の穂を揺らす風」が有名だが、
イギリスの圧政に何世紀もの間虐げられて、この国もメチャ苦労した国だ。
イギリスは「自由と民主主義」を掲げて第一次世界大戦に参戦していたわりに、
自分の足元ではアイルランドに対して陰惨な大弾圧をしていたのだから、
本当に嘘くさい腐臭を放つ国だ。
(イギリス帝国主義がパレスチナ問題に対しても決定的に重大な責任があるのは周知の事)。
さて、1921年英愛条約によってアイルランド自由国(南部だけ)が一応独立国となったが、
北アイルランドは分離され、その後IRAは長らく英国軍と戦争を続けるのみならず、
アイルランド自由国(身内)とも内戦に突入する悲劇的展開になった。
一応の和平が成立したのはなんとあのブレア政権時で、一体それまで何年闘っていたのか、
胸が痛くなるほど長きに渡る苦しい歴史を持つ。
パレスチナ人の苦しみを自分の事のように思う感性はこうした歴史が培ったものに違いない。
ノルウェーは古代・中世を通してデンマークやスウェーデンに併合され続け、
1901年にようやく独立したら今度はナチスドイツに国を占領されてやはり苦労した国だ。
戦後は発足と同時に国連に参加した原加盟国で、
北欧で唯一NATOに入る※も外国の軍事基地は置かず
(※ウクライナ戦争のため昨年フィンランド、今年スウェーデンも加盟した)
非核原則を貫いてEUには参加せずという独自の道を歩んでいる。
1993年「オスロ合意」仲介当事国。これによりパレスチナ自治政府が発足した。
1913年普通選挙実施時に女性も参政権を得、女性首相も誕生した。
女性の地位が高い国でもある。
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こうして見るとこれら三国が、
ど厚かましいジャイアン=アメリカやスネ夫=イギリスとは心根が違う事情がよく分かる。
いずれも人民が踏みつけにされ、塗炭の苦しみを舐めてきた歴史を持つ国々だ。
アメリカやイギリスはいまだに帝国主義の勝ち組で
(自国の国土を侵略・征服されたことがない、というかもっぱら他国を蹂躙してばかり)、
オレ様グセが骨の髄まで沁みついていて、
19世紀~20世紀の「自国さえよければ他国は踏み躙っても問題ない」価値観に浸り切った
超古臭い「帝国主義国家」なのだ(都合のいい時だけ民主主義国家面をする質の悪さ)。
世界が紛争のない平和な状態を持続させるには、高慢・自己中なアメリカ型ではなく、
他国の人々の苦しみ・痛みに共感し行動できる西・愛・諾三国型国家が増えることが必要だ。
さて、日本は、どうかというと……
アメリカに「宗主国様、どうぞ私を植民地にしてください」と身を投げ出している日本政府、
こんな国のリーダーに唯々諾々と従っているとしたら、
わたしらじつはホンモノの馬鹿じゃない?それか木偶。
スペインマドリードのガザ支援デモ1月20日ロイター
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