はるか昔、私が高校生だったとき
大好きな世界史の授業で先生がこう言いました。
「大学=ユニバーシティのはじめは
中世ヨーロッパのウニベルシタスで、
当時絶大な権力を持っていた教会に属するものでしたが、
真理を追究するという一つの目的のもとに集まった人々が
如何なる介入も受けず研究をする組織として
次第に権力からの独立を勝ち取ってきたのです。
学問とはまさにそういうもので、
いかなる権力からも自由なのです」と。
先生は大人相手に言うように
まじめに高校2年生の私たちに語るので、
私たちも大人ぶって背筋を正して聞いたものです。
今、スガ政権は長い歴史の過程で人類が作り上げてきた
「独立・自由」を学問から剥ぎ取ろうとしています。
日本学術会議の推薦を受けた105人の学者のうち、
6人を任命除外し、その理由を
「たまたまずれた」と訳の分からない言語を吐くばかりで、
こんな重大かつ危険なことをしておいて
まともな説明もできないのです。
こういうとき「頭大丈夫か?」と本気で心配になります。
任命除外された一人、東大教授の加藤陽子さん。
著作『それでも日本人は戦争を選んだ』は
中国の大学にも贈り物として持って行きました。
「目が覚めるほど面白かった。こんな本が作れるのか」と
今はもう亡くなった鶴見俊輔さんが帯に書いています。
歴史の授業はこうありたいと思う魅力的な授業を展開し、
それを本にまとめたものです。
彼女の授業を受けた生徒たちは皆、
歴史とは、なぜその出来事が起きたか多面的に考えて、深め、理解し、
その思考方法と知識を使って未来を築くためにある
ということに気づいたことでしょう。
宇野重規さんも除外された一人ですが、
彼の著作『民主主義の作り方』に私は非常に影響を受けました。
下は久しぶりに本棚から出して撮影したものです。
宇野重規さん自身の言葉がこちらに。
☟ ☟ ☟
「日本学術会議よって会員に推薦していただいたことに感謝いたします。日本の学術を代表する方々に認めていただき、これ以上の名誉はありません。心より御礼申し上げます。
一方、この推薦にもかかわらず、内閣によって会員に任命されなかったことについては、特に申し上げることはありません。私としては、これまでと同様、自らの学問的信念に基づいて研究活動を続けていくつもりです。政治学者として、日々の政治の推移について、学問的立場から発言していくことに変わりはありません。
民主的社会を支える基盤は多様な言論活動です。かつて自由主義思想家のジョン=スチュアート・ミルは、言論の自由が重要である理由を以下のように説明しています。
もし少数派の意見が正しいとすれば、それを抑圧すれば、社会は真理への道を自ら閉ざしたことになります。仮に少数派の意見が間違っているとしても、批判がなければ多数派の意見は教条化し、硬直化してしまいます。
私は日本の民主主義の可能性を信じることを、自らの学問的信条としています。その信条は今回の件によっていささかも揺らぎません。民主的社会の最大の強みは、批判に開かれ、つねに自らを修正していく能力にあります。その能力がこれからも鍛えられ、発展していくことを確信しています。」https://www.asahi.com/articles/ASNB25QS2NB2UTIL02B.html
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