毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

冬支度     2011年10月6日(木) No.205

2011-10-06 14:16:35 | 中国事情


 南昌は季節の移り変わりが極端だと誰もが言う。
確かに、タンクトップ一枚に半ズボンで「あぢ~!」と部屋の中をウロウロしていたのが9月17日、今から20日前のことだ。昨日から私は裏が起毛になった冬の靴下を穿いている。
近所のスーパー「全家百貨」でも、急に電気毛布や冬の部屋履きなどが前面に並びだした。ああ、暑すぎず寒くもない秋は、来たと思ったらもう去っていくのね~。とにかく「中国の4大火鍋(武漢・重慶・南京・南昌)」と言う人もいる南昌の暑い夏は、もう来年まで来ない。その代わりに、取って代わるのが涙が出るほど底冷えのする冬だ。一難去ってまた一難…。

 といっても、国慶節休み6日目の今日は薄曇りで、外はホワ~ッと暖かい。最高気温24℃と天気予報には書いてある。部屋は外より数度低い。
 この季節の楽しみは、何と言っても果物だ。柿、葡萄、梨、林檎、そして、私の好きな柑橘類が次から次へと種類を変えながら、果物コーナーを賑わしている。
 大きくて黄緑っぽい色をした文旦(ザボン)は中秋節には欠かせない果物だ。中国の人々は、家族と一緒に庭の木の下で満月を眺めながら、月餅と文旦をいただくのだそうだ。これは、昨日宿舎に文旦とバナナと葡萄を持って遊びに来た3年生達のうち、江西省贛州出身の竜さんが、にこにこ顔で語ってくれたものだ。そのシーンを思い出すだけでも楽しいといった風情で。
 しかし、ここでも「中国では」と括ってはいけなかった。一緒に来た内モンゴル自治区包頭(パオトウ)出身の李君が、
「あ、でもそれは南の地方の習慣ですよ。私の故郷では文旦という果物は採れませんから。」
と釘を刺した。彼の故郷の主な果物は、林檎、梨、すもも(李子)などだそうだ。その顔ぶれは我が故郷北海道と酷似している。

 昔、高校の修学旅行で初めて北海道から本州に渡り、列車の窓から外を眺めて、晩秋の日本海、瓦屋根の家々、その庭の木にくっついた柿を発見し、
「おお~!本物の瓦屋根、本物の柿の木!」
と興奮したものだった。

 それから40年以上経った。人は年を経るに従い、身体は押し並べて変化するが、考えや嗜好の変化の度合いは人に依ってずいぶん違うものだ。私は嗜好などいろいろ変わった方だ。もし若い頃にアーロン=ネヴィル(Aaron Neville)のネチャーっとした声を聞いたら、きっと(ウヘッ!)とか感じたことだろう。今はあの『ネチャー』が気持ち良いくらいで、ここ南昌にもCDを1枚持ってきた。
豊田雄三もO.K.ね。修学旅行のとき、烏丸二条辺りの京都新聞会館で中川五郎とジョイントコンサートをしていたのを見に行ったが、(何だ、このねっとりした声?!)と17歳の私は鳥肌で拒絶してしまった。今じゃ、余裕で許容範囲なんだけどね。
しかし、武田鉄矢だけはどうしてもダメだ。声と言うより話す内容がどうしてもフィットしない。あの武田鉄矢がNHKのTV番組に出演したとき、横で眠ってしまった高田渡を見て、「こうなっちゃあ、おしまいだね。」と言った。あのシーンは絶対忘れることができない。

 今日は学生が来ない。とてもゆったりとした気分で、気になっていた人にメールを書いたり、冬用毛布を干したりして過ごすことにした。こんなにのんびりした日は、一年中でもそんなに多くない気がする。

 

コメント
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