毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

『がんばりません』      2011年10月11日(火) No.207

2011-10-11 18:59:19 | 日記
 佐野洋子の「がんばりません」を読んだ。
 
 タイトル通り、がんばらないで、寝る前に毎晩ベッドの上でだらだら読み、読み終えるのに一か月もかかった。
私の手元にあるのは新潮文庫のものだが、彼女はこの本を1985年に「本の雑誌社」から『佐野洋子の単行本』というタイトルで出している。残念なことに彼女は昨年72歳で亡くなったが、これを初めに出版したのは47歳頃だ。
「がんばらない、でもあきらめない。」と蒲田實さんが言い始めたのはいつごろだろう。

 1985年当時、私は大阪市内の小学校教員だった。同僚教師の中に私より数歳若い人で「がんばらなくてもいいのよ。」と、事あるごとに子どもに語りかける女性がいた。例えば、体育の100m走で、また、例えば、運動会のグループ競技「台風の目」とかで、次は自分の番だと勇み立っている子たちに言うのである。
(今、言うか~)と私は微妙な違和感を覚えていたのでよく覚えている。
運動会の開会式の雰囲気、行進などは子どものころから大嫌いな私だが、ゲームは好きだった。勝った、負けたで学校から家まで道々喧嘩しながら帰ったこともある。ゲームなのに、加熱しすぎてしまう傾向が私にもあったのだ。

 大人になって教員になり、子どもたちに「負けても全然恥ずかしくない、一生懸命やれば。」とは言った。心の中では(よくこんな安っぽい、歯の浮くようなこと言えるな~)と大いに恥ずかしかったが、負けるに決まっている子を救いたかった。しかし、「がんばらなくてもいい」とは言い辛かった。今も思う。当時の、私よりやや若い同僚は、言う相手と場面を間違えていたんじゃないか、と。

 佐野洋子さんは私の計算によると、1938年に中国の北京で生まれている(それだけですごい!)。戦争末期の中国大陸で成長し、日本人全てが貧しかった戦後の時期を生きて大人になった人だ。そういう人は、いくらでも「がんばりません」とふんぞり返る資格がある。生まれたときから頑張り続けてきたんだから。

 文中、粗末な家で正月を迎える佐野家の両親の意気込みや、どたどたと殺気立った暮れの大騒ぎなどの描写を読んで、(そういえばうちの両親もそうだったなあ)と、少し年代と場所は違うが、北海道の超山奥、引揚者の両親が自分たちで建てた家での正月を迎える慌ただしさを懐かしく思い出した。

 佐野洋子さんのお父さんの口の悪さは、私の母と似ている。
彼女のお父さんは、自分の子どもを「ヒョーロク玉」(兄)、「この引き出し野郎」(子供のころ受け口だった佐野さん)、「洗面器みてえな奴」(平たい顔の妹)と好き勝手、言いたい放題に呼んでいたそうだ。
 わが母は、子どもの私が目の前にあるものを探してウロウロしていると「このあきめくら!」、親の言ったことが理解できないと「この鶏頭!」と罵倒した。私が大人になって、「子どもの頃こうこう言われた」と言うと、母は面白くてたまらないようにくすくす笑うのだった。
 そうそう、私が娘を連れて実家に帰った時、娘ナオが車のドアに手を挟んで泣きかけたことがある。母は車の中でそれを見て、大慌てで「あっ!このバカあほ!」と叫んだ。それも、後でさんざん話題にしたが、そのたびに母は涙が出るほど笑っていた・・・。



 
コメント
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